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其の6

2011年11月25日 | テイルズフロムオーストラリア
~仕事をゲット!~の巻

150万円を資本にオーストラリアへと一人旅してきたわけです。
一人旅というのは文字通り、ひとりでなんでもかんでもするたびのことです。

わりに、運も良くて、住むところや食うもの着るものには何の不自由もすることなく7ヶ月が過ぎました。

ビザの問題で1年間しかいられないのに。もう3分の2過ぎそうでした。

ちょっとまて。

シェアメイトなる奴も、地元が恋しかったらしくて出て行った。(学生に良くある長期間の休みで)

ちょっとまて。
独り暮らしだね。(出て行くまで)

ちょっとまて。
さすがの150万円も尽きそうね。
(仕事はずっと探してたけど、どこも日本人がらみでクソつまらなそうなところばっかり。
金はあるし。
インターネットあるじゃん。
オージーの求人サイト行きゃいいしー。【手当たり次第】)

ちょっとまて。
オージーの返事が来ない。。。日本人に頼もう。。。採用。。同時間。オージーも返信あり。。。採用。

オッホー。

のこり5ヶ月で、仕事が山のように来ました。
自分の要求した分だけ。
ここ大事。上記にないところもいっぱい応募して、いっぱい断られて、いっぱい採用されたうちの自分の欲しい分だけ選べました。

まあ、郷に入らば郷に従え。郷の言葉くらい解して話せ。

中・高・大で英語が得意だったというだけで、特別なスキルは持ち合わせていないわけです。
体しかない訳です。
親からも掃除くらいしか教わってないわけです。
笑。

とにかく、掃除します。

でしょ?英語で経済学んだわけでもない。
英語ができても商売にからめるわけじゃない。

体が動いて日常会話ができれば仕事なんていくらでもあるんです。

経済英語ができるやつが偉いかって?
うそでしょ。
悪いのはあいつらで、経済英語で悪い事したからみんなに迷惑かけたんでしょ?

あいつらは刑務所内で日常会話に経済英語を取り入れる努力をすべき。


置いといて。


オージーで、オージーの会社とタイ人経営の日本人だらけの会社からしごとをゲット!

残念なのは、一緒に働いた人達のIDが皆無なこと。
ま、縁というのは信じています。
いつか、同じようにばったり出会うであろうと。

滞在期間1年間というのは最初に予定してました。
心も揺らぎましたが、俺の予定は何ものも変えることはありません。


結果的に、

○日豪センター(?名前ははっきり覚えてない。)の張り紙。

murray streetを東に行ってシティの端らへんという位置になる。今もあるかな?時代は変わりますからね。ただ、シティの東端らへんに日本人を中心とした留学生向けコミュニティがあるのは変わってないと思います。

○現地のインターネット求人サイト(勿論英語)。

これも時代の流れでサイトもどんどん革新しているはずです。
が有効でした。
http://www.seek.com.au/jobsearch/
ありました。笑。まだ健在です。
ここ、ここのが有効でした。

ただ、ここだけじゃなくてほかにも
http://jobsearch.gov.au/default.aspx
などなど山ほどあって、全部あたったうちからです。

他にも
【豪ねっと】とかの現地在住日本人による掲示板も使えるでしょう。
(掲示板特有の嵐とかあったなぁ。海外まで来てオタクやってるやつがいたりした。笑。危機感ゼロ。)



仕事ゲットの裏話をちょっと。

・オージーの会社

仕事させてのメールして、1ヵ月後。「こっちのパソコンの故障で返信が遅れました。採用となりましたので、明日何時にここに来てください。」
との旨。
もう、やったー!でテンションあがりまくって、ちょうどサタデーナイトだったのもあり、シェアメイトとウォッカ等を呑み過ぎたのでした。

案の定時間ギリギリまで寝てしまって、現地付近で迷子。
担当のローレインと連絡は取り続けるのですが、土地勘のない北西部。その辺の民家の人に道尋ねたり。
結局泣きそうになりながら、45分遅刻で到着。メチャクチャ誤りながらローレインと面会。
しかし、ここからがオージー。あせりまくった俺に対して、どうしてそんなにあせんの?みたいなポカン顔。
オージーが遅刻に寛容というのは本当でした。

今はわかるのですが、その時は仕事が終わってからの面接だったんですね。彼女的にはエクストラワーキングタイムだったんです。
早朝から始まって朝のうちに終わる仕事だったので、のんびりブランチタイムだったのです。
私は運がよかっただけでしょう。
とにかく、平謝りで平ありがとうを告げて、「月曜からしごとだから、何時に何処に来てね。」を頂いて。無事仕事をゲット。

語弊があるといけないので、仕事の場合は絶対というか時間厳守が基本ですよ。その辺は常識を持たなきゃなりません。
20分遅刻というのが2回くらいはありましたけど。
ひとつは強風で駐車場の大木がボギ!!!って凄い音をたてて折れて、車が出せなかったから。ほんとに樹齢数百年というレベルの大木ですよ。
フラットのみんなが出て来て、てんやわんや。
ローレインに電話して、「駐車場の大木が折れて車出せない。なんとかしていく。」「オーケー。」
結局、持つべきものはシェアメイト。となりのシェアメイトが一人トヨタのリッター車を持ってたので、起きてもらって貸してもらえました。
ありがとう。

