田舎者ですが(^◇^)

会津の四季やローカルな話題、日常の出来事などを不定期ながら少しずつ綴っていきます。

咲き誇る水仙

2016-03-31 00:20:22 | 

家の裏の水仙がほぼ満開になっています。
つい先日咲いたばかりだと思っていたのですが・・・
咲き始めたのは昨年より2週間も早かったです。
ひょっとしたら、3月中に咲いたことは今まで無かったかも知れません
撮影したのは咲き始めてしばらくしてからの27日と満開になった昨日30日の朝です。

※僕にとっては懐かしのメロディであるブラザーズ・フォー(Brothers Four)の『七つの水仙(Seven Daffodils)』はこちらで視聴出来ます。

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♪ふくじゅ草の咲く頃♪

2016-03-28 21:36:20 | 

土曜日(26日)は午前中から喜多方市山都町沼ノ平(ぬまのたいら)地区へ行って来ました。
ここには福寿草の群生地があり、毎年開花期間中には「福寿草まつり」が開催されます。
今年(第19回)は27日(日)から開催の予定でしたが、開花が早かったために急遽1週間繰り上げての開催となりました。
会津に春一番を告げる「幸福の花」を観るのは久しぶりのことでした。
歩きやすいように整備された遊歩道を1時間近くかけて散策しました。
前半は曇りがちだった空も後半からようやく青空になり、日も射してきて開いた花が黄金色に輝くのをちょっとだけ観ることが出来ました。
福寿草の花を愛(め)でた後はここの名物沼ノ平そばに舌鼓を打ちました。
お土産はそばまんじゅうにしました。

※タイトル「ふくじゅ草の咲く頃」と同名の曲をYouTubeのこちらで視聴出来ます。

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会津山都寒晒しそばまつり2016

2016-03-25 22:22:16 | グルメ

春分の日には喜多方市山都町体育館で開催された「第19回会津山都寒晒しそばまつり」に行って来ました。
「寒晒しそば」とは江戸時代に信州高遠藩より徳川将軍家に献上されていたという特別なそばです。
その作り方は・・・1年の内寒さの最も厳しい大寒の時期に極寒の渓流にソバの実をまず浸しておきます。
それを10日ほどで引き上げて、更に20日ほど寒風に晒して乾燥させます。
これを製粉してそば打ちすれば、弾ける様な食感の素晴らしいそばが出来るのです。
そばは庶民の食べ物と思われていますが、将軍家では民衆の食べるそばとは違うこんな超贅沢なそばを食べていたのです。
山都では将軍家ゆかりのこの寒晒しそばを会津のソバの品種「会津のかおり」で再現しました。
会津山都寒晒しそばまつりでは以下の3種類のそばを味わうことが出来ます。
さらしなそば(一番粉)・・・ソバの実の中心部分の15%程度しか採れないそば粉だけを使って打ったそばです。
このそばは色が白くて透明感があり、甘みが強くて弾むようなコシを楽しめます。
あらびきそば(一番粉・二番粉・三番粉)・・・石臼をゆっくり回して丁寧に製粉したそば粉で打ったそばです。
粗い粉と細かい粉が混ざっているため、味も良く食感も優れています。
田舎そば(二番粉・三番粉)・・・主に二番粉と三番粉を使って打ったそばを山都ではこう呼んでいます。
食感は荒々しいそばですが香りや味が強く、温かいかけそばにしたり大根おろしと一緒に食べると美味しさを楽しめます。
この日は1ヶ月以上前から予約・購入しておいた前売りチケット(2,500円)で3種類(計4杯)の寒晒しそばと郷土料理・天ぷらを賞味しました。
とても・・・とても・・・とても美味しかったですYO~♪
これで「山都三大そばまつり」も目出度く制覇することが出来ますた。
あ、それから・・・「茶房 千」の出店でそばスイーツを女神様へのお土産に買いました(^_-)-☆

