それからの妻は外出を控え、居間で横になっている時間が多くはなってきたもののしばらくは落ち着いた状態を保っていました。
しかし、3月20日の朝「苦しい、病院に行きたい・・・もう駄目かも・・・」と力なく言いました。
四度目の入院でしたが、事実それが彼女にとってはもう二度とない入院となったのです。
亡くなる三日前の朝、病室での彼女のこぼれるような笑み・・・僕が見た彼女の最後の笑顔でした。
その日の午後、彼女の容態が急変しました。
夜になって意識が朦朧となり、うわ言で「暑い・・・おいちゃん(僕の呼び名)・・・暑い」と繰り返していましたが、その声も次第にか細くなってやがてくちびるがかすかに動くだけになりました。
夜が明けた頃にはすでに彼女の意識は無くなっていました。
僕は彼女のわずかな呼吸の音に必死に耳を傾けながらもう一度目を覚ましてくれる事を祈り続けました。
時間だけがむなしく流れ、彼女の命の灯火が徐々に薄れて行くのを感じました。
ついに運命のあの日あの時がやって来ました。
病室には妻のご両親と弟と妹の姿がありました。
そして・・・医師から告げられた臨終の瞬間に涙が堰を切ったようにあふれ出ました。
平成18年4月13日午後12時38分、僕の妻は永眠しました。
その死に顔は信じられないほどふっくらとして綺麗でした。
彼女の最後の願いは元気になって僕と二人で花見に行く事でしたが、その願いはついに叶えられませんでした。
妻の葬儀の後、僕は深い悲しみと言い知れぬ孤独感に覆われ一時は彼女の後を追う事を考えました。
でも、彼女のモットーだった「どんなに苦しくても辛くても明るく前向きに生きよう」を思い出してがんばろうと思ったのです。
苦しかっただろうけれども妻もがんばったのですから・・・余命1ヶ月と宣告されたのに10ヶ月近くも生き延びたんですからね。
その10ヶ月間僕は僅かな可能性を信じながら彼女を支え続けて来ました。
不幸のどん底にいると感じていた時がありました。
でも、決して不幸じゃなかった・・・むしろ今にして思えば僕の人生では最も幸せだった10ヶ月だったのかも知れません。