・日本人だらけのタイ人の会社

日豪センターの張り紙。
車持ってる人優遇。
を見て。
日豪センター向かいのカフェテラスで面接。自分と同じワーキングホリデービザの大阪の若者でした。
ゆうきくんか。ただゆうきという名前しか覚えてない。ナイスガイでよく働く人でした。とにかく金が要るらしかったです。
彼は1年ビザのところをフルーツピッキングしたら2年に延ばせる制度を使ってて、1年以上居る人でした。他にも結構いました。
話しているうちに「帰って日本企業で犬のように働きますよ。」とか「イギリス行こうかな。」とかなってましたね。
寿司屋継ぐのが1番じゃない?余計か。失礼。

メインで一杯働いて欲しいみたいなかんじでした。
まあ、できる限りはやります。旨。


■最近、思うんですけど。
なぜにこのときがあんなに楽しかったのか。今と比べて充実していたのか。
根本的な欲求を満たしていたからだと思うんですよ。

力一杯働いて、力一杯稼いで、力一杯遊ぶ。
これ以外は付属品で、これらのどれも抜けられないはずなんです。

今は、力一杯が抜けているんですよね。
だから、付属品も美味しそうに見えない。
日本を改革したくもなるんですけど、スローライフ?にも深くに意味があるといいますか。
リスクが少ないという意味があるのは認めざるを得ないし。
かといって、このまま衰弱の一途をたどるのをだまってみているのも

だし。

なんだろうなぁ?
なんでもねぇよ!

か?

この場合の力一杯はすごく重たいものを持ち上げるという意味ではありません。
悪しからず。




次回について。
~ナイトクラブの巻~

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其の5

2008年05月03日 | テイルズフロムオーストラリア

~車をゲット!~の巻



・前置き
しばらく放っておいたせいで、鮮明だった記憶がなくなりかけてしまっていました。
現在はとっくの2年ほど前に日本に帰ってきており、日本の会社に勤めていて、こちらに生活する間にあの頃を忘れつつありました。(実際に言葉遣いも、前に比べてこちらの俗っぽいものになってきています。嫌なもんですが、ちょっと急いでるんですんません。)
今日自分で読み返すうちに、このまま放って置いたら思い出せなくなる危険があると気付いて、バタバタと綴ります。
綴るうちにまだまだ思い出せるようです。

輝きが色褪せて、一般論にすり替わってしまう前に・・・



【登場人物】
☆私
→ワーキングホリデービザで一年間、豪州に滞在する。動機はゴルフを思う存分したいから。

☆いわのさん
→若いころの事故(確かバイク)で車椅子生活を送るバスケマン。私が本当に出会った奇跡。

☆その他の取巻きの人たち数名
→いわのさんの周りの人たちとか、職場の人とか、まだ色々。




ワーキングホリデー(以下WH)での、パースにおける一年間の滞在生活において、
ごく個人的ですが、もともと車がないと成り立たない人間であるという人間性からもありますが、
最初から最後まで車は絶対に必要だという信念を持っていました。

実際それで正解だったと思うのです。

仕事も2つ兼ねて持てましたし、なにより、
日本人が一人もいない本当に外人ばかりの職場で、外人を相手に外人と共に働くことができたのが本望でしたし、なによりの収穫でした。
シェアメイトは車を持っておらず、シェアハウスは郊外にあったので買い物には車は必需品ですし、大量に買い込めるので大いに便利でしょ。
なぜ周りの人たちは車を持たないのか不思議でしたが、まぁそれで持ってる自分に付加価値がついたわけですから。
それがコミュニティということなんでしょうね。今納得。

さて、本題。

いかにして車を手に入れるのか、
ここではとりあえず、私がどうやって車をゲットしたのかで行ってみます。

だいたい、WHであるとか語学留学で滞在している人が車をゲットするには、やはりシェアハウスと同様に(前章を参照のこと)、
・日本人向けのエージェント
・語学学校
・日本食レストラン
・インターネットカフェ
・ネット内の日本人豪州滞在者が作ったホームページにある掲示板
(とても便利です。住んでる地域など色々と絞り込んで、欲しいものなどをやり取りできます。)
等の掲示板にある募集からアプローチすることになります。
私も上記の全てにあたって、たくさんのメモをとりました。

