~仕事をゲット!~の巻
150万円を資本にオーストラリアへと一人旅してきたわけです。
一人旅というのは文字通り、ひとりでなんでもかんでもするたびのことです。
わりに、運も良くて、住むところや食うもの着るものには何の不自由もすることなく7ヶ月が過ぎました。
ビザの問題で1年間しかいられないのに。もう3分の2過ぎそうでした。
ちょっとまて。
シェアメイトなる奴も、地元が恋しかったらしくて出て行った。(学生に良くある長期間の休みで)
ちょっとまて。
独り暮らしだね。(出て行くまで)
ちょっとまて。
さすがの150万円も尽きそうね。
(仕事はずっと探してたけど、どこも日本人がらみでクソつまらなそうなところばっかり。
金はあるし。
インターネットあるじゃん。
オージーの求人サイト行きゃいいしー。【手当たり次第】)
ちょっとまて。
オージーの返事が来ない。。。日本人に頼もう。。。採用。。同時間。オージーも返信あり。。。採用。
オッホー。
のこり5ヶ月で、仕事が山のように来ました。
自分の要求した分だけ。
ここ大事。上記にないところもいっぱい応募して、いっぱい断られて、いっぱい採用されたうちの自分の欲しい分だけ選べました。
まあ、郷に入らば郷に従え。郷の言葉くらい解して話せ。
中・高・大で英語が得意だったというだけで、特別なスキルは持ち合わせていないわけです。
体しかない訳です。
親からも掃除くらいしか教わってないわけです。
笑。
とにかく、掃除します。
でしょ?英語で経済学んだわけでもない。
英語ができても商売にからめるわけじゃない。
体が動いて日常会話ができれば仕事なんていくらでもあるんです。
経済英語ができるやつが偉いかって?
うそでしょ。
悪いのはあいつらで、経済英語で悪い事したからみんなに迷惑かけたんでしょ?
あいつらは刑務所内で日常会話に経済英語を取り入れる努力をすべき。
置いといて。
オージーで、オージーの会社とタイ人経営の日本人だらけの会社からしごとをゲット!
残念なのは、一緒に働いた人達のIDが皆無なこと。
ま、縁というのは信じています。
いつか、同じようにばったり出会うであろうと。
滞在期間1年間というのは最初に予定してました。
心も揺らぎましたが、俺の予定は何ものも変えることはありません。
結果的に、
○日豪センター(?名前ははっきり覚えてない。)の張り紙。
murray streetを東に行ってシティの端らへんという位置になる。今もあるかな?時代は変わりますからね。ただ、シティの東端らへんに日本人を中心とした留学生向けコミュニティがあるのは変わってないと思います。
○現地のインターネット求人サイト(勿論英語)。
これも時代の流れでサイトもどんどん革新しているはずです。
が有効でした。
http://www.seek.com.au/jobsearch/
ありました。笑。まだ健在です。
ここ、ここのが有効でした。
ただ、ここだけじゃなくてほかにも
http://jobsearch.gov.au/default.aspx
などなど山ほどあって、全部あたったうちからです。
他にも
【豪ねっと】とかの現地在住日本人による掲示板も使えるでしょう。
(掲示板特有の嵐とかあったなぁ。海外まで来てオタクやってるやつがいたりした。笑。危機感ゼロ。)
◎
仕事ゲットの裏話をちょっと。
・オージーの会社
仕事させてのメールして、1ヵ月後。「こっちのパソコンの故障で返信が遅れました。採用となりましたので、明日何時にここに来てください。」
との旨。
もう、やったー!でテンションあがりまくって、ちょうどサタデーナイトだったのもあり、シェアメイトとウォッカ等を呑み過ぎたのでした。
案の定時間ギリギリまで寝てしまって、現地付近で迷子。
担当のローレインと連絡は取り続けるのですが、土地勘のない北西部。その辺の民家の人に道尋ねたり。
結局泣きそうになりながら、45分遅刻で到着。メチャクチャ誤りながらローレインと面会。
しかし、ここからがオージー。あせりまくった俺に対して、どうしてそんなにあせんの?みたいなポカン顔。
オージーが遅刻に寛容というのは本当でした。
今はわかるのですが、その時は仕事が終わってからの面接だったんですね。彼女的にはエクストラワーキングタイムだったんです。
早朝から始まって朝のうちに終わる仕事だったので、のんびりブランチタイムだったのです。
私は運がよかっただけでしょう。
