田舎者ですが(^◇^)

会津の四季やローカルな話題、日常の出来事などを不定期ながら少しずつ綴っていきます。

スタンプラリー 当選しました!

2017-03-30 21:39:48 | 日記・独り言

昨夜、帰宅したら地元の「会津坂下町商工会」からレターパックが届いていました。
開けてみたら何と「ぐるっと会津のひなめぐりスタンプラリー」当選の知らせと記念品が入っていました。
その知らせによると、「99名の応募者の中から抽選の結果当選した」とのことでした。
当選者は30名だったので、当選の確率は約30%というわけです。
記念品は6市町村(会津若松市・会津美里町・喜多方市・会津坂下町・湯川村・猪苗代町)の内偶然にも我が会津坂下町の特産品でした。
それは馬皮革の小銭入れでしたが、柔らかくて手に馴染み使いやすそうでした。
色が女性向けなので自分では使えないですが、誰かにプレゼントすればきっと喜んでもらえると思います。

※関連記事はこちらこちらです。


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福寿草まつり その3

2017-03-26 18:13:21 | 

沼ノ平の駐車場に到着し、受付で「環境整備協力費」として300円を払ったら領収者と一緒に「福寿草まつり20周年記念」のクリアファイルをもらいました。
舗装された遊歩道を通って土手のあちこちに顔を出している可愛らしい福寿草の花達に再会の挨拶をしながら、小高い丘を登って行きました。
上の方に行くと周囲にはまだ雪がだいぶありました。
今年の残雪は例年になく多いようでした。
この雪の下にもこれから咲こうとしている花達がたくさん隠れているのです。
太陽の光を受けて黄金色に輝く一面の福寿草が見れなかったのは残念ですが、今年も春一番の幸福の花に会えてとてもうれしかったです。


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福寿草まつり その2

2017-03-26 14:57:26 | 
福寿草の群生地沼ノ平と同じ相川地区内に賢谷という集落があります。
そこは沼ノ平に行く道の途中なんですが、左側に銅像が立っており、「蓮沼門三先生生誕の地」と書かれた碑も見えます。

蓮沼門三さんは明治15(1882)年2月22日耶麻郡相川村(現・喜多方市山都町)に生まれて、三歳の頃母と共に大沢(現・喜多方市岩月町)の蓮沼家に入りました。
貧しいながらも勉学につとめ、独学で小学校尋常科準教員となりました。
そして東京府師範学校(現・東京学芸大学)に入学し、明治39年(1906)2月11日在学中に同志とともに修養団を創立しました。
一時小学校に勤めましたが渋沢栄一などの援助を受け、わが国青年運動の草分けといわれる修養団の主幹として70余年にわたり日本の社会教育の形成・発展に尽くしました。
昭和47年(1974)喜多方市名誉市民第1号に選ばれています。
昭和55年(1980)6月6日98歳で逝去、生涯を終えました。
銀杯一組を賜り、正四位に叙せられています。(喜多方市のHPより)

さて、この場所を過ぎればもうすぐ目的地の沼ノ平です。
お天気は相変わらず晴れたり曇ったりと目まぐるしく変化していますが、だんだん晴れている時間の方が長くなって来ているような気がします。

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福寿草まつり その1

2017-03-26 07:04:05 | 

喜多方市山都町の沼ノ平(ぬまのたいら)地区では今月19日(日)~来月中旬の予定で「第20回福寿草まつり」が開催されています。
沼ノ平は日本最大級の福寿草群生地で、5haに約100万株の福寿草が自生しています。
昨日は休日だったのでその福寿草を見に行きたいと思い、朝からお天気ばかり気にしていました。
予報では晴れだったのですが、実際には曇ったり晴れたりの繰り返しであまりぱっとしないお天気でした。
その上、時折小雪がちらついたりしていたので今日は行くのを諦めた方がいいかななんて思ったりもしました。
福寿草の花はお日様の光を充分に浴びないと綺麗に開いてはくれないからです。
とりあえず、午前中は喜多方市内のコインランドリーで1週間分の洗濯と乾燥を済ませました。
それが終わった後は行きつけの店「陽華楼」で早めの昼食にしました。
この日は風邪ぎみで体調がちょっと悪かったので体力をつけようと「ニンニク味噌ラーメン」と餃子を食べました。
元気が出たところで、晴れ間も見えて来たので福寿草見物へのドライブに出かけることにしました。


