日曜日(28日)はお昼少し前から喜多方市熱塩加納町の三ノ倉高原へ行って来ました。
ここの花畑では今月の18日から来月の4日までの予定で「菜の花フェスタ」を開催しています。
地元のテレビ局の報道から菜の花が見頃になっていることを知り、行ってみたのです。
この日の天気はあいにく朝からどんよりした曇り空で、上着無しではいられないほど肌寒かったです。
それにも関わらず花畑には多くの見物客が訪れていました。
三ノ倉高原は標高650mで会津盆地を一望することが出来ます。
今年は350万本(8.35ha)の菜の花畑が広がっていました。
みはらしの丘「幸福の鐘」の地点からは360度どこを見渡しても一面の菜の花で、素晴らしい眺めでした!
菜の花畑の一部では菜の花に混じって同じアブラナ科の「オオアラセイトウ」の花も咲いており、黄色と薄紫色のコントラストが素敵でした。
途中から雨に降られしまいましたが、念のため傘を持って行ったので濡れずに済みました。
昼食は「山小屋くらら」の食堂で「菜の花三食丼」と「菜の花うどん」を食べました。
土曜日(20日)は12:30まで仕事をした後猪苗代町へと向かいました。
その途中「道の駅ばんだい(徳一の里きらり)」で昼食にしました。
「ラーメンとソースかつ丼(半)のセット」を食べたのですが、ソースかつ丼が想像していたよりめっちゃボリューミーだったのでびっくりしました。
ソースが若干甘めだったのですが、柔らかジューシーで美味しかったです。
この日の目的地は「猪苗代ハーブ園」でした。
グリーンハウス内へ入ると、ここではまず一年中咲き誇るブーゲンビリアが迎えてくれます。
ブーゲンビリアの花の色は何色かありますが、南国らしい華やかな色が多いです。
この花には香りがないようです。
ハーブガーデンではラベンダー・カモマイルなど約500種類のハーブと、季節の草花が観られます。
今丁度見頃を迎えているのは一面の菜の花で、花摘み(有料)とか十二支の巨木彫刻とのコラボ撮影も楽しめます。
「菜の花まつり」は今月の29日まで実施しており、ハーブショップでは人気の「ラベンダーソフト」や期間限定の「菜の花カレー」・「菜の花カルボナーラ」が味わえますよ(^^♪
昭和の日は休日でしたが、早朝から集落の人足作業に従事しました。
5:30~7:00は用水路沿いの刈り払い(草刈り)をして、8:30~10:00は大江払い(排水路等の泥上げ)をしました。
作業が無事終了した後で慰労会が開かれ、お昼ちょっと前にようやく解散となりました。
酔い覚ましを兼ねたお散歩がてら、目に付いた花などを手当たり次第写真に収めてみました。
桜の花の他に梨・桃・林檎などの果樹の花も咲いていました。
気が付いたら結構な枚数になっていましたので、その中から気に入った物を選んで掲載します。
自分で言うのも何ですが、ほろ酔い気分で撮った割には良く撮れてました(^^ゞ
多分カメラの方で勝手に撮ってくれたんだと思います(;^_^A
昨日4月1日(土)はエイプリルフールでしたが、正直者の(?)僕は噓をつかずに一日過ごしました(^^ゞ
12:30まで仕事をした後で、ある場所へ直行しました。
ある場所とは・・・喜多方市山都町沼ノ平の福寿草群生地です。
丁度1週間前の土曜日に福寿草を観に行ったのですが、残雪が多くて福寿草も咲き始めたばかりの状態でした。
その際に何かもの足りなかったなと思う気持ちがあったので再びそこを訪れてみたのです。
あいにくお天気はあまり良くなくてお日様は厚い雲に覆われていました。
福寿草は日光が当たると開き日が陰ると閉じる習性を持っているので、曇り空よりも青空の方が見ごたえがあると決まっています。
しかし、この前よりは雪融けがかなり進んでいて土手にはより多くの花を見ることが出来ました。
地元の方の話では、今年は例年にない雪の多さのせいで開花が少し遅れてしまったが丁度1週間後には最高の見頃になるだろうということでした。
1週間後に又ここへ来れれば良いんだけどね('ω')・・・
「幸福の花」を見て幸せを感じた後は、「福寿草会館」でここの名物超美味しい「沼ノ平そば」と旬の地元食材の天ぷらを食べて更に幸せを嚙み締めました(*´ω`)
そこは沼ノ平に行く道の途中なんですが、左側に銅像が立っており、「蓮沼門三先生生誕の地」と書かれた碑も見えます。
蓮沼門三さんは明治15(1882)年2月22日耶麻郡相川村(現・喜多方市山都町)に生まれて、三歳の頃母と共に大沢(現・喜多方市岩月町)の蓮沼家に入りました。
貧しいながらも勉学につとめ、独学で小学校尋常科準教員となりました。
そして東京府師範学校(現・東京学芸大学)に入学し、明治39年(1906)2月11日在学中に同志とともに修養団を創立しました。
一時小学校に勤めましたが渋沢栄一などの援助を受け、わが国青年運動の草分けといわれる修養団の主幹として70余年にわたり日本の社会教育の形成・発展に尽くしました。
昭和47年(1974)喜多方市名誉市民第1号に選ばれています。
昭和55年(1980)6月6日98歳で逝去、生涯を終えました。
銀杯一組を賜り、正四位に叙せられています。(喜多方市のHPより)
さて、この場所を過ぎればもうすぐ目的地の沼ノ平です。
お天気は相変わらず晴れたり曇ったりと目まぐるしく変化していますが、だんだん晴れている時間の方が長くなって来ているような気がします。