とにかく、平謝りで平ありがとうを告げて、「月曜からしごとだから、何時に何処に来てね。」を頂いて。無事仕事をゲット。
語弊があるといけないので、仕事の場合は絶対というか時間厳守が基本ですよ。その辺は常識を持たなきゃなりません。
20分遅刻というのが2回くらいはありましたけど。
ひとつは強風で駐車場の大木がボギ!!!って凄い音をたてて折れて、車が出せなかったから。ほんとに樹齢数百年というレベルの大木ですよ。
フラットのみんなが出て来て、てんやわんや。
ローレインに電話して、「駐車場の大木が折れて車出せない。なんとかしていく。」「オーケー。」
結局、持つべきものはシェアメイト。となりのシェアメイトが一人トヨタのリッター車を持ってたので、起きてもらって貸してもらえました。
ありがとう。
・日本人だらけのタイ人の会社
日豪センターの張り紙。
車持ってる人優遇。
を見て。
日豪センター向かいのカフェテラスで面接。自分と同じワーキングホリデービザの大阪の若者でした。
ゆうきくんか。ただゆうきという名前しか覚えてない。ナイスガイでよく働く人でした。とにかく金が要るらしかったです。
彼は1年ビザのところをフルーツピッキングしたら2年に延ばせる制度を使ってて、1年以上居る人でした。他にも結構いました。
話しているうちに「帰って日本企業で犬のように働きますよ。」とか「イギリス行こうかな。」とかなってましたね。
寿司屋継ぐのが1番じゃない?余計か。失礼。
メインで一杯働いて欲しいみたいなかんじでした。
まあ、できる限りはやります。旨。
■最近、思うんですけど。
なぜにこのときがあんなに楽しかったのか。今と比べて充実していたのか。
根本的な欲求を満たしていたからだと思うんですよ。
力一杯働いて、力一杯稼いで、力一杯遊ぶ。
これ以外は付属品で、これらのどれも抜けられないはずなんです。
今は、力一杯が抜けているんですよね。
だから、付属品も美味しそうに見えない。
日本を改革したくもなるんですけど、スローライフ?にも深くに意味があるといいますか。
リスクが少ないという意味があるのは認めざるを得ないし。
かといって、このまま衰弱の一途をたどるのをだまってみているのも
癪
だし。
なんだろうなぁ?
なんでもねぇよ!
か?
この場合の力一杯はすごく重たいものを持ち上げるという意味ではありません。
悪しからず。
次回について。
~ナイトクラブの巻~
150万円を資本にオーストラリアへと一人旅してきたわけです。
一人旅というのは文字通り、ひとりでなんでもかんでもするたびのことです。
わりに、運も良くて、住むところや食うもの着るものには何の不自由もすることなく7ヶ月が過ぎました。
ビザの問題で1年間しかいられないのに。もう3分の2過ぎそうでした。
ちょっとまて。
シェアメイトなる奴も、地元が恋しかったらしくて出て行った。(学生に良くある長期間の休みで)
ちょっとまて。
独り暮らしだね。(出て行くまで)
ちょっとまて。
さすがの150万円も尽きそうね。
(仕事はずっと探してたけど、どこも日本人がらみでクソつまらなそうなところばっかり。
金はあるし。
インターネットあるじゃん。
オージーの求人サイト行きゃいいしー。【手当たり次第】)
ちょっとまて。
オージーの返事が来ない。。。日本人に頼もう。。。採用。。同時間。オージーも返信あり。。。採用。
オッホー。
のこり5ヶ月で、仕事が山のように来ました。
自分の要求した分だけ。
ここ大事。上記にないところもいっぱい応募して、いっぱい断られて、いっぱい採用されたうちの自分の欲しい分だけ選べました。
まあ、郷に入らば郷に従え。郷の言葉くらい解して話せ。
中・高・大で英語が得意だったというだけで、特別なスキルは持ち合わせていないわけです。
体しかない訳です。
親からも掃除くらいしか教わってないわけです。
笑。
とにかく、掃除します。
でしょ?英語で経済学んだわけでもない。
英語ができても商売にからめるわけじゃない。
体が動いて日常会話ができれば仕事なんていくらでもあるんです。
経済英語ができるやつが偉いかって?
うそでしょ。
悪いのはあいつらで、経済英語で悪い事したからみんなに迷惑かけたんでしょ?
あいつらは刑務所内で日常会話に経済英語を取り入れる努力をすべき。
置いといて。
オージーで、オージーの会社とタイ人経営の日本人だらけの会社からしごとをゲット!