余談でしょうが。
あの時、なぜそう思ったのか、
オーストラリアに着いてわずか2週間の時点で、私はすでに車を持っていました。
人間性がそうさせたのでしょうか。
私は上記の通りのゴルフ好きで、クラスでも事あるごとにゴルフの話をしていたのです。
そのうちにクラスメイトも乗ってきて、
「じゃあ、ゴルフ部作ろう」
と何度も話すようになって、私的にもそりゃ大歓迎ですから。
その話ばかりになるにつれ、
「なら、車がいるねえ。」
という話になって、
「どの道買うんやから、今買おうかね。」
というのもあったのかも知れません。
そのクラスメイト達、
女の子が3人くらいで、男が1人の合計4人だったのです。
そのうちの1人の女の子が器量が良くて、確かもうすでに半年くらいは滞在していたWHの人だったのですが、
その娘が情報通といいましょうか、ものを良く知っていたので、私はよく相談にのってもらっていました。
今思えば非常に良い娘でした。感謝しています。いい出会いでした。
あなたはこんな所は読まないでしょうが、とりあえず。
まあ、自分も滞在が長くなると色々と人の世話は進んでしてあげましたし、
それが本来の人間社会のあるべき姿で、普通のことなんですけどね。
いまとなっては、なかなか難しいというか、感覚が鈍ってしまうのが現在なんですよね。
こうやって振り返ることって大切ですね。
日々にかまけて大切なことを忘れてしまうと、ささいなことでも間違いを犯してしまいますよ。歴史もそう言っています。
私は、あの経験があったおかげで、この大切な事を今どうにか手放さずにつかめているようです。
きっと大切に持ち続けて、役立てていきたいです。

まあ、余談でしょうが、
そのクラスメイトたちとのゴルフ部活動は実行しました。
続きはしないんですけどね、分かり切った事でしたからよかったんですけどね。
結局、その女の子3人は、打ち上げで行ったフリーマントルという街の名物である生牡蠣を食いながらビールを飲みたかっただけのようでした。
とてもいい思い出です。しみじみ。
とにかく、車を早急に手に入れることになったキッカケのひとつになったわけですから。
感謝。謝謝。
さもなきゃ、基本のんきな自分は出遅れたのかもしれなかったのですから。
当時、ホームステイ先で出会った日本人2人(前章参照)と、夜の寒空の下で他愛もない話をつまみにビールを飲むこともなかったのですから。

また、本題にもどります。

さて、たくさんのメモを取りました。
それでもやはり、当時の自分には直接外人と取引をすることに対しての不安はぬぐえませんでした。
結局私は、
・ネット内の日本人豪州滞在者が作ったホームページにある掲示板
から車をゲットいたしました。

この物語を無視しては、前に進みませんので行きます。

さあ、車の欲しい私はエージェントの所に行って、1時間3ドルだったか詳しい値段は憶えないですが、安くはないお金を払って、【豪ねっと】といういわゆる現地人コミュニティサイトにアクセスを続けたのでした。
掲示板に、
・2500ドルくらい出せます。
・走ればいいです、こだわりなし。
・○月△日までにお渡しください。
パースより。
との旨を掲示したのでした。
いろんなところのメモももってはいたのですが、どれも危険なにおいがプンプンしたり、高すぎたりしていたので、手を出しあぐねていたのです。
すると、2日後くらいに私の【豪ねっと】の掲示板に返信が来てくれました。
いわのというひとでした。
・ちょうどパースからシドニーに移ることになったので、車譲ります。ちょっとぼろいので2000ドルで良いですよ。マツダの20年物で、4ドアハッチバッグ。
とのことでした。

ちょっとオーストラリアのことに興味がある人なら知ってると思いますが、
向こうは関税なんたらかんたらのおかげで、新車は半端なく高いのです。
私のシェアメイトは、私が出て行くころに日本で90万円で売っているスズキのスイフトという車を、160万円で購入しました。
グレードとかぼったくりもあるのでしょうが、2倍です。
事実です。
だから、オーストラリアでは20年物であろうが、性能がよければいくらでも町を走っています。

それを自分は目の当たりにしてましたし、なによりすぐに欲しかった物ですが、ちょっと不安があったので、意味もなく日本の家族に相談してみたりもしました。
家族も「いいんじゃないの?」みたいなことをいってくれたので決心をして、すぐにお願いしますの旨を伝えて、翌日に会ってみせてもらうことにしました。
ちなみに、家族にはNZに留学した経験のある兄がいます。

翌日、いわのさんに会いました。
髪も髭も不精になってて、少し驚いたことに車椅子の方で、運転するのに特別な装置をつけておられました。
そういう方だったので、お茶でも飲みながらとかいうわけにはいかず、
乗ってみるが一番わかるよ。
ということだったので、悪い人ではないだろうと思い、少しドライブをしたのでした。
自分は車椅子バスケットのプロみたいなもので、パースのチームに所属しているんだけど、これからは遠征でシドニーに数年いくことになるから、ちょうどよかったんだ。あさってにはちょうど発つんだ。
君はいいタイミングなんだ。
ということを言われていました。
私は、ブレーキが度々キィーーッ、キィーーッとスクリーチング(金きり音をあげる)する以外はどこも気にならなかったので、問題ないので買います。と商談を決めて、いわのさんからこの車の扱い方・注意点・交通ルールの違いなどをしっかり聞きながら、コーヒーをダッシュボードにこぼしてしまい、
「ああ!すいません!」と謝り、
「明日には君のだからいいんだよ。」といわれて、
「そっか。」
とかいって笑ったりしました。

