日曜日のお昼は知り合いが店主をしているそば屋へ食べに行きました。
そのそば屋はのどかな田園地帯の集落内にあり、店名は「水車(くるまや)」で、このブログでも以前ご紹介したことがあります。
一見すると何の変哲もない「田舎のそば屋」ですが、お昼時にはあっという間に満席になってしまいます。
それもそのはず、そば打ち歴45年のそば打ち名人である店主が打つそば粉100%のそばの味は絶品なんです。
神業としか言いようのないくらい均一に切られた超極細のそばの味は喉越し最高です!
その日に打つ分だけ挽いて作られるそば粉は贅沢な事にそばの実の中心部分だけから取れる一番粉です。
その一番粉だけを使用し、つなぎなしで打たれたにも関わらずコシの強いそばの色は透き通るような白さです。
しかも、そのそばは自家栽培で、種蒔きから収穫まで全て店主一人でやっているのです。
ここのそばのメニューは通常ざるそばと天ざるそばの二つしかなく、他は冬季限定の地鶏そばのみです。
この日は天ざるそばの方の普通盛りを注文しました。
普通盛りとはいっても他の店の大盛りくらいの量なんですよ。
この店の大盛りは他の店の二杯分くらいあるはずです。
ここでは席に着くとまず「揚げそば」が出てきます。
そばの切れ端を生のままで素揚げして軽く塩を振ったものです。
注文したそばができるまで、この揚げそばをつまみそば茶をすすりながら待ちます。
運ばれてきた天ざるそばにはお碗の中で冷たい清水に浸かった「水そば」がついています。
この水そばを一口で一気にすすり込むとそばの香りと甘味が口中に広がります。
その後は挽きたて打ちたて茹でたての三拍子揃った美味しいそばを甘口のタレでじっくりと堪能しました。
抹茶塩をつけて食べる揚げたての天ぷらは、からっと香ばしく揚がっていてとても美味しかったです
この天ぷらの食材は野菜・山菜・きのこなどですが、季節によって異なります。
今日はアスパラ・舞茸・ドホ(山菜)・レンコン・クレソンなどでした。
久々に美味しい天ざるそばを食べて幸せ一杯の気分でしたYO~♪
今日は仕事の帰りにいつもの温泉保養施設「糸桜里(しおり)の湯」に直行しました。
湯上りに冷たいそばを食べたいと思っていたら、券売機の「冷かけそば」の文字が目に入りました。
夏季限定メニューのそばが早くも始まったようです。
氷が入ってキンキンに冷えた冷かけそばには大根おろしとねぎとたっぷりの海藻類に梅干も入っています。
まいうーヾ(@⌒¬⌒@)ノ で、後味さっぱりぃ~
暑い日はやっぱこれに限るぜ☆ミ
今日はそんなに暑くはなかったけど・・・まっ、いいか~(^^ゞ
帰ろうとしてテーブルから立ち上がった時、2,3歳くらいの女の子が僕の前に来るとニコニコして「バイバ~イ」って言いながら可愛く手を振ってくれたので、僕も「バイバイ、又ね~」って手を振りました。
普段は小さい子がそばによってくる事などほとんどなかったのでとてもうれしかったです。
この糸桜里の湯には亡き妻と二人だけでよく通ったものでした。
妻はいつも風呂上りに大ジョッキの冷たい生ビールをごくごくやっていました。
目を細めながら美味しそうに飲んでいる妻の笑顔を眺めるのが僕の小さな幸せでした。
今日はお昼前から喜多方市山都町(やまとまち)に行っていました。
駅前の「じんべい食堂」で昼食にタンメンを食べた後で、とある場所に向かいました。
その場所とは山都駅東南にある「一の戸川橋梁」下の土手です。
この橋梁は全国の鉄道ファンの間では昔から撮影の名所になっています。
ここに来た目的はこの橋梁を通過するSLのC61-20号機(C61ばんえつ物語)を撮影するためです。
この日は数え切れないほどたくさんの車と大勢の方々が現場周辺に集まっていました。