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アマリリスが咲いたYO~♪

2017-03-24 00:13:21 | 

病院の一角でアマリリス(学名:Hippeastrum × hybridum)の花が咲きました。
アマリリスという花名は古代ギリシャやローマの詩に登場する羊飼いの少女アマリリス(Amaryllis)の名前から由来しています。
アマリリスの花言葉は「誇り(pride)」・「輝くばかりの美しさ(splendid beauty)」・「おしゃべり(chatting)」などです。


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会津彼岸獅子

2017-03-23 05:09:42 | 季節
会津では春彼岸になると太夫・雄・雌の三体の獅子が笛と太鼓の音色に合わせ古式ゆかしい舞を披露しながら街中を練り歩きます。
会津彼岸獅子は天喜四年(1056年)の「前九年の役」で源義家が安倍貞任を征討の際、士卒の戦死者を弔い士気を鼓舞するため従軍の兵卒に笛太鼓の勇壮な調子に合わせて舞をさせたのが起源とされています。
今から約三百年前、会津一円に悪疫が流行したため主な社寺に獅子舞を奉納し平癒を祈願したのが春彼岸の頃だったので彼岸獅子と呼ばれるようになりました。
寛永二十年(1643年)に保科(ほしな)正之公が会津藩主として若松城に入城した際に獅子を先頭に立て士気を鼓舞したそうです。
また、戊辰の役で日光口総督「山川大蔵」が小松の獅子団と共に敵中を威風堂々と行進して帰城した話は有名です。
現在会津彼岸獅子を継承している獅子団は発祥とされる下柴を始め8団体のみとなっており、会津若松市内には天寧(てんねい)・小松・本滝沢の3団体が現存しています。
春彼岸の中日である春分の日の午前中に鶴ヶ城本丸内で行われた天寧獅子団の獅子舞公演を観に行って来ました。
公演では全部で24曲ある獅子舞の曲の内「庭入り」・「山おろし」・「弊舞(へいまい)」などの5曲ほどの舞が約30分披露されました。
天寧獅子団で弊舞小僧の役を務めるのは大人の方なんですが、派手な衣装を来てひょっとこの面をかぶりコミカルに演じていました。
最後の方で行われた太夫獅子による弓潜り(ゆみくぐり)の瞬間を激写したかったのですが、余りにも早過ぎて出来ませんでした。
さて・・・ここで、この公演の舞台となった鶴ヶ城の見所を三つほどご紹介したいと思います。
一つ目は、鶴ヶ城は日本で唯一の赤瓦をまとった天守閣であることです。
昭和40年9月に復元された当時の天守閣は黒瓦だったのですが、平成23年になって幕末当時の赤瓦に葺き替えられました。
二つ目は『荒城の月』の作詞者土井晩翠氏直筆による歌詞が記された「荒城の月碑」があることです。
土井晩翠氏は会津の鶴ヶ城と仙台の青葉城をモチーフにしてこの名曲を作詞されたそうです。
碑の設置場所は茶室「麟閣」の南側です。
三つめは石垣の中にハート型の石が積まれている場所があることです。
この石は石積みを担当した近江坂本の穴太(あのう)衆のシンボルマークで、同じ型の石が他の都市の城にもあるそうです。
皆さんも観光で鶴ヶ城を訪れる機会がありましたら、是非このハート型の石を探してみてください。
もしかしたら、幸運に恵まれるかも知れませんよ。