翌日にはお金を渡して、車を手に入れました。
いわのさんは車を持ってくる際に、白人の友達と2台で来ました。
話を聞いていると、どうやらそのマツダはその白人のかたの所有物で、いわのさんはレンタルしていたようで、友達もちょうどいいから売ろうという旨でした。
そんなことはどうでもよかったんです。
ただ、いわのさんの英語があまりにも我流だったので、少し変だなと思ったのは事実です。
本当に今から一年前くらいまではその微かな疑念というのは持ち続けていました。
失礼なことなのですが。

一年間のうちに修理をしたのは4回だけという充分な成績を残したのですから。
なんの文句もあってはならないのです。
ただただ感謝するのみなんです。
でも、私も車を大いに愛して、いくつもの難点をともに愛を持ってクリアしたのも本当です。

しかし、あの微かな疑念も一年くらい前に、何気に見ていた
【情熱大陸】
というテレビ番組で吹っ飛びました。
なんと、パースのプロ車椅子バスケチームで活躍する岩野博さんが特集されていたのです。
本当に驚いて眼を疑いました。
これは私が出会った本当の奇跡でした。

【岩野博の日記】
で彼のブログを検索してみてください。
http://blogs.dion.ne.jp/paracan/
人は見かけによらないものです。見かけで判断したりすると大変な失礼をすることになってしまいます。
彼の英語が我流だったのも、ただ純粋にバスケがしたくて、ただそのための英語だったからなんです。
本当に素晴らしい人なのでした。
画像がその人です。
髪も髭もさっぱりして見違えましたが、間違いなくあの方です。

私はこのような素晴らしい方々に支えられながら、WHの一年間を無事に過ごせて、かけがいのない経験をさせてもらうことができたのでした。

車をゲットすると、いろいろといいことがあります。
・シェアメイトや同僚に大いに貢献できる。
・自由に観光できる。
・ゴルフに行ける。
・仕事が複数もてるし、選択の幅がひろがるし、給料もはるかにいい(白人の働く職場とか、日本の大企業はやけに)。ただ、それなりのコミュニケーションができる英語はいるでしょうし、当たり前に気持ちがないと採用は難しい。
・仕事で頼られる。
・終電がない。
・いつでもコンビニ、マックに行ける。
・水族館、海水浴など気軽に行ける。
などなど多数。

おすすめします。

やっぱり、最初のスタートアップは日本人を介するのが正解でしょう。
慣れてきたらオージー相手に1人でDEALしましょう。
何にも知らないまま行くと、相手にもそれがすぐにわかります。
物騒な世の中ですから、自分をしっかり持って、自分に見合った行動に徹するべきです。
自信があっても、自信が持てるようになるまではいくらしたくても控えるべきです。
出来ることからこつこつと。です。
自信なさげのふらふらしている人というのは、相手からすぐにわかります。
いい人ばかりならいいのですが、悪用する人もいるのが現在の世の中です。
むかーしからかもしれませんが、とにかく文明化していくにつれ、物騒になっていくのは事実のようです。

とにかく、奇跡に感謝。
みんな、ありがとうございます。

次回は、そうですね。
~仕事をゲット!~
でいきましょうかね。

では、また会いましょう。


つづく。
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其の4

2006年10月22日 | テイルズフロムオーストラリア

~語学学校の巻~

【登場人物】
☆私
→ワーキングホリデービザで豪州に一年間の滞在をする。その上でいくつかの事象に対面し、相応の対応をしていく。
☆その他、数名
→私の周りにいて、何かしらの関係を持った人々。



ワーキングホリデー(以下WH)に行く人の大半は、現地についてから己の英語力を磨こうと〝語学学校(English College)〟に行くのです。
これは私のWHにおけるバイブルとなった《地球の歩き方 WH版~失敗しない留学~》みたいな名前だったと思いますが、それに載っていました。
事実、ほとんどの人は語学学校にいっていました。
いってないという人には会わなかったからです。
行ってない人には会えないのかもしれませんが。
少ないですが、職場やらであったりする日本人のWHビザの人は100%行ってました。
これは其の1あたりを見ていただければよかったのか・・・。

ここでは、語学学校で体験したことだけ書けばよかったのか。


前述したように、私は本に書いてあったとおりに日本からインターネットで現地の語学学校に問い合わせて、申込書を受け取ってファックスで送りました。
注意:英語じゃないと通じません。
それから、国外へのファックスはコンビニとかではできませんでした。
一年ちょっと前のことではありますが。
kinko'sっていうオフィスサービスみたいなのあるじゃないですか?街に。
結局はあそこに辿り着きました。300円くらいで一枚送ってくれました。
海外にファックスっていうのは簡単じゃないんだなあと思った次第です。

上記のようにしていたため、現地に着くとお迎えがあって在学中の宿は確保されていました。なにしろ行く前というのはめちゃくちゃ不安ですから。もし、今から別の国に二回目のWHに行くというのなら語学学校なんか頼まないで、バックパックだけで現地に飛びますけどね。それで十分だから。

私は元々英語には変に自信があったので、何ヶ月も行く必要はないと思っていたので、最短コースの4週間を選びました。しかも午前中だけという最安コースでもあります。
主に、当面の宿のための語学学校だったわけです。

