函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

斉彬と西郷!!

2008-04-27 | 歴史
輿入れが決まった途端、寄りによって大地震が起こる
とは
斉彬も篤姫もついていませんね
自然災害ですから仕方ありません。
世に言う安政の大地震です
直下型の地震で7000名もの人が亡くなったと云います
から大惨事だった訳です。
もし、現代の東京で同じ様な地震が発生したらどれ位
の犠牲者が出るのでしょうか?
想像もつきません
数万人、いや数十万人の犠牲者が出るのかも…

一方
念願叶って江戸勤めが出来る事になった尚五郎ですが、
庭方役として活躍する西郷にも多少嫉妬もするでしょう
が、良い意味で刺激を受けていましたね
何れにしても、小松帯刀としてこれから薩摩を背負って
立つ人物にならなければならないのです。
一生懸命勉学に励まなければ…

しかし人間の運命は本当に分からないものなのですね。
小松清猷が琉球で病死したため、妹のお近と結婚するよ
う斉彬に懇願されるのです。
選択の自由はありません。
懇願と言っても上意なのです
いよいよ小松帯刀の誕生といったところでしょうか。

ところで
西郷のお役目・庭方役(にわほうやく)ですが、名前から
すると庭の手入れをする庭師みたいですね。
実際は庭師どころかスパイの様な役目だったのです。
斉彬の秘書でもありスパイでもあった訳ですね
時代劇にちょくちょく出てくる御庭番といった感じでし
ょうかね
御庭番というと忍者を連想しますが、西郷は江戸におけ
る諜報活動を担当していたのしょうね。
勿論、西郷さんが忍術を使える筈がありませんが…
おそらく、地道に情報を集めていたのでしょうね。

斉彬の名言です。
「人材は必ず一癖ある者から選べ。みんなから好かれる
人間は役に立たない。馬も乗り癖のあるのでなければ実
用の用には堪えない」とあります。
そういう考えの斉彬の目に止まったのが西郷吉之助だっ
たのです
唯一違ったのが、西郷には人並外れた人望が有ったと云
う事なのです
そういう西郷がいたからこそ、大久保も動きやすかった
のでしょう。
西郷がいなかったら明治の元勲大久保もなかったかも知
れません。
西郷に並外れた人望が有ったからこそ日本を明治へと導
く事が出来たのだと僕は思っています。
西郷は斉彬へ生涯忠誠を誓いますが、肝心の斉彬が早く
亡くなってしまいます
西郷にとって斉彬に代わる人物は生涯現れなかったのです。
心底自分を信頼し、必要としてくれたのは斉彬しかいなか
ったのです
それほど西郷にとって斉彬はかけがえのない主君だったの
でしょうね。
斉彬に代わる人物が現れなかった事が西郷にとって不幸の
始まりだったのかも知れませんね。
もし
斉彬が長寿だったとしたら、大政奉還も無かったかもしれ
ないし、明治の姿もかなり変わったものになったと思うの
です。
斉彬は薩摩だけの事だけを考えていたとは思えません。
日本共和国を目指していたのではないのかと僕は思ってい
るのです
あくまでも個人的な意見ですが






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