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会津山都寒晒しそばまつり 2017

2017-03-20 19:47:14 | グルメ

18(土)・19(日)の両日、喜多方市山都町の山都体育館に於いて「第20回会津山都寒晒しそばまつり」が開催されました。
寒晒しそばとは、江戸時代に信州の高遠藩が徳川将軍家に献上していたという特別なそばなのです。
山都町ではその幻のそばを今の時代に再現しています。
厳冬の中で玄そばを山都の澄んだ川(一ノ戸川)の清流に10日間ほど浸した後で、20日から1ヶ月ほどかけて寒風に晒して自然乾燥させます。
こういった手間をかけることによってそばの雑味が抜け、旨味がよりいっそう増します。
会津山都寒晒しそばまつりでは「さらしな」・「あらびき」・「田舎」といった3種類のそばを味わうことが出来ます。
玄そばの製粉行程で最初にふるい分けられた白っぽくてさらりとした物が「一番粉」で、そばの実の中心部分(15%)です。
1回目の製粉で残った物を再び製粉した「二番粉」は中心部分と外層部分の中間の部分で、一番粉より少し褐色がかっています。
2回目の製粉で残った物を更に製粉した「三番粉」は甘皮を含む外層部分で、二番粉よりもかなり褐色がかっています。
「さらしなそば」は一番粉だけを使って打ったそばです。
色が白く透明感があり甘みが強いのが特徴で、弾むようなコシを楽しむそばです。
「あらびきそば」は一番粉・二番粉・三番粉全てを使って打ったそばです。
粗い粉と細かい粉が混ざっているため味も良く食感も優れています。
二番粉・三番粉を使って打ったそばを山都では「田舎そば」と呼んでおり、食感は荒々しい感じですがそばの香りや味が強いです。
温かい汁に入れかけそばにしたり、大根おろしと一緒に食べて美味しさを楽しみます。
この日は1ヶ月以上も前に予約購入していた入場券付きの前売りチケット(『食彩』コース)でこれらの超贅沢なそばを天ぷら・郷土料理と一緒にいただきました。
そして、「茶房 千」特製のそばスイーツ(「そばシフォンケーキ」と「そばぷりん」)をお土産に買って帰りました。


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猫Barber

2017-03-19 22:00:07 | ペット

昨日は12:30まで仕事をした後、久々に「幸楽苑」で昼食をとりました。
この日は酸辣湯麺(スーラータンメン)と餃子のセットを食べました。
酸辣湯麺は最初ちょっと辛いかなって感じたのですが、すぐに慣れてその辛さが美味しさに変わりました。
ほどよい酸味が辛さを和らげていたせいでしょう。
食事の後で、知人が紹介してくれたある場所に行って来ました。
そこは「猫Cafe」ならぬ「猫Barber」~つまり、猫がいる床屋さんなんです。
生後4ケ月の子猫が5匹もいて、全部同じ母猫から生まれた兄弟だそうです。
5匹の内で2匹いる黒猫の片方が女の子で、残り4匹は男の子とのことでした。
初対面なのに皆さん総出で歓迎してくれました。
いや~、身が軽いうえにすばしっこ過ぎ~!!
も~、目が回りそうになりましたよ~(@_@)
1時間ほど遊ばせていただきますたYO~♪


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下柴彼岸獅子舞来る☆ミ

2017-03-18 22:54:01 | 季節

春彼岸の入りとともに会津の街角では独特な笛と太鼓の音色が響き渡ります。
その音色に合わせ三体の獅子が五穀豊穣と家内安全の祈りを込めて舞う光景を見て人々は春の訪れを喜び合います。
今日の午前中、喜多方市内にある勤務先の病院にも関柴町の「下柴彼岸獅子舞」の一行がやって来ました。
この彼岸獅子舞はいくつかある会津の彼岸獅子舞の中でも一番古い(安土桃山時代から続く)歴史を持っているといわれており、福島県の重要無形民俗文化財に指定されています。
入院患者さん達や職員の方達が見守る中で太夫獅子・雄獅子・雌獅子と幣舞小僧が舞を披露しました。
幼い子供が幣舞小僧の役を演じるのはここの獅子団だけだそうです。
とても可愛らしくて上手な子供さんでした。
この子は今年小学校に入学するので、年下の子が後を引き継ぐ予定になっているらしいです。
「下柴彼岸獅子舞」に興味のある方は、お手数ですがご自分で検索してみてください。


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春よ来い 早く来い♪

2017-03-14 20:13:18 | 写真

暦の上ではもう春なんですが、家の近くの田んぼにはまだ雪が残っています。
でも本当の春はもうそこまで来ているような気がします。
会津の春よ早く来い。


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