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久しぶりだな「はせ川」さん♪

2016-03-20 16:19:34 | 喜多方ラーメン

昨日の「喜多方ラーメンDEランチ」は久しぶりで「はせ川」へ行きました。
喜多方では今や押しも押されぬ人気&実力No.1の店です。
店の場所は駅からは遠い郊外でしかもわかりにくいのにも関わらず毎日全国各地からお客さんが続々とやって来ます。
多分最新型のカーナビに導かれながらここまで来れるのでしょうね。
店の前にはテントが設けられ中にはたくさんの丸椅子が置いてあります。
この日は1時少し前に到着したのですが、テント内には30人弱ほどの方が待っていました。
まず入り口で名前を書いた後ここで座って待っているとお店の方が注文を聞きに来ます。
「醤油かけラーメン」にチャーシュー「一本乗せ」と「半熟味玉」をトッピングして注文しました。
名前を呼ばれて店内に入ったのは20分後でした。
一人とか二人だけだと何故か早く呼ばれるみたいです。
入った途端にダシの何とも言えぬいい香りが鼻をくすぐりました。
強烈に食欲を刺激され、お腹の空き加減がピークに達した頃にラーメンが運ばれて来ました。
あ"あ"あ"~~~ヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ☆☆☆☆☆
魚介ダシオンリーのスープなんですが丹念に漉してアクを完全に取り除いているようです。
澄み切ったスープはくせがなく後味さっぱりなんですよ。
「和豚もち豚」のチャーシューは超柔らかジューシーでとろける美味しさです。
大盛りにし忘れてしまったラーメンはあっという間の完食ですた☆ミ
これじゃ足りないもう一杯!・・・と言いたかったけど、ぐっと我慢しました(^◇^)

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土曜日の雲

2016-03-15 23:55:56 | 日記・独り言

土曜日(12日)は休日だったので午前中に喜多方市内のコインランドリーで洗濯をした後、陽華楼でお昼にしました。
この日は「豚肉とキャベツのみそ炒め定食を食べましたが、そのボリュームは半端無かったです^^;
豚バラ肉が何枚も入っていて食べ応え最高ですた~!
帰宅してから空を見たらいろんな形の雲が浮かんでいたので写真に撮ってみました。
雲の色がもう少し白かったら空はもっと綺麗に見えていたかも知れません。

 

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陽華楼の担担麺もようかろう☆ミ

2016-03-10 23:41:09 | 喜多方ラーメン

土曜日は仕事の後で久々に「喜多方ラーメンDEランチ」しますた。
ランチの場所は喜多方では一番お気に入りの店「陽華楼」でした。
ここのおかみさんとはもうすっかり顔なじみになっています。
この店のメニューの中で唯一まだ一度も食べたことがないものがありました。
それは担担麺でした。
この日はその担担麺と餃子を食べました。
担担麺の香ばしいゴマの風味に食欲がそそられました。
辛いものはあまり得意ではない僕にも丁度いい辛さでした。
ピリ辛だけど激ウマの超濃厚スープを一滴残さず飲み干しました。
ヾ(@⌒¬⌒@)ノ タンタンカラウマヒィ

ついでといっては何ですが、もうひとつラーメンの話題を・・・
こちらは喜多方市ではなく地元の町の店です。
日曜日の午前中はいつもの床屋さんで散髪した後「らーめんとん吉」で昼食にしました。
その名が示す通りこの店のメインは会津では数少ないとんこつラーメンです。
ですが、この日はとんこつ系ではないみそチャーシューメンを食べました。
日曜日限定の「鶏塩ラーメン」とのどちらにするか迷ったのですが、炙り焼きチャーシューの魅力に惹かれてこちらを選びました。
期待通りの美味しさですたYO~♪
ヾ(@⌒¬⌒@)ノチャーシューウマヒィ

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ハイビスカス1号

2016-03-07 20:49:50 | 

土曜日(5日)の午前中に病院のハイビスカスが一輪開花しました。
今年になって記念すべき第1号の花ですが、夏の花なのにこの時期に咲くなんてびっくりです!
ハイビスカスは三日目の本日も元気でした。