その全員が山都駅を12:47に発車するC61を今か今かと待ち構えていたのです。
そして、ついにその瞬間がやって来ました。
チャンスはたった一度きり・・・高鳴る胸を抑えるようにしながらシャッターボタンを押し込みました。
イメージ通りにはいかなかったけど、ちゃんと写っていて良かった!~(^_^)v
撮影の後は「みちくさ通り」にある「茶房 千」でお茶してから帰りました。
ここの名物「そばシフォンケーキ」がとても美味しかったです。
※山都駅と一ノ戸川橋梁
明治29年1月20日に郡山・新津間を結ぶ鉄道を建設するために岩越鉄道(現在のJR東日本磐越西線)が設立されました。
岩越鉄道の名称は岩代の国(現在の福島県西半部)と越後の国(現在の新潟県本州部)から由来しています。
山都駅は明治43年12月15日に開通し、今年で105周年を迎えます。
明治政府がすすめた近代化事業のひとつ鉄道の敷設は山や川が多い山間部においてはトンネル・橋梁などの難工事が続きました。
一ノ戸川橋梁は16支間445m・高さ24mの長大な鉄橋で、完成当時は東洋一の規模を誇っていました。
中間の1支間(7連目)が上路式ボルチモアトラス橋で残り15支間がプレートガーダー橋ですが、どちらも「アメリカンブリッジ」社製です。
ボルチモアトラスは現存例が少なく、現在でも使用されているのは本橋の他はわずかに4本のみです。
橋脚は花崗岩を積み上げて作られています。
この橋梁の完成も山都駅開通と同時期でした。
今日帰宅して地元テレビ局の夕方の生ワイド番組を観ていたら、とても喜ばしいニュースが報じられていました。
お隣の河沼郡柳津町で老舗お菓子屋さんが火災による焼失から立ち直り地元で営業を再開したとのことです。
そのお店は「元祖粟饅頭(あわまんじゅう) 岩井屋」さんです。
春のお花見や秋の紅葉見物などで柳津町を訪れた際には岩井屋さんでふかしたての粟饅頭をいただきながらお茶するのが習慣になっていました。
しかし、一昨年10月29日の明け方にその岩井屋さんから出火し、店舗・工場・倉庫・住宅など計5棟を全焼しました。
全てを失った岩井屋さんは火元になり周りに迷惑をかけたという責任を感じ地元を離れてゼロからの再出発をしました。
その後営業再開を待ち望む地元柳津町民の方々や修学旅行で柳津町を訪れた中学生達など全国のお客様達から寄せられた温かい応援に後押しされた岩井屋さんは地元に戻る決心をしました。
そして元の店舗の向かいにあった空き店舗を改装し、1年数ヶ月ぶりに地元復活を果たしたのです。
岩井屋さんの勇気とがんばりに心からの拍手を送ります。
僕も近い内に岩井屋さんの粟饅頭と名物栗饅頭を食べに行きたいです。
※写真は焼失前の岩井屋さんです。
今日は休日でしたが、あいにく昼前から雨が降り出してきてしまいました。
それにもめげず、今日もSLのC61-20号機(C61ばんえつ物語)を撮影しに出かけました。
撮影場所は喜多方駅構内です。
降りしきる雨の中を力強く走るC61の雄姿に感動し、後姿を見送りながら思わず拍手をしてしまいました。
従来より磐越西線で営業運転をしていたC57-180号機(SLばんえつ物語)は現在全般検査施工中のため、このC61が5月のみ代走します。
今後の運行予定日は16(土)・17(日)・23(土)・24(日)・30(土)・31(日)となっています。
なお、C57は7月に復帰の予定です。
※C61-20は1949年にD51-1094のボイラーを流用して製造され、新製から286万9,889kmの距離を走行し、1973年に廃車されました。
2010年1月より復元作業が開始され、2011年6月4日に復活営業運転が開始されました。