一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1001  鮎釣りは孤独と言えば孤独なり

2013年08月13日 | 

 私の叔父は鮎釣りが好きだった。解禁になると、横浜から伊豆半島の狩野川までよくやって来た。絵にかいたような亭主関白で、人前だけかもしれないが、叔母をよく「ババー」とか「クソババー」と呼んでいた。ところが叔母は、そう呼ばれても全く平気で、にこにこして「はいはい,何ですか」などと答えているのが実に不思議だった。

 たった一人で河原に立ち、何時間も長い竿を垂らしている鮎釣り人を見ると、今でも私はついついあの頃の叔父のことを思い出してしまう。

ヒメギボウシ(姫擬宝珠)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1000  秋立つといふ淋しさをまだ知らず  健一

2013年08月12日 | 

 いよいよ1000回になった。いつまで続けられるか分からないが、兎に角「塵も積もれば」である。2000回に向けて、根気よく頑張ろう。

 さて、「秋の淋しさ」ならば、どんな日本人でも知っているだろう。しかし、「秋立つという淋しさ」となると、実に微妙である。

 ある年齢になってようやく知った「秋立つという淋しさ」。作者は、たぶん若い人たちを指しているのだろう。彼等はそれを知らない、と言っている。知らなくて当然、私だってあなた達の頃は知らなかったのだから。

ハコネギク(箱根菊)

去年、湿性花園で買って来た「箱根菊」、早満開です

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

999 融けてゆく氷が鳴らすマグカップ  次郎

2013年08月11日 | 

 「氷」は、本来冬の季語である。しかしこの句の場合は、ウイスキーやお茶、ジュースなどに入れる「オンザロック」の氷のことだろう。

 歳時記では、夏氷、氷水、かき氷、氷菓、氷店などが、夏の季語として扱われている。しかし最近は、冷蔵庫が各家庭に普及しかつ自動製氷だから、氷は身近になった。

こんなに便利になると、益々季節感が失われる。

ハナカンナ  カンナカンナ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

998  目高の子はや縄張りを争えり

2013年08月09日 | 

 いつの間にやら立秋も過ぎた。その途端の猛暑だ。これがいわゆる残暑。我が家にエアコンはないが、その代り汗をかいたら何度でもシャワーを浴び、着替えることにしている。そのくらいの贅沢は許してもらえるだろう。

 鉢植えに水を撒く時、睡蓮や河骨の鉢の目高や金魚にもシャワーをかけるのだが、冷たいのが気持ちいいのか,彼等も水面に浮かんでくる。

カヤツリグサ(蚊帳吊草、莎草) カヤツリグサカヤツリグサ属の一年生植物

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

997  蟻地獄捕えし蟻を放りこむ

2013年08月07日 | 

  蟻地獄は、ウスバカゲロウ(薄翅蜉蝣)の幼虫が、軒下等の風雨を避けられるさらさらした砂地にすり鉢のような窪みを作り、その底に住み、迷い落ちてきたアリやダンゴムシなどの地上を歩く小動物に大あごを使って砂を浴びせかけ、すり鉢の中心部に滑り落として捕らえる。

 蟻がいそうもないような場所に、蟻地獄を見つけると、生きているかが気になって、よせばいいのについつい蟻を投げ込む。子供の頃の癖が、未だに治らないのは、困ったものである。

キョウチクトウ(夾竹桃)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

996  鵤鳴く姿見えざることが良し

2013年08月06日 | 

(イカルなく すがたみえざる ことがよし)

 イカル(鵤、桑鳲)は、スズメ目アトリ科の鳥。木の実を好んで食べるので、「マメウマシ」「マメワリ」「マメマワシ」「マメコロガシ」などとも呼ばれるそうである。

法隆寺のある「斑鳩いかるが」から名付けられたという説か、その逆で、イカルから斑鳩が名付けられたという2説あって、「ニワトリと卵」と同じでどちらが先か不明。又、聞きなしの「イカルコキー」から名付けられたという説もある。

聞きなしでは、「ツキヒホシー」が分かりやすく、別名三光鳥(サンコウチョウ)とも呼ばれる。三光とは、月・日・星のこと。(本家の三光鳥という鳥は、別にいる)

イカルは、餌台のヒマワリの種を食べにやって来るが、嘴で上手に殻を割るけれども、殻を器の中に落とすので、下の種が殻に埋もれて残ってしまう。山雀や四十雀にとっては、迷惑な食べ方なのだ。

 イカルの鳴き声

ホテイアオイ(布袋葵)  単子葉植物ミズアオイ科の水草

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

995  おわら風の盆 俳句吟行の旅のご案内

2013年08月05日 | 旅行

1日目(9・1) AM8:00東京駅バス出発→車中にて俳句教室→14:00宇奈月温泉ホテル着→17:30夕食→19:00八尾発→20:00風の盆→24:30宇奈月ホテル着

