愛犬GINGAが16歳という天寿を全うして、天国へ旅立ってから今年で12年目になりました。
命日は2月29日ですが、オリンピックと一緒で4年に1回しか廻って来ない日です。
1988年4月に犬好きの妻が知人から生後2ヶ月の雄の仔犬をもらってきました。
母親が血統書付きのシベリアン・ハスキーで、父親は秋田犬というその仔犬はとても愛らしかったです。
それまでは犬嫌いだった僕もその仔犬を一目見て家で飼う決心をして、その仔犬に"GINGA"という名を付けました。
GINGAの子供の頃は顔にハスキー犬特有の隈取がはっきり分かるほど出ていたのですが、成長するにつれてそれが何故か薄くなり始めました。
大人になってからはほとんど隈取が目立たなり、顔はすっかり白っぽくなってしまいました。
僕と妻は子供が大好きでしたが、僕達の間に子供はできませんでした。
でも、その代わりに愛犬GINGAが家族の一員になりました。
GINGAは子供の時から利口で、僕達夫婦の言う事を良く聞く大人しくて良い子でした。
死んだふりをするのがとても上手で僕が指をピストルにしてGINGAに向け「バーン」と叫ぶと、脚を折曲げて崩れ落ち横倒しになります。
その後で首をがくっとさせてから目をつぶり最後はぴくりとも動かなくなります。
俳優も真っ青(になるかも知れないほど)の迫真の演技でした。
普段から表情も豊かで上目使いや流し目も大得意・・・まるで人間みたいな奴でした。
棒たら(干した鱈)と馬刺しと食パンが大好物で体重は23~25kgほどありましたが、普通のハスキー犬と比較すると一回り以上小さくて痩せ型でした。
何度も病気をしてかかりつけの獣医さんのお世話になりながらも長生き出来ました。
しかし、死ぬ2ヶ月前ほどから足腰が弱ってしまい寝たきり状態になりました。
それまではとても元気だったのですが・・・
2004年2月29日午前4時前・・・愛犬GINGAは僕と妻に看取られながら永遠の眠りに就きました。
彼は今でも僕の心の中で生き続けています。
GINGAのことでは他にもいろんな思い出がありますが、何故か笑える話ばかりです(;^_^A
彼は僕に似て端整な(?)顔立ちには相応しくないほど三枚目的な行動をとりました。
例えばその一番のいい例が被り物が好きな事です。
僕が普段被っている野球帽はもちろんJA(農協)の帽子・麦藁帽子・耳あて付きの防寒用の帽子、それだけでなくタオルでのほっかむり・「根性」という文字が入っている日の丸の鉢巻などです。
決して僕が彼に強制している訳ではなく本人が喜んでやってます。
嘘じゃないです!本当なんです!(; ̄□ ̄A
それまで住んでいた会津若松市内から妻の実家があるこの町に引っ越してきたばかりの頃GINGAはとんでもない事をしでかしました。
あろう事か妻の母上の背後から忍び寄り、いきなりその腰めがけて両前脚でとび蹴りを喰らわせたのです。
彼女は倒れたまま腰を抜かして動けなくなりました。
GINGAは悪びれた様子が微塵もなく、彼女に怒鳴られても反省の色さえ見せませんでした。
奴としては挨拶のつもりでやった事なのでしょう。
あと・・・GINGAと散歩していた時のでき事ですが、農道を歩いていると前方の電信柱のてっぺんでトンビが2羽向かい合ってとまっていました。
それはまるで恋人同士が愛を語り合っているかの様に見えました。
その様子を下から見上げていたGINGAは目をつぶり大きく深呼吸をひとつすると、「ワン!!」と大きな声で叫びました。
驚いたトンビは2羽がほとんど同時に飛び立ち、何と上空で正面衝突してしまったのです。
まるで悪夢のような光景でしたが、地上スレスレまで落下したものの2羽のトンビは辛うじて体勢を立て直した後各々別方向へと飛び去って行ったのです。
おお、まいがあぁぁぁーーー!!!
GINGAは何て罪深い事をしたのでしょうか( ̄Д ̄;;
あ、それから、これも散歩中の出来事でしたが・・・
GINGAには必ず朝と晩に1回1時間位の散歩をさせ、その時間に大・小の用を足させるようにしていました。
彼はとても良い子だったので、大の時はしゃがむ前に必ず僕に目で合図を送ってよこします。
僕はすかさず地面に新聞紙とか大き目の広告のチラシを敷くと、GINGAはその上で用を足すのです。
それをそっくり丸めててビニール袋に入れ持ち帰ります。
こうすればアスファルトの舗装路でも汚す事がありません。
そう・・・あの時も、いつものように始末をするために丸めようとしていたんです。
そしたらいきなり後から誰かに声を掛けられた様な気がしたので、立ち上がって後を振り返りました。
その瞬間紙の中にあったはずの○んちがスルっ・・・ポットンっ!