さて、いよいよ語学学校初日です。
同日に入学する人は結構いました。15人くらいはいました。
国籍は、日本・ロシア・南米・韓国・東南アジア・ヨーロッパとまさに世界各国から来た人たちでした。
日本人はやはり多かったです。全体の5分の1、いや4分の1くらいは日本人でした。
後から聞いた話によると、国籍によって受講生の払う授業料は違うらしく、日本人で稼いでいるということでした。
私はインターネットから申し込んだので、基本的な値段で出来たのかもしれません。ちなみに、4週間で宿代含めて12万円くらいでした。
まあ、悪くはないといまでも思います。が、自分の予算からすると痛いことこの上なかったです。

新入生は図書室に集められて、それぞれの自己紹介・クラス分けのためのテスト・街の案内を受けました。
街の案内から帰ってくるとテストの採点は終わっており、自分のクラスはインターミディエイトという真ん中のレベルよりも一つ下のクラスになっていました。
自信に比べて低く、焦りましたが、まあみなさん気にしないが正解です。
後から思うのは、あちらの語学学校もビジネスですから、少しでも多く利益を出そうとするものです。自分なんかは、最安値コースを取っているものですから、もっと勉強をしてもらってもっとお金を払ってほしい対象なのです。
自分のレベルは少なくとも平均には達している、その上でもおかしくないと自負しているので、昇級テストなどに燃えようと思ったのですが、その昇級のシステムに疑問を感じずにはいられなかったので、このレベル分けは無視することにしました。
誰かにレベルを問われても言うには言いますが、参考にはならないということも付け加えることにしました。
また、そこにこだわるような人とは付き合えないし、付き合わないと決めました。
自分のWHとして、結果はそれで正解でした。

さて、その昇級システムですが、昇級テストは月に一回ということでした。反対にクラスを下げるか否かのテストは毎週あるのですが。
私が選んだコースではもう昇級は無理であるという事実だけだったんですね。
もし私がレベルにこだわる人間だったのなら、4週間契約のところを1ヶ月2ヶ月と延ばしているのでしょう。払う金額は2倍とかになるのでしょう。
ミエミエで臭かったのでさっさと引くのでした。
後で聞いた話ですが、昇級テストで落ちる人間というのはほとんどいないということです。馬鹿みたいな話しです。自分も3ヶ月コースにいたのなら、アドバンスドという上級のクラスにいたということになります。
一年間通ったという人に会いましたが、一番下のクラスから一番上のクラスまで上がったそうです。

初日はそのクラス分けをするだけで、午前は終わってしまったので午前中コースの自分は用がなくなってしまい、ホストハウスに帰りました。

翌日の二日目からクラスは始まりました。
10人くらいのクラスだったのですが、やはり日本人の割合は多くて4分の1を占めていました。
日本語で通じるようなクラスでしたね。
みんながみんなWHビザで来ているというわけではなく、半分くらいは学生ビザで8ヶ月の語学留学に来ているということでした。
学生ビザとWHビザの違いは、学校を休めないというところと働くにも制限があるかないかということでした。
学生ビザで来ている人たちは大金をはたいているとのことでした。

自分は折角お金を払って授業を受けているのですから、めちゃくちゃ積極的にクラスに参加して働きかけました。
卒業のときに通知表のようなものをもらうのですが、そのまま上記のことが書かれていました。たしか、まだ取ってあると思います。
確かに、親切に英語を教えてくれるオーストラリア人というかネイティブスピーカーにはお金を払わないと出会えてないです。
結局、英語はネイティブスピーカーに教えてもらうのが一番の近道ですし、正解です。
私は日本にいるときでも雇われネイティブスピーカーから英語を教わりますが、現地での生活で一番役に立ったのは、彼らから教えてもらったことばかりでした。
しかし、雇われネイティブスピーカーも仕事ですからいい加減には教えません。
いい加減におしえてもらえないことが現地の生活では痛手になります。
だって、あなたもそうじゃないかとは思うのですが、親密な相手とは堅苦しい話し方なんてしないでしょう?
打ち解けたリラックスした状態で本音などを相手に伝えますよね。
現地の人たちとも本音で、打ち解けたリラックスした状態で話せないと本当の関係は築けないというのが自分の信条なんです。
自分は日本人で日本に住んでいますが、本当に打ち解けて本音を話す人なんていうのはごく少数です。その人たちは人生において大きな意味を持つ、命を左右するような人たちです。
私には現地の人たちにとってのそういった存在になることが大きな目標でした。
幸い、オージーというのは国民性が非常に人懐っこく、通り行く人たちにですら、なれなれしく砕けた挨拶をするような人たちでしたので、そういった授業では教えてくれない方言的な表現が生活をしているだけでもたくさん学べる環境でした。
つまり、学校で学ぶような英語も必要ですが、肝となるのは打ち解けたフレーズです。
日常生活ではほぼ90%ほどのフレーズが砕けたものなのですから。

