令和の現代では「ASカー」といっても通じないかも知れませんが、それまでの“赤電”とは一線を画す性能とカラーリングで登場した西武101系はASカー(All round Service Car)と呼ぶにふさわしいカッコイイ電車なのでそう呼ぶことにします。しかもびっくりマーク「!」付です。どんだけ好きなんでしょう。。笑
しかしわが家には第一線で活躍する101系の写真は悲しいことに数枚しかありませんでした。そのうちの1枚がこちらで、1975年頃に新宿線の沼袋~新井薬師前間で撮影したようです。番号は読めませんが既に集中クーラーで冷房化されているのが分かります。
ということで、「チョットだけよ」のつもりで床板に手をつけたzugプラキットが、あれよあれよという間に「床下機器取付完」になってしまったという話を正直に書きたいと思います。
前回の投稿で書いたように、キット(新101系)の床下機器を組み替えて配置すれば95%ぐらいはイケると踏んでいたので取付はスムーズでした。EN22で動力化するので、M1車の主抵抗器や主制御器などの裏側を1/3程度削ってモーターとウエイトが入るようにします。
元々大ぶりな床下機器ですがMGがひときわ大きく、冷房化後を想定したとしても大きすぎるうえにディティールがほとんど無いので、ボナの旧型国電用に置き換えることにしました。ただ、これだと逆に小さすぎ、足して2で割ったぐらいの大きさのパーツは無いものかとモンモンとしております。
とりあえず余りの床下機器を風洞に見立てて貼り付け、所定の位置に接着しました。ん~~ちっちゃい。。笑
キットに含まれないものはスクラッチしたり、別の床下機器を削って似せたりしながら何とか埋めていきます。これはコンプレッサーとセットで付くアフタークーラーで、波板を2枚背中合わせにして表現しました。
取り付けるとこんな感じで思わずムフフ・・・です。
ブレーキ制御装置は、登場時は中身がむき出しのものが設置されていましたが、後年、箱に入ったものに換装されたようです。その時期がいつなのか分かりませんが、とりあえずキットには箱型のものが入っているのでそれを取り付けておきます。取付足の部分が抜けていないため、お座なり感満載ですが向こうが見えるように穴を開けておきました。
台車枠もシャープにデザインされたパーツが入っていて、真鍮フレームに軸受などを半田付けして組み立てると走行化できるのですが・・・
真鍮フレームがt0.3ぐらいしかなく心もとないため、特に荷重のかかる動力車は日光のFS372に置き換えることにしました。その他の付随車はこのフレームを2枚重ねにしたらどうかと考えています。
空気バネとボルスタアンカはキット付属のパーツを所定の位置より少しガニマタ気味に取付けまず。このぐらいの回転の自由度があればR610の通過も大丈夫でしょう。ちなみにギヤはカツミのAceギヤ(WB=26mm)で、マクラバリはエンドウの「MPボルスターE」を組合せています。
センターピンは、床板のセンターピン穴をφ3.2に広げたうえでキットのバラパーツを組立てて使います。ただし付属のM2ビスは長すぎるので、M2×8mmビスに置き換えています。写真ではビスが床板に埋まっているように見えますが、ギリギリ脱線しない程度の自由度は確保できています。
ということで4両分の床下機器の取付がすべて終わりました。この勢いで車体も組んじゃいますか♪
しかしわが家には第一線で活躍する101系の写真は悲しいことに数枚しかありませんでした。そのうちの1枚がこちらで、1975年頃に新宿線の沼袋~新井薬師前間で撮影したようです。番号は読めませんが既に集中クーラーで冷房化されているのが分かります。
ということで、「チョットだけよ」のつもりで床板に手をつけたzugプラキットが、あれよあれよという間に「床下機器取付完」になってしまったという話を正直に書きたいと思います。
前回の投稿で書いたように、キット(新101系)の床下機器を組み替えて配置すれば95%ぐらいはイケると踏んでいたので取付はスムーズでした。EN22で動力化するので、M1車の主抵抗器や主制御器などの裏側を1/3程度削ってモーターとウエイトが入るようにします。
