函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

誠忠組or精忠組??

2008-08-31 | 歴史
やはり習慣の違いは如何ともし難いのです
京風と江戸風、朝廷と武家では全く違うのですね。
どちらかが歩み寄らなければ…
それにしてもさすがの滝山もすっかり天璋院派に
なりましたね
『たまに羽目を外しますか』と滝山。
『そうこなくては』と天璋院。
最初は拒んでいた滝山ですが…
二人だけの宴会が始まったようですね
一方
奄美から西郷さんが帰ってきましたね
国父・久光との初対面の席で『上洛は無謀かつ時期
尚早であり、当主でもなく官位のない久光にできる
ことは何もない』と言い切ってしまいましたね
なにも『一介の地ごろ』とまで言わなくともよいと
思うのですが…
前藩主・斉彬が次期藩主に久光の息子・忠義を指名
した時も斉彬とほとんど口を聞かなかったといいます
尊敬している斉彬にさえそうなのですから久光にも
の申すのも西郷にとって大した事ではないのです。

もしかすると西郷は、亡き斉彬の意思を継ぐと断言
した久光を試そうとしたのか、それとも単に久光の
器量を図ろうとしたのかも知れません
単純に考えれば当主になるか官位を貰えと云ってい
る様にも聞こえるのですが…
そうしなければ諸侯は付いてこないと西郷は確信し
ていたのでしょうね。
やはり西郷にとって斉彬が無二で唯一の主君だった
のは間違いない様です

しかし、流石に言われた久光は激怒
帯刀の説得によりその場は何とか収まりましたが、
遺恨が尾を引きそうな感じですね

ところで、
誠忠組と精忠組どちらが正しい呼び名なのでしょう
か??
精忠組の方が一般的な様な気もするのですが??
実はどちらの名前も当時は使っていなかったのです
少なくとも彼等自身が誠忠組や精忠組を名乗った事
実はないのです
どうも明治以降の命名らしいのです
意気盛んな若者たちが集まって明日の薩摩や日本の
事を真剣に純粋に考えていたのは間違いない様です
結社といったところでしょうかね
ちなみに、大久保の日記に「精忠士面々中」と書い
てあるのですが、どうもそこから後の人が命名した
と云うのが真相らしいですね


サポートグラスのCMです






コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« キーンランドC・GⅢ!! | トップ | ご近所から頂いた白桃!! »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Aki_1031)
2008-09-02 13:28:01
こんにちは!
久しぶりに本寿院が登場したのに、
稲森滝山は完全に天璋院ラブになってしまいましたね。

それにしても薩摩勢のヘタレっぷりには
苦笑してしまいます。
山口久光公からしてあれですもんね(苦笑)。
来週の寺田屋事件に期待したいと思います!
こんにちは (iseッチ)
2008-09-02 15:03:22
本当、いつの間にか天璋院の懐刀と
いった感じですものね。
久光も兄・斉彬に負けたくないという
思いが強過ぎるのでしょうか??
来週の寺田屋事件ですが、聞く処によ
ると、久光の朝廷での立場を強くする
為、有馬らが自分を命を犠牲にしてま
でも…
と云う脚本みたいなのです。
ちょっと違和感を覚えますね。

こんばんはです (ikasama4)
2008-09-02 19:47:41
昔はよく人の名前とか
当て字で書いていた事があったので
「せいちゅうぐみ」もどっちでもいい当て字みたいな
ものだと思ってたのですが、そーゆー事だったんですね。

勉強になりました。


次回の寺田屋もそうですが
この作品では悪人らしい悪人がまだ出てきてないですね。

個人的には
久光が朝廷の信頼を得るために
過激藩士を抹殺したっていうのが
人を信じない久光らしくていいんですけど(; ̄∀ ̄)ゞ
こんにちは!! (iseッチ)
2008-09-03 13:02:18
そう云えばそうですね。
大河には極悪人は少ないかも??
悪人として登場してもいつの間にか
善人になっていますものね??

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事