とだ*やすこの「いまここ@島本」

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大阪府島本町議会議員
とだ*やすこの活動報告

女性議員半数の背景にあるもの(Ⅱ)

2014年04月06日 | とだ*やすこの活動日記
「コミュニティ」から「アソシエーション」へ。「テーマ」や「価値観」やでつながる女性たちの登場。これがやがて「地縁血縁」ではなく「政策」で勝負する議員の登場を生んだ可能性はあります。もちろんわたしの仮説、推測にすぎません。

市民活動のなかで共有した問題意識が自分たちで議員を出そうという活力となり、それがたまたま女性ということで注目され、やがて選挙に敢えて「女性」を担ぎ出すことにもなり、最終的には女性であることが特別なことではなくなっていく。

そういう風土がこの島本町において、継続してつくられてきたのではないでしょうか。いくまでもなく共産党、公明党から継続的に女性候補者が出され、回を重ねて当選していることが島本町の女性議員数を安定したものにしています。ここはとても重要なポイントです。

また、今世紀直前には、衆議院議員選挙区である大阪10区から辻元清美議員が当選(当時社民党)、それまで「政治」(イデオロギー的なもの)に距離をおいていた人、特に女性の政治への関心が高まりました。

地縁、血縁、同級生も古くからの友人もこの町にはいない、とりわけわたしのように政党に属さない、しかも女性が果敢に選挙にチャレンジできた背景にはそれなりの理由があったと思えました。

さらに物理的にも市街地の面積規模が小さく、まちがコンパクトで選挙活動がしやすい。お金をかけない選挙モデルが身近にあったことも重要です。そのようななか、わたしの属する「人びと新しい歩み」は、支援仲間のなかから、敢えてもうひとり議員を出すことで議席を獲得してきたのです。

社会への問題意識を発露に政治への関心を高めていた女性、とりわけ主婦であったわたしたちは、名誉やお金、職を求めて議員になったのではありません。しがらみもなく、ある意味、失うものがありません。

その延長線上に、わたし自身がいます。支援仲間のなかから敢えてもうひとり議員を出すことで議席を獲得してきた、その貴重な議席を引き継いだことを改めて自覚することができました。

飯塚市から来られた9名の女性との交流会には、日本経済新聞の女性記者(男女同数の議会として島本町議会に注目されています)も同席されました。今回、交流会でお話させていただいたことで、わたし自身にも新しい発見があり、交流会受入れをアレンジした平野議員に改めて感謝します。11月には阪南市の市民グループからもオファーが来ています。


画像は、第2小学校での給食試食会(4月4日)
3年間の契約が終了、入札により双葉給食(株)と契約

「牛乳」の必要性については多く疑問の声があり
学校給食法の見直しが必要である

全国的に酪農業者、販売事業者が存在し
そのハードルは決して低くない、と思う

子どもの心身の健康と発達を最優先して
時代にあった学校給食にするべき
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女性議員半数の背景にあるもの(Ⅰ)

2014年04月06日 | とだ*やすこの活動日記
3月26日、平成26年定例会を終え、28日には、ふれあいセンターに福岡県飯塚市「いいづか男女共同参画推進ネットワーク」9名の女性お迎えし、平野議員とともに男女同数の島本町議会、自身が議員になった経緯などをお話させていただきました。

前日に島本町史に目を通し、なぜ島本町に女性議員が多いのかを考えました。島本町の人口は男女比でみると女性の人口が圧倒的にに多かった時期があったことを思い出したからです。

町史には、サントリー山崎工場、大日本紡績㈱山崎工場ができ工業化していく過程で、昭和5年には女性100に対して男性67.06と女性の比率が激増していると書かれていました。

特に15歳から19歳の女性人口が10倍以上に急増。職を求めて、あるいは請われてたくさんの女性が島本・山崎に移り住み、女性有業者が男性有業者をはるかに追い越していたのです。

山崎地区にいつくも女子寮があった、寮から京都駅前によく映画を観に行った、会社を通じて習い事をたくさんして教養を深めた、地元の男性と結婚したなど80代の女性に教わっていたことと一致しています。

住まいと職場が町内にあり、町内で結婚、定住される方もあって地域に根差していきます。

次の高度成長期時代には大阪・京都間に位置するベットタウンとして人口が伸びていきます。昭和41年には本籍地を島本町にもつ人とそうでない人とがほぼ同数になったと町史には記されています。

以降、人口は上下水道の普及率とともに急速に増加、新住民と呼ばれる住民の人口比率が増えていきます。「都市生活に欠かせないもの」として上下水道などのインフラ系だけではなく、プールや住民ホールなどの公共施設が精力的に建てられるのもこの時期です。

そのようななか、昭和45年に創立された「婦人協会」が島本町における女性のあり方を知るひとつの鍵になるのではないか、とわたしは注目しました。女性が働かずに家にいることを可能にする時代でもありました。

婦人協会は「婦人の文化的協調と自主性、創造性を養ない、会員相互の親睦をはかる」ことを目的とし、「その活動は、会員グループの自主的活動の推進を基本に、リーダーの養成、研究会の開催、学習、奉仕活動、レクレーション、広報等、多方面にわたっていた」と町史は述べています。

そして新たにつくられた「消費部」が、「情報交換や意識調査など、物価面における消費生活」のありかたにとりくみ、「福祉部」は、「衛生婦人奉仕会、農協婦人部を吸収し、各種奉仕活動、健康教育、健康手帳の配布、会員・一般市民の健康管理等の活動を行った」とされています。

「年一回の地区衛生研究発表会は、衛生管理の意識向上のみならず、婦人の社会的問題関心啓発にも役立っていた」。女性おおいに活躍す、という印象ですね。この時期だったのでしょうか、議員に女性をと町長が積極的に働きかけ「婦人協会」から人選があったと聞きおよんでいます。

「地区」「地域」「組織」を軸に活動する女性たちが、やがて団塊の世代の頃から社会意識=「テーマ」でつながる活動へと変容、島本町における女性の「市民活動」につながっていったのではないか、とわたしは考えました。



画像は、第一小学校の給食試食会(4月3日)

学校関係者、教育委員、職員、議員が参加

島本町は既に町内4校の内3校で調理を民間事業者に委託
平成26年度からは残る第一小学校も委託する

第一小学校の業者は一富士フードサービス㈱
入札により決定したもの

施設設備の都合で第一小学校は
今もアルマイトの食器を使用

給食棟の新設(現在検討中)が実現すれば
食器も改善される予定

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