いよいよ大政奉還
龍馬伝のクライマックスかも知れません。
ドラマでは在京40藩の重役に意見を問う慶喜ですが、
召集した時点で大政奉還を決めていた筈です
孝明天皇が亡くなり(毒殺説も?)明治天皇が即位すると、
岩倉具視を中心とする倒幕派が暗躍します
岩倉らは薩摩の西郷隆盛・大久保利通と共に天皇から
「倒幕の密勅」を入手し倒幕の大義名分を得るのです
勿論、慶喜もこの情報は得ていた筈です。
事ここに至り幕藩体制の維持の限界を悟り大政奉還を
決断するのですが、裏を返せば大政奉還しか選択肢が
無かったのかも知れません
長らく政治に携わっていなかった天皇や公家達に政権
運営能力が無いと踏んで、何れ自分にお鉢がまわって
くると高を括っていたのも事実でしょうね
実際、少しの間慶喜の思う通りになったようですが、
結局長続きはしません
その後、「王政復古の大号令」が発せられ、慶喜の辞
官納地が強引に決定されます
慶喜の政治的敗北ですね
幕府としては戦う術もあった筈ですが、とうの慶喜は
松平容保らを連れさっさと大阪に逃亡
残された兵達すればたまりませんよね
何の為?誰の為に戦うのか?戦意喪失どころではなか
った筈です。
時代の流れはもう誰にも止められません
おそらく大政奉還が実行されなければ龍馬の寿命もも
う少し長かったかも知れません。
幕府はもとより薩摩・長州・紀州・土佐と龍馬を快く
思わない輩ばかり。
右を見ても左を見ても敵ばかり、全くの四面楚歌状態
ですね
そんな龍馬ですが本当に自身の身に危機感を持ってい
たのでしょうか??
もしかして?大政奉還という大仕事を成し遂げた龍馬
に慢心があったのかも知れませんね
ところで
新撰組や京都見回り組を厚遇していた永井玄蕃頭(永井
尚志)。
龍馬暗殺には永井尚志首謀説があるのです
桜田門の変の後、幕府の政治総裁になった松平春嶽の意
向で京都町奉行として復職した永井。
新撰組や見回り組を使いかなり厳しい取り締まりを行っ
ています
龍馬暗殺の実行犯とされる京都見回り組・今井信郎の弟
省三による証言があります
「今井信郎が永井玄蕃より密会を求められ土佐浪人坂本
龍馬を討取るべき内命を拝せり」というものです
混乱期にはこの手の証言は沢山ありますので、真意の程
は定かではありません。
しかし全く否定出来ないのも事実では…
竜馬暗殺で一番有力とされている京都見回り組説ですが
その見回り組の後ろ盾だったのが永井なのですから、龍馬
を殺したのは永井だったと言ってもいいのです。
龍馬が永井玄蕃頭を説得するために面会したたのは慶応
3年の10月10日。
その時龍馬は『幕府の武力で薩長に勝てるとお思いか』
と永井に問い掛け、それに対して永井は『残念ながら勝
算無し』と答えと言われています。
『それならば大政奉還意外に道は無いのでは』と龍馬に
説得されたそうですが、それに対して永井は何と返答し
たのでしょうか??
興味が尽きません
その永井の龍馬評が残っています。
『後藤象二郎より一層広大にて話も面白い』と言ったと
か??
しかし『大政奉還は現実と遊離しており、時期尚早であ
る』とも…
おそらく大政奉還には賛同していたのかも知れませんが、
慶喜が考えていたようにあくまでも中心に居るのは徳川
家だったのでしょうね。
もし永井が龍馬暗殺の影の首謀者だとすれば、龍馬が永
井に面会した時が龍馬のターニングポイントだったのか
も知れません。
この時の二人の会話のすべてが分かれば面白いのですが…
龍馬伝のクライマックスかも知れません。
ドラマでは在京40藩の重役に意見を問う慶喜ですが、
召集した時点で大政奉還を決めていた筈です
孝明天皇が亡くなり(毒殺説も?)明治天皇が即位すると、
岩倉具視を中心とする倒幕派が暗躍します
岩倉らは薩摩の西郷隆盛・大久保利通と共に天皇から
「倒幕の密勅」を入手し倒幕の大義名分を得るのです
勿論、慶喜もこの情報は得ていた筈です。
事ここに至り幕藩体制の維持の限界を悟り大政奉還を
決断するのですが、裏を返せば大政奉還しか選択肢が
無かったのかも知れません
長らく政治に携わっていなかった天皇や公家達に政権
運営能力が無いと踏んで、何れ自分にお鉢がまわって
くると高を括っていたのも事実でしょうね
実際、少しの間慶喜の思う通りになったようですが、
結局長続きはしません
その後、「王政復古の大号令」が発せられ、慶喜の辞
官納地が強引に決定されます
慶喜の政治的敗北ですね
幕府としては戦う術もあった筈ですが、とうの慶喜は
松平容保らを連れさっさと大阪に逃亡
残された兵達すればたまりませんよね
何の為?誰の為に戦うのか?戦意喪失どころではなか
った筈です。
時代の流れはもう誰にも止められません
おそらく大政奉還が実行されなければ龍馬の寿命もも
う少し長かったかも知れません。
幕府はもとより薩摩・長州・紀州・土佐と龍馬を快く
思わない輩ばかり。
右を見ても左を見ても敵ばかり、全くの四面楚歌状態
ですね
そんな龍馬ですが本当に自身の身に危機感を持ってい
たのでしょうか??
もしかして?大政奉還という大仕事を成し遂げた龍馬
に慢心があったのかも知れませんね
ところで
新撰組や京都見回り組を厚遇していた永井玄蕃頭(永井
尚志)。
龍馬暗殺には永井尚志首謀説があるのです
桜田門の変の後、幕府の政治総裁になった松平春嶽の意
向で京都町奉行として復職した永井。
新撰組や見回り組を使いかなり厳しい取り締まりを行っ
ています
龍馬暗殺の実行犯とされる京都見回り組・今井信郎の弟
省三による証言があります
「今井信郎が永井玄蕃より密会を求められ土佐浪人坂本
龍馬を討取るべき内命を拝せり」というものです
混乱期にはこの手の証言は沢山ありますので、真意の程
は定かではありません。
しかし全く否定出来ないのも事実では…
竜馬暗殺で一番有力とされている京都見回り組説ですが
その見回り組の後ろ盾だったのが永井なのですから、龍馬
を殺したのは永井だったと言ってもいいのです。
龍馬が永井玄蕃頭を説得するために面会したたのは慶応
3年の10月10日。
その時龍馬は『幕府の武力で薩長に勝てるとお思いか』
と永井に問い掛け、それに対して永井は『残念ながら勝
算無し』と答えと言われています。
『それならば大政奉還意外に道は無いのでは』と龍馬に
説得されたそうですが、それに対して永井は何と返答し
たのでしょうか??
興味が尽きません
その永井の龍馬評が残っています。
『後藤象二郎より一層広大にて話も面白い』と言ったと
か??
しかし『大政奉還は現実と遊離しており、時期尚早であ
る』とも…
おそらく大政奉還には賛同していたのかも知れませんが、
慶喜が考えていたようにあくまでも中心に居るのは徳川
家だったのでしょうね。
もし永井が龍馬暗殺の影の首謀者だとすれば、龍馬が永
井に面会した時が龍馬のターニングポイントだったのか
も知れません。
この時の二人の会話のすべてが分かれば面白いのですが…
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