話しを戻しますが、あのクラスにいて思ったことというのは、クラスに英語の勉強をしに来ているというタイプの人が少ないということでした。
とりあえず来たはいいが、何しにきたんだったっけという人たちばかりでした。
大半は2ヶ月以上の契約で来ていて、実りもなく後悔しているということをよく聞きました。
いろんな人がいてもいいのですが、大概が後悔しているというのが現状でした。
お好きにどうぞ。としかいえませんが。

結局、自分にとっての語学学校というのは、当面の宿等の確保が目的だったわけでして、その後の宿にも大きく役割を果たしてくれた(~ゲッティング ア シェアハウスの巻~参照)のでとても感謝をしているし、大いに意義のある存在であった。
ということを述べさしていただいて終わりにしたいと思います。


次回は車をゲット!みたいなことをやろうかと思います。
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其の三

2006年06月05日 | テイルズフロムオーストラリア
~ゲッティング・ア・シェアハウスの巻~

【登場人物】
☆私
→ワーキングホリデービザでオーストラリアに一年間の滞在をする。


其の二で述べたように、ホームステイした後はシェアハウスでシェアメイトとシェア生活をすべしなんです。
理由は安いから。

私のケースは人柄同様にレアなケースです。
まず、
〝シェアハウスに入りたいなら大体2週間前には取引を終わらせておく。〟
という常識を知りませんでした。
そりゃそうですよね、突然には住人も出て行けないですしね。
そんなこと知らずに、〝一週間前からで十分だろ〟と高をくくってました。
語学学校の友達ともたいして付き合いがなかったのが出てます。

さて、一週間前からシェアハウスを探し始めました。
かなり焦っていました。
なぜなら、あのホストハウスから一刻も早く出たかったからです。
理由は、プライベートがゼロ・洗濯できない。からです。

街にある、日本人向けのボランティアみたいな無料エージェントを利用して探しました。
利用するのは掲示板だけですが。
その掲示板には、いろいろな条件が書かれたいろいろなタイプのシェアメイト募集の掲示が、年を通してたくさんあるのです。
・オージーの男性が日本人女性を募集するタイプ。
→一般的には、日本人女性はこちらの人達には大ウケです。今はどうか知りませんが。
・単なるホームステイビジネス。
・詐欺がかったどう見ても怪しいシェアメイトウォンテッド(オージーによるものと見られる、いつ行ってもある)。
・喫煙者を拒む募集。
・女性オンリーの募集。
・良心的な募集。

そんなこんなで、日本人男性で喫煙者の自分にあてはまる募集というのはたくさんある中でも少しで、絞り込みやすくて親切でした。

自分にも譲れない条件というのがあるので、さらに絞られていきました。
ちなみに条件は、
・インターネットができる。(自分のPCが使えれば申し分無し)
・プライベートルーム
・$90/週くらい。
これです。
なかなかないのですよ。これがまた。

まあ、大体かすってるやつとかも含めつつメモ帳に網羅しました。

一番最初に行ったところは、
日にちがぴったし・$60と安いという理由で行きました。
丸字であきらかに若い日本人の女の子が書いたものでした。
行ってみたところ、定年を超えた日本人女性にデレデレしたいだけのエロオージー親父が次のかわいい娘を探しているだけでした。
[名言集]
・日本人の男は嫌い。トムというやつだけは良かった。(多分、とも○○みたいな名前の奴が、英語ぽく「トムです。」とか自己紹介したんでしょう。)
・なんて時間に来てんだ、無礼だ。(21:00前後)
・なんで髪が長いんだ。ファック!
・ジェラシーを感じる。(自分がその娘達と話し込んでいたため。ちなみにかなりかわいい娘という感じだった)

ま、絶句しました。
翌々日に『かわいい娘が入るから、君じゃないよ。』という返事を頂きました。
ま、絶句ということで。

次に行ったところは、
オージーの中年がオーナーで、日本人の若い男子学生が一人いる所にいきました。
なんか、ジェームス・ディーンのポスターが通路に飾ってあって、全体的に手の行き届いているお洒落なところでした。
正直、なんか頭も無いくせに格好だけつけてる奴らという印象がありました。
ちなみに、自分はTシャツ+ジーパン+ワークブーツで特に洒落っ気はないのです。
髪の毛もボサボサですし。
そんな自分を見た瞬間のやつらの反応はすぐわかりましたね。
さっと目をそむけて、ダセー。ヒップじゃねえ。みたいな反応でした。
ダメかなと一瞬悟りつつも、あの家から出たい一心でお願いしますとの旨を告げました。

えっと、返事は未だなしです。

この時点で、期限まで2日しかありませんでした。

翌日の予約をとりあえず3件ほど取ってあったので、それにかけました。
一日に行ける件数も3~4件が限界でしょう。そのなかで決まってしまわなければ、また洗濯はできないですし。
自分は当時もうすでに車は持っていたのですが、上記の件数が限界です。

期限の前日、学校から帰って早速出向きました。
まず1件目。
実際に10分くらい遅刻しました。西と東を間違えてしまって。〝近くにいるんですけど、どこですか?〟の電話を入れたのです。
→「あなたともう一人がブッキングしていたのですが、その人に決めました。」
はうっ、そうですか。残念です。