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愛犬GINGAのこと

2016-03-05 00:00:32 | ペット

愛犬GINGAが16歳という天寿を全うして、天国へ旅立ってから今年で12年目になりました。
命日は2月29日ですが、オリンピックと一緒で4年に1回しか廻って来ない日です。
1988年4月に犬好きの妻が知人から生後2ヶ月の雄の仔犬をもらってきました。
母親が血統書付きのシベリアン・ハスキーで、父親は秋田犬というその仔犬はとても愛らしかったです。
それまでは犬嫌いだった僕もその仔犬を一目見て家で飼う決心をして、その仔犬に"GINGA"という名を付けました。
GINGAの子供の頃は顔にハスキー犬特有の隈取がはっきり分かるほど出ていたのですが、成長するにつれてそれが何故か薄くなり始めました。
大人になってからはほとんど隈取が目立たなり、顔はすっかり白っぽくなってしまいました。
僕と妻は子供が大好きでしたが、僕達の間に子供はできませんでした。
でも、その代わりに愛犬GINGAが家族の一員になりました。
GINGAは子供の時から利口で、僕達夫婦の言う事を良く聞く大人しくて良い子でした。
死んだふりをするのがとても上手で僕が指をピストルにしてGINGAに向け「バーン」と叫ぶと、脚を折曲げて崩れ落ち横倒しになります。
その後で首をがくっとさせてから目をつぶり最後はぴくりとも動かなくなります。
俳優も真っ青(になるかも知れないほど)の迫真の演技でした。
普段から表情も豊かで上目使いや流し目も大得意・・・まるで人間みたいな奴でした。
棒たら(干した鱈)と馬刺しと食パンが大好物で体重は23~25kgほどありましたが、普通のハスキー犬と比較すると一回り以上小さくて痩せ型でした。
何度も病気をしてかかりつけの獣医さんのお世話になりながらも長生き出来ました。
しかし、死ぬ2ヶ月前ほどから足腰が弱ってしまい寝たきり状態になりました。
それまではとても元気だったのですが・・・
2004年2月29日午前4時前・・・愛犬GINGAは僕と妻に看取られながら永遠の眠りに就きました。
彼は今でも僕の心の中で生き続けています。

GINGAのことでは他にもいろんな思い出がありますが、何故か笑える話ばかりです(;^_^A 
彼は僕に似て端整な(?)顔立ちには相応しくないほど三枚目的な行動をとりました。
例えばその一番のいい例が被り物が好きな事です。
僕が普段被っている野球帽はもちろんJA(農協)の帽子・麦藁帽子・耳あて付きの防寒用の帽子、それだけでなくタオルでのほっかむり・「根性」という文字が入っている日の丸の鉢巻などです。
決して僕が彼に強制している訳ではなく本人が喜んでやってます。
嘘じゃないです!本当なんです!(; ̄□ ̄A
それまで住んでいた会津若松市内から妻の実家があるこの町に引っ越してきたばかりの頃GINGAはとんでもない事をしでかしました。
あろう事か妻の母上の背後から忍び寄り、いきなりその腰めがけて両前脚でとび蹴りを喰らわせたのです。
彼女は倒れたまま腰を抜かして動けなくなりました。
GINGAは悪びれた様子が微塵もなく、彼女に怒鳴られても反省の色さえ見せませんでした。
奴としては挨拶のつもりでやった事なのでしょう。
あと・・・GINGAと散歩していた時のでき事ですが、農道を歩いていると前方の電信柱のてっぺんでトンビが2羽向かい合ってとまっていました。
それはまるで恋人同士が愛を語り合っているかの様に見えました。
その様子を下から見上げていたGINGAは目をつぶり大きく深呼吸をひとつすると、「ワン!!」と大きな声で叫びました。
驚いたトンビは2羽がほとんど同時に飛び立ち、何と上空で正面衝突してしまったのです。
まるで悪夢のような光景でしたが、地上スレスレまで落下したものの2羽のトンビは辛うじて体勢を立て直した後各々別方向へと飛び去って行ったのです。
おお、まいがあぁぁぁーーー!!!
GINGAは何て罪深い事をしたのでしょうか( ̄Д ̄;;
あ、それから、これも散歩中の出来事でしたが・・・
GINGAには必ず朝と晩に1回1時間位の散歩をさせ、その時間に大・小の用を足させるようにしていました。
彼はとても良い子だったので、大の時はしゃがむ前に必ず僕に目で合図を送ってよこします。
僕はすかさず地面に新聞紙とか大き目の広告のチラシを敷くと、GINGAはその上で用を足すのです。
それをそっくり丸めててビニール袋に入れ持ち帰ります。
こうすればアスファルトの舗装路でも汚す事がありません。
そう・・・あの時も、いつものように始末をするために丸めようとしていたんです。
そしたらいきなり後から誰かに声を掛けられた様な気がしたので、立ち上がって後を振り返りました。
その瞬間紙の中にあったはずの○んちがスルっ・・・ポットンっ!
GINGAの背中の上で立派なとぐろ虫がほかほかと湯気を立てていたのでした。
何と言う事でしょう?!・・・僕とGINGAは顔を見合わせ、長い事固まったまんまの状態でした。
なんじゃこりゃ、結局僕の失敗談じゃないか!?
_| ̄|○

おち(○んち)がついた所でこの長文をここで切り上げたいと思います。
笑うなーーーー!!!(;`O´)

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桃の節句とひな祭り

2016-03-02 22:47:10 | 季節

明日3月3日は、五節句の一つである「上巳(じょうし)」です。
上巳とはすなわち「桃の節句」の事です。
ちなみに、五節句とは「上巳」・「人日(1月7日)」・「端午(5月5日)」・「七夕(7月7日)」・「重陽(9月9日)」です。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、上巳は上旬の巳の日という意味で3月上旬の巳の日だったのですが、後に3月3日になったそうです。
そして、旧暦の3月3日は丁度桃の花が咲く季節であったところから「桃の節句」と呼ばれるようになったらしいです。
桃の節句に欠かせない恒例行事と言えば女の子の祭典「ひな祭り」ですよね\(^▽^)/
ひな祭りの起源についても前述のフリー百科事典などで調べてみました。
古来中国においては、「上巳」の日に川で身を清めて不浄を祓(はら)う習慣がありました。
これが平安時代の日本に伝わった結果、後になって人の形を紙で作った「形代(かたしろ)」に穢(けが)れを移してから川や海へ流して災厄を祓う祭礼になったのです。
この風習は現在でも「流しびな」として残っています。
やがて京の貴族階級の子女達の間で、天皇の御所を模した御殿や飾りつけで遊ぶ「ひなあそび」が始まり、それが武家社会にも広まって行きました。
江戸時代になると庶民の人形遊びと節句が結びついて行事としてのひな祭りに発展して行ったのだそうです。
以来桃の節句のひな祭りは、女の子の厄除けと健康祈願のお祝いとして庶民の間にも定着しています。
そういう意味では、特に初節句のひな祭りのお祝いは単なるお祭りではなく、お七夜やお宮参りと同じく女の赤ちゃんのすこやかな成長を願う行事なんですよ。
ですから、気持ちの問題だからなどの理由でお祝いを省略したりしないで初節句にはおひな様をちゃんと飾ってきちんとお祝いをしなければいけないですよね。
おひな様は、赤ちゃんに降りかかる災厄を、代わりに引き受けてくれる災厄除けの守り神のようなものですからね。
何でこんな事を言うのかと申しますと、実は・・・何を隠そうこの僕はその昔家具店に勤務していた頃、初節句を迎える女の赤ちゃんがいらっしゃるご家庭をひな人形のカタログを携えながら一軒一軒飛込み訪問セールスをさせていただいた経験があるんですよ。
販売したひな人形の配送時は、商品に異常が無い事を確認する為もあるので必ずその場で飾ってこなければなりません。
そのために女性の先輩から飾り付けの猛特訓を受けており、当時は七段飾りのおひな様も1時間ほどあれば説明書なしでも一人で完璧に飾りつけることができるようになりました。
あれから何十年も経ってますが、多分今でも昔取った杵柄(きねづか)というやつで飾りつけはできると思います。
ひな人形の飾り方が分からなくてお困りの方がいらっしゃいましたら是非お声を掛けて下さいませ~!!
出張で飾りつけもいたしますよ~・・・あ、でも今年はもう明日が3月3日だから無理っぽいかも~
灯りをつけましょぼんぼりに~(^○^)~ちゃららっちゃ♪

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