函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

運命の一日!!

2009-04-27 | 歴史
先週のラストシーン…
直江信綱の最後のシーンを見てあまりにも呆気ない感じが
したのですが、今週のドラマを見て少しほっとしました

毛利秀広に惨殺される信綱ですが、口論の仲裁に入って殺
されたと云うのが一般的な説ですよね
ドラマでは兼続の出世を妬み公論となった様に描かれてい
ますが、御館の乱後の恩賞に対する不満による刃傷沙汰が
原因らしいのです

毛利秀広は当初景虎側についていたのですが、恩賞目当て
に景勝側に寝返った人物です
乱後、恩賞にかなり不満がかなりあった様ですね。
兼続に対する不満もあったかも知れませんが、刃傷沙汰の
原因は恩賞にあったのに間違い無いと僕は思っています。

信綱が亡くなったお陰で晴れてお船と夫婦になる事が出来
た兼続ですが、刃傷沙汰の原因が自分であるため直江家に
入る事を拒否しましたね
しかし、主命とあらば断る訳にはいきません。
青天の霹靂とはいえお船にとっては不幸の後の幸せが待っ
ていたのです
あくまでもこのドラマの中では??

それはそうと、いよいよ信長軍が迫ってきましたね
最前線の魚津城に吉江と阿部が行く事になりました

この魚津城では壮絶な籠城戦が繰り広げられます。
春日山に援軍を求めるのですが敵に囲まれて身動きの出来
ない上杉軍、援軍を送る事が出来ません
正確には、景勝自ら援軍を指揮していたのですが魚津城を
挟んで織田軍と対峙していたのです。

結果、魚津城は全員討ち死に、壮絶な落城を向える事にな
るのですが、援軍を期待していた魚津城にとって最後の願
いが届かなかった訳ですね
味方を見殺しにした形になりますが、援軍を送れる状態で
なかった事も事実です。

実は、魚津城落城の一日前に信長が本能寺で亡くなってい
たのです
その情報が上杉軍には届いていなかったのでしょうね
現在の情報社会では信じられませんが…

もし、本能寺の変を上杉方が知っていたなら魚津城落城は
間違いなくなかった筈です。
一日、いや数時間の違いだったのかも知れません

逆に、本能寺の変がなかったら…
勢いを増した信長軍によって上杉家は間違いなく滅亡して
いたでしょうね。
武田と同じ様に…
言い換えれば上杉を滅亡から救ったのは明智光秀ですね

信長軍に落とされた魚津城ですが、上杉軍は直ぐに取り戻
します
後一日、いや数時間早く情報が入っていれば

3800名と言われる籠城軍がむざむざ死ぬ事はなかった筈で

そう云う意味では落城した6月3日は運命の一日なのです



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