田舎者ですが(^◇^)

会津の四季やローカルな話題、日常の出来事などを不定期ながら少しずつ綴っていきます。

村の観音様の御祭礼

2009-08-11 18:50:57 | 季節

以前もこのブログでご紹介したことがありますが、僕が住んでいる集落の出入り口からすぐの所は広場になっていて、その奥には小さな木造の観音堂があります。
この観音堂はかなり古いみたいですが、いつ頃建てられたものであるかははっきりしないようです。
ここに祀られている木造聖観世音菩薩像は町指定の重要文化財になっています。
観音堂の屋根は今はトタン葺きになっていますが、昭和40年代の初め頃までは萱葺きだったそうです。
この集落で生まれ育った妻が小学生だった頃、観音堂前の広場には冬期間だけ開校される地区の小学校の季節分校があり、この集落と周辺の4集落から子供達が通って来ていたそうです。
昔から子供も大人もこの観世音菩薩を村の観音様として崇拝してきたのです。
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昨日はその観音様の御祭礼の日でした。
僕は今年たまたま当番で役員になったので朝からお堂内の大掃除をしてから、入り口に幕を張ったり提灯をぶら下げたりしました。
それからまる一日がかりのお籠が始まりました。
続々とではなくちらほらとですが、この集落以外に近隣の集落からも御参りにやって来ます。
御参りに来られた方はすぐには帰らずにお堂内に上がり込んで僕達お籠人と世間話などをして行きます。
どの集落にも多い苗字がいくかあって、相手を呼ぶ時は下の名を呼ぶのが習慣になっています。
僕と同姓の方は一人もいない上に僕が他所から引っ越しして来た者であるにも関わらず、やはりみんなと同じ様に僕も下の名で呼ばれます。
何故かその事に親しみを感じとてもうれしいのです。
何人かの方は労をねぎらってくれて、お菓子とか食べ物、飲み物などの差し入れをしてくれたりします。
そこで聞いた話によると・・・昔は一家に平均で10人位の家族がいても別に珍しくはない時代があり、子供の数も多かった。どの家も必ず家族総出で御参りに行った。だから、祭礼の日には露店とか盆踊りの櫓なども建って賑わっていた。・・・などと、今の集落の現状からは想像も付かなくて、一体いつの時代の話かなと首をひねって考えてしまうばかりでしたが、お祭り好きな僕にとってはとても興味深かったです。
御祭礼といっても広場ではこれといったイベントも行われないまま静かな時間が流れて行ったのですが、そんな風にいろんな昔話に耳を傾けていたお蔭で退屈する事はほとんどなく、夕方まで過ごす事ができました。
辺りが暗くなり提灯の灯りが点される頃に和尚さんが来て、法要が始まり観世音菩薩像がご開帳されました。
その後は賑やかで楽しい宴となり、お酒やビールを酌み交わしながら皆が持ち寄った心尽くしの手料理に舌鼓を打ちました。
話に花を咲かせている内に夜が更けて行きました。
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一夜明けて・・・観音堂は何事もなかったかのように小雨の中でひっそりと佇んでいました。
その後雨はすぐに上がりました。
裏の田んぼの稲には先週末から穂が出始めていましたが、今日見たら一部で白い極小の花が咲いていました。

Okomori1 Okomori2 Okomori3_2 Okomori4_2 Asanokannon_2 Inenohana_2

コメント (20)
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