函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

平清盛、何故平泉に行ったのでしょうか??

2012-11-06 | 歴史

重盛役の窪田正孝、熱演でしたね

清盛と後白河の板挟みで苦悩する重盛を見事に演じきっていました

 

重盛は清盛の嫡男ですが、継母・時子の子ではありません。

平家の中でも後白河に近く側近の藤原成親の妹を娶っていますし重盛

の嫡男・維盛も成親の娘を正室に迎えています

親子で二重に血縁関係を築いてきたのですが、その成親が失脚したの

ですから平家の中でも立場が微妙になっていた筈ですね

成親は平家を陰で支えてくれた藤原家成の息子ですが、箸にも棒にもか

からない人物のような気がします

出世欲だけが強く無能と言ってもよいかも知れません。

平治の乱では処刑されても仕方ない身を助けられたにもかかわらず二度

まで反平家の企みに加担したのですから本来なら斬首されても当然

ドラマでは流刑にされ餓死した事になっていましたが、どうやら斬殺された

ようです

 

「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず。重盛の進退

ここにきわまれり。」重盛が発したとされる言葉ですが、父・清盛と後白河の

間で苦悩した様子が垣間見られます

忠義と孝行の狭間で揺れた重盛は「自分を斬ってから出陣されよ」と清盛に

言ったとか

流石の清盛も言葉を失い思い止まったと言われていますが…

この時の後白河幽閉は重盛によって阻止された事になっていますが、安徳天

皇が誕生してから一回目の後白河幽閉を企てた訳ではありません。

史実的には多少のタイムラグがあるようです。

平家物語では清盛を悪役として描くあまり重盛を善人として描くしかなかったと

僕は思っています。

殿下乗合事件でもそうですが、悪行は全て清盛で重盛は善人といった人物設

に終始しているような感じがますね。

 

ところで

源頼政・木曽義仲・源義経・源頼朝など打倒平家の機運が各地で動き始めまし

たね

平家の専横も風前の灯です。

遮那王も元服して義経と名を改めます

何故?義経は態々奥州へ行ったのでしょうか??

京から平泉へ行くのは当時としては並大抵の事ではなかった筈です

それも全く面識の無い藤原秀郷の許へ…

常盤の再婚相手一条長成ですが、その長成の縁者に藤原基成と言う人物が…

この基成の舅が藤原秀郷だと言われているのです

義経は一条長成の縁を頼って奥州に行ったのでしょうか?

縁も所縁も無いところへ流石の義経でも行く筈ありませんよね。

もし、常盤が清盛の囲われ人として生涯を終えたとすれば義経が奥州へ行く事

もなかったかも知れません。

人の運命とは分からないものですね

 

 

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