GINGAの背中の上で立派なとぐろ虫がほかほかと湯気を立てていたのでした。
何と言う事でしょう?!・・・僕とGINGAは顔を見合わせ、長い事固まったまんまの状態でした。
なんじゃこりゃ、結局僕の失敗談じゃないか!?
_| ̄|○
おち(○んち)がついた所でこの長文をここで切り上げたいと思います。
笑うなーーーー!!!(;`O´)
何と二つも三つも共通するお話でした。
記念すべき日が2月29日 私は誕生日ですが…。ギンガ・・と読むお名前。
エンターテーメントぶり・・・
そしてそして・・・
家のタロウ猫ですが…共通点がありました。
また訪問させていただきます。
楽しく読ませていただいていました。
かぶりものをしたGINGA君のちょっと困ったようなそれでいて自慢気な表情に癒されていました。
久しぶりのGINGA君登場で嬉しいです。
大型犬ゆえの共通の思い出がたくさんあります。
「オチ」には、がまんできず声を出して笑いました。
笑うなーて言われてもね。ムリです。
私は足腰が弱ぅているアミの腰を支えながら、用をたさせていたら、「ん」が私の足の甲の上に乗ったという「オチ」がありまーす。
賢そうな子です。うちにも実家で17年頑張った雑種が居ました。
雌で臆病でカラスにバカにされて石を落とされたり。
お散歩行くといろんなエピソードに出会いますよね。
動物って特にワンコは人間のような表情をよくするように思います。
家族が大切にしているからだと思います。
GINGA君も素敵なご両親がいて幸せな一生を過ごしたことでしょうね
むかしは わんこを飼ってことがあります
むしろわんこ歴のほうがながいくらいです
わんこはやはりにゃんこにない魅力もあります
それより わんこもにゃんこもひとたびいっしょに暮らせば大事な大事な家族ですよね
一緒に暮らした思い出は かえがたいものです
わたしの家のわんこはジョン子といいました
よくほっかりをさせていたのを思いだしました
思わず微笑みながら読ませていただきました。
ハスキー犬だったのですね。
我が家の前犬もハスキー犬でした。
ハスキー犬は大柄ながら気持ちが優しいんですよね。
やっぱり15歳くらいで旅立って逝きましたけど
忘れられるものではありません。
GINGA君、きっと虹の橋のたもとで奥様と一緒に
いつかの日、Micchiiさんを待っておられると思います。
まだまだ待たせることになるでしょうけどね。
写真のGINGA君、本当に被り物が好きなのですね。
あの顔を見たら納得です。
こんばんは、GINGAくんのお話しとても楽しい
想いでですね。
ワンコ達と暮らしていると、ほんと、色々やって
くれちゃったり、癒してくれたり、私なんかは、
慰められています。
ワンコ達にしたら、そんなに顔を押し付けないでよって、
言ってると思いますけどね。
大切な家族ですね。
素敵な思い出いっぱいだと思います。
ちなみに息子の誕生日は2月28日なんです。
なにかを感じますね。
2014年に旅立った我が家の白シュナちぃ君の事を想い出しました。
GINTAくん、とても優しい顔立ちのお子さんだったんですね。
かしこくて・・・
では、また。
ハイ
そしたら、かわいい、(^^)
綺麗な顔ですね、よ!!男前、
我が家も、私が子供のころから、何代もの犬を飼いましたが、
それぞれ、思い出がありますね。
今のチャコは、一番わんぱくのような気がします。
もうすぐ1歳、そしたら少しは落ち着くのかな~~
思い出したら尽きないエピソードがあることと思います。
その中のいくつかのエピソード、楽しく読ませて頂きました~。
本当に和ませてくれたり、笑わせてくれたり忘れられないですよね~。
中でも、帽子やほっかむりは、ワンコさんを大事に飼っている飼い主さんなら、
皆さん経験があるんじゃないかな?
かくいう私もその1人でしたから・・・
GINGA君もミックスだったのですね。とっても凛々しい良いお顔をしてますね~。
我が家のはな子も、チャウチャウのお母さんとどこかのお父さん(多分?柴犬)との間に生まれたミックスでした。
で、私もそれまで犬は苦手だったのですが、コロンコロンの子犬にすっかり魅了されてしまい、
それからず~~っと一緒のベットで寝起きを共にしていました。
20歳を目前にした夜中に亡くなった時も、私の腕の中でした。
HPを始めた動機もはな子で、そこからブログにも繋がって今に至ります。