 2日目(9・2) AM7:00朝食→10:00句会・昼食→13:00バスにてホテル発→14:00直江津港→20:30東京駅着解散

句会主宰・選者   薬師川麻耶子先生(国文学者)

 旅行費用 大人 お1人 39,800円

 お申込み

(株)やまおとうみ 〒151-0051渋谷区千駄ヶ谷4-30-8-1301       Tel 03-3478-2380

 担当 納賀琢也 080-1238-2889 

主催 (株)美容専科ブーケ  清水香津子(090-1425-6393)

協賛  メリーロード高輪・風の盆高輪実行委員会

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

994  蓮の花遅れし鯉に餌を投ぐ

2013年08月05日 | 

 「蓮・はす」の古名「はちす」は、花托(かたく)が蜂の巣に似ているので名付けられたそうです。足長蜂の巣に似ていますね。又、蓮はインド原産で、ヒンズー教や仏教とも深い関わりがあるようです。

 泥の中に根を張りながら、泥にまみれず見事な花を咲かせる蓮・睡蓮を「泥中の蓮華」と言うそうです。我々の生きているこの世が「泥」で、悟りの世界・極楽浄土・菩薩・仏の智慧や慈悲を「蓮の花」にたとえているそうです。

「悟りとは無縁に生きて蓮の花」

なんみょうほうれんげきょう・・・なんみょうほうれんげきょう・・・南無妙法蓮華経・・・・・

ベゴニア

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

993  夜蝉鳴く眠れぬこともあればなり

2013年08月04日 | 

 蝉は夜も鳴く。勿論昼のようには鳴かない。「じじっ」と鳴くのである。それは寝ぼけているようにも聞こえるし、蝉亭主に「うるさいわねー、眠いのに」なんて蝉女房が言っているようにも聞こえる。ヒグラシとかアブラゼミとかは、音色で判別もできる。

 暑苦しくて眠れぬ夜ならば、「油蝉よ、お前も眠れぬ夜を過ごしているのか」と共鳴できるし、又、あと数日の命と絶叫する蝉と、あと数年or数十年かもしれない私の命と、余生はそう大して違わないのだ。

オトギリソウ(弟切草)  オトギリソウ科オトギリソウ属 の 多年生植物。

名前の由来は、この草を原料にした秘薬の秘密を漏らした弟を兄が切り殺したという

平安時代の伝説によるもの。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

992  止まろうとして枝を折る夏鴉

2013年08月03日 | 

  最近は、ゴミを散らかして、すっかり嫌われているカラスであるが、昔は「八咫烏(やたがらす)」と言って、吉兆を示す鳥でもあった。特に熊野三山の神の使いとされてきたし、現在八咫烏は、日本サッカー協会のシンボルマークでもある。

 いづれにしても、カラスは鳥類の中でも優れた視力や知能を持っている故に、西洋でも太陽の使いとされたり、逆に後世では悪や不吉の象徴ともされたようである。

 さて、そんな賢いカラスでも折れることが分からなかったようで、乗った途端に枯れ枝が折れて慌ててばたついているところを、偶然拝見して大笑い。恥ずかしかったのであろう、自虐的に「アホーアホー」と鳴きながら飛び去りました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

991  御太鼓を幼児のごとく僧凉し

2013年08月02日 | 

  日蓮宗・日本山妙法寺を創設した藤井日達上人は、明治18年に生まれ、昭和60年100才の長寿を全うした。ガンジーの非暴力主義、不殺生、非武装、核廃絶を唱えて、インド、アメリカなど世界各地に、北海道、東京、熱海など日本各地に仏舎利塔を建設し、世界平和運動を展開した功績は大きい。

オニユリ(鬼百合)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

990  夕立の雨宿りまづ二人出づ

2013年08月01日 | 

 「雨宿り」とは、「傘がない」のに雨が降ってきて、他人の家の軒下を借りて雨が止むのを待つこと。決して、宿屋に泊ることでも、ある地域に雨が居座っている訳でもない。

 天気予報が一日晴れであれば、大概の人は傘は持たずに出掛ける。地下鉄の駅を出たら、かなりの雨が降っている。さて、近くに傘を売る店はないし、出れば濡れるし、まあしばらく止むのを待つとするか。

 そんな時、悠然と傘をさして出て行く人を見たら、自分を恥じるだろう。それ以上に、傘がないのに平然と濡れてゆく若いカップルを見たら、羨望より嫉妬を感じるかもしれない。

さだまさしの「雨宿り」と井上陽水の「傘がない」随分雰囲気が違いますね。クリックして聞いてみて下さい。

カサブランカ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする