今年も4月~9月の主に土・日・祝日に限り「SLばんえつ物語」号が運行されています。
「SLばんえつ物語」号はC57-180号機+専用客車(7両編成)の組み合わせになっています。
C57-180は1946年生まれで、大きな動輪と細いボイラーにより優美に見えるその姿から「貴婦人」という愛称で親しまれてきました。
1969年に廃車となった後は新津市の小学校の校庭で静態保存されていました。
1999年に動態復元され、磐越西線を走る季節定期列車「SLばんえつ物語」号として復活をとげました。
牽引される客車は12系を改造し、木目調を多用した内装や車体の配色など大正ロマンを彷彿とさせるレトロな雰囲気を漂わせています。
今日は久々に「SLばんえつ物語」号に会うため喜多方駅へ二度足を運び、往路(13:08)と復路(15:51)の両方を撮影して来ました。
どちらも停車時間はわずか2分間で余裕はあまりなかったのですが、今までの経験を活かしてイメージ通りの写真が撮れました。
昼食に食べた駅前の丸見食堂のネギチャーシューメンが美味しかったです(^^♪
ブログがしばらく放置状態になってしまい、申し訳ありませんでした。
そこで、昨日は12:30まで仕事をしてから最寄りの喜多方駅に駆けつけました。
駅前広場では喜多方市山都町の県立耶麻農業高等学校の生徒さん達が制作した「花のオブジェ」が駅を訪れる人達の目を楽しませていました。
SLの「C57-180号機」に牽引された「SLばんえつ物語」号専用客車7輌が1番線ホームに到着したのは13:06頃でした。
「SLクリスマストレイン2016」のヘッドマークを装着していました。
客車内にはモールとかのクリスマスデコレーションがされているようでした。
真ん中の展望車(4号車)にはクリスマスツリーが設置されているということでしたが、スモークガラスのため外から車内の様子を窺うことは出来ませんでした。
それでも、SLばんえつ物語号のクリスマストレインを見れたのはこれが初めてだったので感動しました。
短い停車時間(2分間)があっという間に過ぎてしまい、クリスマストレインはホームから走り去って行きました。
帰り際に「きたかた喜楽里博(きらりはく)」のマスコットキャラクター「みんべえ」君と会ったので写真を撮らせてもらいました。
駅の近くの「櫻井食堂」で遅い昼食をしました。
「蔵ラーメン(しょうゆ味)」と餃子と鶏もつ焼を食べました。
お腹が空いていたので超美味しかったです(^^♪
4月から始まったふくしま春の観光キャンペーン「福が満開福のしま」は本日30日がファイナルでした。
これに先立ち26日(日)には磐越西線の新潟~会津若松を「SL福が満開ファイナル」号が往復走行し、キャンペーンのフィナーレに花を添えました。
この列車は「SLばんえつ物語」号が変身したもので、編成はC57-180号機+ばんえつ物語専用客車7輌(定員338名)となっていました。
当日限定の特製ヘッドマークを装着したSLを一目見ようと思い喜多方駅へ行って来ました。
当初は会津若松駅まで行く予定でしたが、撮影の際にはかなりの混雑に巻き込まれる恐れがあることを考慮し断念しました。
結果的にはそれが正解だったみたいで、短い停車時間の中でもほぼイメージ通りに撮れて良かったです。
昨日・今日の両日JR只見線の特別列車「SL只見線新緑号」が会津若松駅と会津川口駅間を往復しました。
只見線で5月にSLが走るのは5年ぶりですが、昨年11月には「SL只見線紅葉号」が走っています。
今回のSLはその時と同じC11-325号機です。
昨日は用事があってSLを見に行けなかったので、今日の午前中に町の駅まで行って来ました。
小さな駅には多くの鉄道ファンが集まって来ていて大賑わいでした。
やはりSLの人気は相変わらず高いみたいです。
SLとの再会に歓喜し、そして別れを惜しみました。
その後は町内で用足しをしてから、久しぶりで入ったラーメン店でお昼しました。
食べたものはこの店一押しの「麺こいラーメン(野菜あんかけの醤油ラーメン)」でした。
暑い日でも汗をかきかき熱々のラーメンを食べれば元気になれますYO~♪
土曜日(10月31日)・日曜日(11月1日)の両日、JR只見線の会津若松~会津川口で「SL只見線紅葉号」が運行されました。
我が町の駅にも停車するというので、日曜日の午前中に駅まで出かけて来ました。
C11-325号機に牽引された紅葉号が駅に到着したのは定刻通りの10:04でした。
僕がC11-325に会うのは実に5年ぶりのことなので、思わず懐かしさがこみ上げてきました。
10分間の停車時間内に出来るだけがんばって20枚以上の写真撮影に成功しました。
話は変わりますが・・・駅前広場にはこの町出身の偉大な演歌歌手であり名誉町民でもある故春日八郎さんのブロンズ像が建立されています。
C11-325は昭和7年から昭和22年までに製造されたC11型・381両の内の1機です。
昭和21年(1946年)3月28日に日本車輌熱田工場で落成し、当初は茅ヶ崎機関区などに配属されました。
21年後の昭和42年(1967年)3月に米沢機関区へ転出し、昭和47年(1972)年に廃車となりました。
その翌年、新潟県水原町で静態保存されることとなりました。
真岡鐵道で同機をC12-66「SLもおか」の予備機として使用するため、平成8年(1996年)の春に真岡駅へ陸送しました。
その後解体復元に関する調査を行い、翌年の秋からJR東日本大宮工場(現・大宮総合車両センター)で復元工事が行われました。
平成10年(1998年)11月に営業運転を開始し、動態保存機として復活しました。
只見線で初めて臨時列車として運行されたのは平成13年(2001年)10月でした。
「貴婦人」の愛称で知られるSLのC57が磐越西線の新潟~会津若松に帰って来ました。
C57-180号機が牽引する「SLばんえつ物語」号が昨日から今年度の運行を開始しました。
この日は12:30まで仕事をした後、途中停車する喜多方駅に向かいました。
おもてなしとして、駅では歓迎の横断幕が掲げられ「会津喜多方祭囃子盆踊り保存会」による演奏が披露されました。
小雨が降る中到着したSL列車は数分間停車してから汽笛を高らかに鳴らしながら名残を惜しむ間も無く発車して行きました。
SLの見送りの後はかなり遅めの昼食になりましたが、駅近くの「丸見食堂」で中華丼を食べました。
美味しくてボリュームたっぷりの中華丼で空きっ腹もすっかり満たされたところで、「ふれあい通り」まで徒歩で向かいました。
ふれあい通り周辺ではこの日正午にスタートした「喜多方レトロ横丁」が開催されているのです。
今日はお昼前から喜多方市山都町(やまとまち)に行っていました。
駅前の「じんべい食堂」で昼食にタンメンを食べた後で、とある場所に向かいました。
その場所とは山都駅東南にある「一の戸川橋梁」下の土手です。
この橋梁は全国の鉄道ファンの間では昔から撮影の名所になっています。
ここに来た目的はこの橋梁を通過するSLのC61-20号機(C61ばんえつ物語)を撮影するためです。
この日は数え切れないほどたくさんの車と大勢の方々が現場周辺に集まっていました。
その全員が山都駅を12:47に発車するC61を今か今かと待ち構えていたのです。
そして、ついにその瞬間がやって来ました。
チャンスはたった一度きり・・・高鳴る胸を抑えるようにしながらシャッターボタンを押し込みました。
イメージ通りにはいかなかったけど、ちゃんと写っていて良かった!~(^_^)v
撮影の後は「みちくさ通り」にある「茶房 千」でお茶してから帰りました。
ここの名物「そばシフォンケーキ」がとても美味しかったです。
※山都駅と一ノ戸川橋梁
明治29年1月20日に郡山・新津間を結ぶ鉄道を建設するために岩越鉄道(現在のJR東日本磐越西線)が設立されました。
岩越鉄道の名称は岩代の国(現在の福島県西半部)と越後の国(現在の新潟県本州部)から由来しています。
山都駅は明治43年12月15日に開通し、今年で105周年を迎えます。
明治政府がすすめた近代化事業のひとつ鉄道の敷設は山や川が多い山間部においてはトンネル・橋梁などの難工事が続きました。
一ノ戸川橋梁は16支間445m・高さ24mの長大な鉄橋で、完成当時は東洋一の規模を誇っていました。
中間の1支間(7連目)が上路式ボルチモアトラス橋で残り15支間がプレートガーダー橋ですが、どちらも「アメリカンブリッジ」社製です。
ボルチモアトラスは現存例が少なく、現在でも使用されているのは本橋の他はわずかに4本のみです。
橋脚は花崗岩を積み上げて作られています。
この橋梁の完成も山都駅開通と同時期でした。
今日は休日でしたが、あいにく昼前から雨が降り出してきてしまいました。
それにもめげず、今日もSLのC61-20号機(C61ばんえつ物語)を撮影しに出かけました。
撮影場所は喜多方駅構内です。
降りしきる雨の中を力強く走るC61の雄姿に感動し、後姿を見送りながら思わず拍手をしてしまいました。
従来より磐越西線で営業運転をしていたC57-180号機(SLばんえつ物語)は現在全般検査施工中のため、このC61が5月のみ代走します。
今後の運行予定日は16(土)・17(日)・23(土)・24(日)・30(土)・31(日)となっています。
なお、C57は7月に復帰の予定です。
※C61-20は1949年にD51-1094のボイラーを流用して製造され、新製から286万9,889kmの距離を走行し、1973年に廃車されました。
2010年1月より復元作業が開始され、2011年6月4日に復活営業運転が開始されました。