2件目。
前の家からそう遠くはなかったので、すぐ行きますの電話をして向かっていたところ。
電話が鳴りました。
「やっぱり住人が明日には出て行けないらしくて、すいません。」
はっ!?
いきなり!?
5分の間に!?
少し落ち着いてかんがえました。
自分は車を持っていることを伝えていました。
彼らはどんな車が来るのかを期待していたんでしょう。
大体彼らは車を持っていない。
どうせ乗るならイケてる車が良い。
残念ながら自分のはクソおんぼろ。
アパートの窓からみて、『あれはだめだ。』という采配が出たのでしょう。

軽く茫然自失。

まだあと1件ある。
詳しい場所を知らなかったので、住所確認を電話でしたところ。
「○○ですけども、明日からは無理なんです。」
はっ!?
予約した時に明日からでもいいですかと聞いたら、
いいと言った奴等がことごとくドタキャンしやがるんです。

突然の不幸に私は・・・完全に茫然自失。
3分でしたか、5分でしたか。エクトプラズムが穴という穴から出て行くような気分で動けませんでした。
時は夕暮れ。こっちの人達は晩は働きません。街が静まっていきます。
はあ、また洗濯できないのか。
・・・・

その時、自分の中に眠っていたあきらめない心が目を覚ましたのを確認しました。
なんのためにたくさんメモしたんだと。
いつでも入居可。これをキーワードに探しました。
最初はこのキーワードは危険性をはらんでいると思っていました。
・いつでも入居可
・ADSL
・プライベートルーム
この条件が残っていたので、電話をしました。

返事はいつもどおり、女性の声で「いいですよ。今は買い物中なので7時くらいに。」
まだ安心できません。
駅に着いても1時間の待ち時間がありました。
30分待った所で居てもたってもいられずに電話してしまいました。
「今、すでに駅にいますけども、どのくらいかかりますか?」
「じゃ、今から行きます。」
マジで?
来ないんじゃないかと不安にかられながら10分ほど待ったところ、3人のアジア系がこっちに歩いてきました。

よおく見ると、一人見たことがあります。
語学学校でタバコすってた時に隣で吸ってた人です。
『ああ、見たことある!』
語学学校に入ってて良かったと思ったのはこの瞬間でした。
ナイスコミュニティー!
車はぼろいけれども走るという旨をつげると、それなら問題ないよなという軽いOK返事を頂きました。
格好にこだわらない気さくさが優しかったです。

どうやら、私には申し分のない条件にも関わらず、入りたがる人がいなかったようで私は即歓迎されたのでした。
明日から来るという無理のある条件も飲み込めるほどの十分な環境がこのコミュニティにはあります。
香港人留学生が同じアパートに、2人それぞれに部屋を借りているので、住人は隣のリビングに移ってくれるというのです。

そうして翌日、私は目を覚ますと颯爽とホストハウスに別れを告げると、シェアハウスに向かいたどり着くと、晴れて溜まった洗濯物を洗う事が、そしてプライベートを過ごす事・インターネットに接続する事ができたのでした。


シェアハウス生活については凄く長くなるのが必死なので、またの機会に。
車のことについても重要なので、別の章で書くこととします。
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其の二

2005年12月02日 | テイルズフロムオーストラリア
『主人公』
☆私
・・・ワーキングホリデービザで、オーストラリアに在留中。現在、こちらに来て、4ヶ月目。実は、こちらに来たのはゴルフを思う存分したいがため。



~ホームステイの巻~

語学学校に入学というか、なんかの申し込みをしていたので、
オーストラリアについてからのお迎えや、寝るところは手配してもらえていたのです。

成田空港までが2時間。
成田空港からここまでが13時間くらいなので、普通に行って15時間のフライト。
こっちについたと思ったら、濃霧のために近所の国内線の空港に一旦停止して、
霧がなくなるまで待って、再度国際空港へ。
その近所の空港まで片道1時間半。往復3時間。
霧が消えるまで1時間待ったので、結局4時間余計にかかってしまいました。
さらに、細かな荷物検査とその待ち時間で1時間。

家を出てから現地に着くまでにかかった時間、
合計20時間。

私は、メシ食ったり・備え付けのテレビみたいなので映画とか観てたり・寝たりしてたので、
退屈はしなかったです。

かわいそうなのは、語学学校から手配されたお迎えの人。
濃霧のせいで5時間くらい待たされたのだと思います。


さて、お迎えのワゴンに乗って、まずは語学学校へと向かいました。

着きました。

「へっ!ここ?」
まあ、小さな都市を選んだのは私でしたが、すっごくこじんまりとしています。
都市全体が。
こぎれいでわかりやすいのがいいところです。

とは言え、想像していたのは、ビル1棟だったのです。
全てが1/10スケールでした。

まぁ、3秒くらいで、
「どうでもいいか。」
と納得しました。


いよいよ、ホームステイ先へ向かうことに。

○私の想像
奥さんが1人と、子供が2人。
海の近くなので皆マリンスポーツが好き。
プールつきの家、豪勢であるはず。
学校から帰ると、子供達といろいろと会話をして国際交流する。