残念なのは、一緒に働いた人達のIDが皆無なこと。
ま、縁というのは信じています。
いつか、同じようにばったり出会うであろうと。
滞在期間1年間というのは最初に予定してました。
心も揺らぎましたが、俺の予定は何ものも変えることはありません。
結果的に、
○日豪センター(?名前ははっきり覚えてない。)の張り紙。
murray streetを東に行ってシティの端らへんという位置になる。今もあるかな?時代は変わりますからね。ただ、シティの東端らへんに日本人を中心とした留学生向けコミュニティがあるのは変わってないと思います。
○現地のインターネット求人サイト(勿論英語)。
これも時代の流れでサイトもどんどん革新しているはずです。
が有効でした。
http://www.seek.com.au/jobsearch/
ありました。笑。まだ健在です。
ここ、ここのが有効でした。
ただ、ここだけじゃなくてほかにも
http://jobsearch.gov.au/default.aspx
などなど山ほどあって、全部あたったうちからです。
他にも
【豪ねっと】とかの現地在住日本人による掲示板も使えるでしょう。
(掲示板特有の嵐とかあったなぁ。海外まで来てオタクやってるやつがいたりした。笑。危機感ゼロ。)
◎
仕事ゲットの裏話をちょっと。
・オージーの会社
仕事させてのメールして、1ヵ月後。「こっちのパソコンの故障で返信が遅れました。採用となりましたので、明日何時にここに来てください。」
との旨。
もう、やったー!でテンションあがりまくって、ちょうどサタデーナイトだったのもあり、シェアメイトとウォッカ等を呑み過ぎたのでした。
案の定時間ギリギリまで寝てしまって、現地付近で迷子。
担当のローレインと連絡は取り続けるのですが、土地勘のない北西部。その辺の民家の人に道尋ねたり。
結局泣きそうになりながら、45分遅刻で到着。メチャクチャ誤りながらローレインと面会。
しかし、ここからがオージー。あせりまくった俺に対して、どうしてそんなにあせんの?みたいなポカン顔。
オージーが遅刻に寛容というのは本当でした。
今はわかるのですが、その時は仕事が終わってからの面接だったんですね。彼女的にはエクストラワーキングタイムだったんです。
早朝から始まって朝のうちに終わる仕事だったので、のんびりブランチタイムだったのです。
私は運がよかっただけでしょう。
とにかく、平謝りで平ありがとうを告げて、「月曜からしごとだから、何時に何処に来てね。」を頂いて。無事仕事をゲット。
語弊があるといけないので、仕事の場合は絶対というか時間厳守が基本ですよ。その辺は常識を持たなきゃなりません。
20分遅刻というのが2回くらいはありましたけど。
ひとつは強風で駐車場の大木がボギ!!!って凄い音をたてて折れて、車が出せなかったから。ほんとに樹齢数百年というレベルの大木ですよ。
フラットのみんなが出て来て、てんやわんや。
ローレインに電話して、「駐車場の大木が折れて車出せない。なんとかしていく。」「オーケー。」
結局、持つべきものはシェアメイト。となりのシェアメイトが一人トヨタのリッター車を持ってたので、起きてもらって貸してもらえました。
ありがとう。
・日本人だらけのタイ人の会社
日豪センターの張り紙。
車持ってる人優遇。
を見て。
日豪センター向かいのカフェテラスで面接。自分と同じワーキングホリデービザの大阪の若者でした。
ゆうきくんか。ただゆうきという名前しか覚えてない。ナイスガイでよく働く人でした。とにかく金が要るらしかったです。
彼は1年ビザのところをフルーツピッキングしたら2年に延ばせる制度を使ってて、1年以上居る人でした。他にも結構いました。
話しているうちに「帰って日本企業で犬のように働きますよ。」とか「イギリス行こうかな。」とかなってましたね。
寿司屋継ぐのが1番じゃない?余計か。失礼。
メインで一杯働いて欲しいみたいなかんじでした。
まあ、できる限りはやります。旨。
■最近、思うんですけど。
なぜにこのときがあんなに楽しかったのか。今と比べて充実していたのか。
根本的な欲求を満たしていたからだと思うんですよ。
力一杯働いて、力一杯稼いで、力一杯遊ぶ。
これ以外は付属品で、これらのどれも抜けられないはずなんです。
今は、力一杯が抜けているんですよね。
だから、付属品も美味しそうに見えない。
日本を改革したくもなるんですけど、スローライフ?にも深くに意味があるといいますか。
リスクが少ないという意味があるのは認めざるを得ないし。
かといって、このまま衰弱の一途をたどるのをだまってみているのも
癪
だし。
なんだろうなぁ?
なんでもねぇよ!
か?
この場合の力一杯はすごく重たいものを持ち上げるという意味ではありません。
悪しからず。
次回について。
~ナイトクラブの巻~