元々大ぶりな床下機器ですがMGがひときわ大きく、冷房化後を想定したとしても大きすぎるうえにディティールがほとんど無いので、ボナの旧型国電用に置き換えることにしました。ただ、これだと逆に小さすぎ、足して2で割ったぐらいの大きさのパーツは無いものかとモンモンとしております。
とりあえず余りの床下機器を風洞に見立てて貼り付け、所定の位置に接着しました。ん~~ちっちゃい。。笑
キットに含まれないものはスクラッチしたり、別の床下機器を削って似せたりしながら何とか埋めていきます。これはコンプレッサーとセットで付くアフタークーラーで、波板を2枚背中合わせにして表現しました。
取り付けるとこんな感じで思わずムフフ・・・です。
ブレーキ制御装置は、登場時は中身がむき出しのものが設置されていましたが、後年、箱に入ったものに換装されたようです。その時期がいつなのか分かりませんが、とりあえずキットには箱型のものが入っているのでそれを取り付けておきます。取付足の部分が抜けていないため、お座なり感満載ですが向こうが見えるように穴を開けておきました。
台車枠もシャープにデザインされたパーツが入っていて、真鍮フレームに軸受などを半田付けして組み立てると走行化できるのですが・・・
真鍮フレームがt0.3ぐらいしかなく心もとないため、特に荷重のかかる動力車は日光のFS372に置き換えることにしました。その他の付随車はこのフレームを2枚重ねにしたらどうかと考えています。
空気バネとボルスタアンカはキット付属のパーツを所定の位置より少しガニマタ気味に取付けまず。このぐらいの回転の自由度があればR610の通過も大丈夫でしょう。ちなみにギヤはカツミのAceギヤ(WB=26mm)で、マクラバリはエンドウの「MPボルスターE」を組合せています。
センターピンは、床板のセンターピン穴をφ3.2に広げたうえでキットのバラパーツを組立てて使います。ただし付属のM2ビスは長すぎるので、M2×8mmビスに置き換えています。写真ではビスが床板に埋まっているように見えますが、ギリギリ脱線しない程度の自由度は確保できています。
ということで4両分の床下機器の取付がすべて終わりました。この勢いで車体も組んじゃいますか♪
私が東京区部から西武沿線に引っ越したのが1969年で、その年に生まれた黄色い101系を見ることがあっても顔を見ることはなかなか叶わず、どんな顔が妄想していたことがありました。(701系顔、あるいは後年の401系みたいな顔とか)
思い出はさておきブレーキ作用装置のカバーですが、私が初めて見たのは1975年に冷改された701系からの記憶があるので、101系もその頃から付いたと思います。HSCとHRDの違いはありますが、1977年登場の2000系も最初からカバー付きでした。CPは当初AK-3ですが、後年HB-2000に交換された個体も多数存在していました。製作期間が長く冷房など更新も多いのでバリエーションは多岐に亘る車両で、それだけに作り甲斐もあると思います。
ASカーという名称を知っているのは昭和時代のおじさんくらい(笑)ですが、懐かしく感じました。西武のことならある程度はわかりますし、製作記楽しみにします。
関西私鉄がスーパーカーやらジェットカーやら威勢のいい名前を付けていたのに対して、関東勢はNSEとかDRCとかちょっとスカしたネーミングが多くて好対照でした。ASカーがその延長上にあるかは不明ですが、もはや西武ファンでも使わない(知らない)ほどになったことは確かでしょう。というか、もともと定着しなかった愛称選手権に出してもいいくらいなのかも知れません。笑
ブレーキ作用装置にカバーが付いた時期は私もいろいろ考えた末に、お説のとおり701系がHSC化された1970年代半ばぐらいが怪しいと想像しております。
台車については、キットのものはお察しのとおりWB=26mmで汎用性を考えてのことと思います。今回は26mmのギヤの手持ちがあったので日光にしました。以前に上信500形を仕立てた時は確かエンドウのFS372と27.5ギヤを使っていたはずです。
まだ登場時の非冷房時代か冷房化後か迷っているのですが、「お面」パーツが来ない事には始まらないので、しばらくは資料集めに勤しみたいと思います。