ホヮヮワーン。

○現実
家に着いたが、誰一人いない。
そりゃそうです。5時間も予定から遅れているのだから。
お迎えさんも仕事なので、一緒に待つのも気の毒と思い。
一人で待つから帰ってていいです。
といって、一人で中庭にて待つことにしました。
うん、確かにプールつき。
でも、やっぱり1/10スケールです。
キーワードは、1/10スケールでしょう。
彼らは超無用心です。玄関は確かに鍵をつけてますが、裏庭に通じるドアには鍵をしていませんし、
裏口にも鍵がついていません。
昔のご近所のようにくだけた社会なんでしょう。平和です。

しばらくして、人が帰ってきました。
わあ、どんな人かいな。んっ、かなりたくさんの人の気配。
帰ってきたのは5人でした。
何!?どういうこと?理解不能です。

とにかく、はじめましてよろしくの旨を伝えて、部屋を紹介してもらいました。

つまり、こういうことです。

確かに、家族は3人です。私のところに来ていた通知は一年前のものでして、
一番上の子は大学に行っていて、すでに一人暮らししていて、そこにはいませんでした。

しかし、家にいた総数は8人、最大時10人で、私を含めて6人~8人をステイさせていたのです。
6部屋もプライベートルームはありませんよ。
私は2階の広間で、3人の香港ボーイズと一緒の部屋でした。
それはそれで、面白かったです。1ヶ月の予定ですし。まあいいかと。
しかし、国際交流というレベルのものではなかったです。

でも、そういうことなら、事前に伝えてくれと。
こっちは、想像ふくらまかして、家族の写真とかお土産とか用意してきたりしてる。
まあ、ホストマザー・ランドレディにはお土産あげましたけれども。

よく言われていたことを後で知ったのですが、
ホームステイビジネス。
というものだったんですね。

ビジネスなのか、なんなのかわかりませんが、メシはすごい適当というか、
どうやったらかような薄味になるのかというものでした。
でも、ガーリックトーストは普通に美味かったです。

洗濯もなんなんだろうかというくらい、きれいにならない。
むしろ臭って帰ってくるのです。
物理的に無理です。
洗濯が満足にできなかったのが、一番の苦痛だったかもしれません。

日曜日には、家にいる人で近い海まで散歩して、お茶したりしました。
そのときの海沿いの公園の写真です。
ああ、芝がきれい。

あそこにいた1ヶ月で、韓国の女の子・香港ボーイズ・中国人留学生、
そして、2人の日本人男性と会いました。
高校生と社会人で、どちらも2週間の語学研修ということでした。
8月の真冬の夜空の下、ビール飲んで笑ったりしました。
なんについて笑ったのか、くだらない話だったのもありますが、
ホームステイビジネスの空虚さに笑ったのもあったでしょう。


総じて、たいした出来事ではないのですが、
私が体験したホームステイというのは、こういうものでした。

語学学校で知り合った人たちも、そうなのですが全体的に、ホームステイはビジネスのようです。
しかし、国際交流気分でやっている人もいました。ビジネスとしては小さく。という意味で。
なんなんでしょうか。運でしょうか。
ほとんどの人はエージェントを通して、ステイ先を決めてもらっているようでした。
私はそれがなく、語学学校に直接頼んだからそうなったのでしょうか。
まあ、私はワーキングホリデーで来ていて、お金をあまり使いたくなかったので、
こうなったといわれれば、それ相応だったと思います。

お金でしょう。
お金を出せば、それ相応のステイ条件が得られるのでしょう。

しかし、どうせビジネスなら、国際交流は望めないだろうと思う今日この頃です。

私自身に魅力がないから、国際交流できないというのもあります。


ホームステイの時には、いろいろなものを期待しないほうがいいのだろうなと、
私はすぐに感じたのでした。

ホームステイでダメでも、まだ先にシェアハウスというものも残っているのですから。
どうってことはないのです。
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其の1

2005年09月24日 | テイルズフロムオーストラリア
『登場人物』
☆私
・・・ワーキングホリデービザで、オーストラリアに在留中。現在、こちらに来て、2ヶ月目。実は、こちらに来たのはゴルフを思う存分したいがため。



~あらすじ~の巻

〝地球の歩き方のワーキングホリデー版〟を読んで、現在に至っています。
全ての準備は、この本の通りにやりました。

そこには、
①語学学校に入学申し込み、同時に当分のステイ先も用意してもらう。
②語学学校に通いながら、シェアハウスを探す。

この通りにやって、現在シェアハウスに住んでいます。

本では、この先は
◎日本食レストラン等でバイトして
◎お金がたまったら、ラウンド(オーストラリア中を回る事)する。
◎そして帰る。
みたいな感じになっていたと思います。

これが大方のあらすじということですね。




画像は北のほうの町にある、普通の公園。
しかし、オーストラリアは芝が素晴らしい。
どこの公園も素晴らしく手入れされた芝で覆われてます。
そして、またどの公園もデカイ。
また、たくさんある。
ってほかの都市は知らんけどね。
ゴルフ場も期待ができるわ。って
パブリックで安いところに行きましたが、そうでもなく、かなり削られているという印象がある。
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