函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

平清盛、ほうげんの乱らしいです??

2012-05-29 | 歴史

今の今まで保元の乱を「ほげんのらん」と思っていた僕

正しくは「ほうげんのらん」らしいのです

40年以上も「ほげんのらん」とばかり思っていたなんて何

とも…       

 

叔父と甥、父と子、兄と弟、実際戦うのは天皇や上皇では

なく勿論摂関家でもありません。

後の戦のように全国の有力武士達が大軍を擁して戦う戦

とは少し違うようです。

在京武士による局地戦と言った方が正しいのかも知れま

せん。

何れにして最高権力者を決める戦いだった事には間違い

ありませんし、武士の武力が勝敗を握っていた事も事実で

すね

 

劣性になった上皇側ですが、流石の為義も『戦を知らぬ者

は耳を塞いで待っておれ!!』と頼長に向かって罵声を浴び

せます

負けを覚悟したからこそ言えたのでしょうね

もう少し早く吹っ切れていれば勝敗の行方も違ったものにな

ったのかも知れません。

為義ばかりか上皇にも『そなたを信じた朕が愚かであった!!』

とまで言われる始末

公家として頂点に上り詰めた頼長ですが、最期が何とも惨め

です。

人心が離れ、気がつけば自分の周りには誰も居なくなってい

たのです

聞く耳を持たない人間の哀れさを感じますね。

 

それにしても頼盛が何故上皇側に付こうとしたのかが??い

まいち説得力に欠けます。

頼盛を清盛の許に残すため忠正が上皇側に付いたと言う事

なのでしょうが、その意味も分かりません

戦国時代では家を残すため当たり前のように親子兄弟が敵

味方に分かれ戦っていますが、その考え方とはかなり違った

もののように感じますね

各々が敵味方として戦ったのには理由があった筈です。

鳥羽上皇の王子・重仁親王の乳母だった宗子(池禅尼)の事

や、悪左府・頼長の家人として仕えていた忠正の事などが描

ききれていません

頼盛がどちらかにつくかで大げさに言えば戦況は一変した可

能性が高いのです。

保元の乱は頼盛の動向が大きな鍵だったと僕は思っています。

色んな思惑が入り乱れ天皇につくか?上皇につくか?平氏も

源氏もぎりぎりの選択をした筈です。

 

来週はいよいよ信西の命により叔父、父を斬首する清盛と義朝

現代の感覚ではとても信じられない事ですが、戦国時代でも実の

父を斬首した話はあまり聞いた事がありません

史実はともかく、斬首されるまでの人間模様、葛藤をドラマらしく感

動で演じて欲しいものです

 

 

 

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