讀賣新聞紙上に「讀賣俳壇・歌壇」が載るのは月曜日の朝刊。コーヒーを飲みながら、作品を一つ一つ味わう時間はなかなかの至福の時です。
作品の出来不出来ではなく、私の心に響いた俳句や歌をメモします。今回は俳句に心ひかれる作品が多くありましたので、紹介します。
秋の句から、冬、そして春の句へ。
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最初は秋の句を一つ。
〇 草紅葉 鎮守の森へ 誘へる (「大和よみうり文芸」から)
(広陵町/山口善美さん)
※ 「讀賣俳壇」は全国版。この作品は、日曜日に奈良県の読者のために作られているローカル版の「大和よみうり文芸」から見つけました。
私は健康のために、気が向けば近所をウォーキングします。健康のためなら、本当は毎日歩かねばいけません(自戒)。
そのウォーキングの途中、いつも鎮守の森に立ち寄ります。ですからこの句は、私の日常と重なって、「ここにもひとり月の客」(去来抄)という感じです。
「草紅葉」も、「鎮守の森」も、「誘(イザナ)へる」も、心地よい言葉のつながりです。
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次は冬の句を三句。五七五という世界最小の短詩形式は、日本の冬の季節に似合うのかもしれないと、冬の句の一つ一つを味わいながら思ったりしました。
〇 十二月 八日海上 雲厚し
(神奈川県/中島やさかさん)
※ 1941(昭和16)年12月8日未明、ハワイ島真珠湾にあった米国太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍の航空機及び潜航艇が奇襲攻撃をかけ、壊滅的打撃を与えました。太平洋戦争の始まりです。
「海上 雲厚し」がただならぬ緊迫感と、その後の日本の命運を予感させるようで、優れた句だと思います。
私は、その23日後の未明に生まれました。
戦いは東アジア、南アジア、南太平洋から西太平洋という地球的規模に広がり、やがて日本は追い詰められて、B29による空襲やグラマンの機銃掃射の中を私は生き延びたようです。
もの心ついたときには、私が育った城下町は、米兵をはじめオーストリア兵やインド兵などの占領軍が街にあふれていました。戦争に敗れ、外国の軍隊によって国土を制圧され、日本国民は小さくなって生きていました。ピストルをぶら下げて街を闊歩する外国の兵は怖かった。日本の歴史の中に、こういうことは二度とあってはならないと思います。
◎ いまひとたびの あふこともがな 海に雪
(北上市/佐々木清志さん)
※ 七七五の変形の句です。上二句の七七は、百人一首のなかの和泉式部の歌、「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」の下二句の引用です。
このとき、和泉式部は重い病に臥せっていました。歌の意は、「私はもうこの世に生きられないでしょう。なので、あの世の思い出に、もう一度だけ、あなたに逢いたい」 ── 恋に生き、恋に死ぬ、恋多き女性、和泉式部らしい歌です。
作品については、選者の正木ゆう子氏の評に尽きると思います。
「『もう一度会いたい』という和泉式部の和歌の下句に、『海に雪』を付けただけだが、なかなかの雰囲気。虚構でも、恋句とはいいものだ。平仮名の連続が、雪片を思わせる」。
私のイメージは、波濤打ち寄せる暗い冬の日本海と、そこに舞う雪です。津軽三味線の響きが絶え絶えに聞こえくるような……。「女の情念」を感じます。
作者は男性。正木先生がおっしゃるように、虚構の句ですね。切々とした女の情念を歌った石川さゆりの「天城越え」も、作詞は男性ですから。
「和泉式部の和歌の下句に、『海に雪』を付けただけ」だが、才を感じます。17文字で物語の世界を作り上げています。
近代俳句の土台をつくった正岡子規は「写生」を唱えました。写生の大切さは承知しているつもりですが、写生ばかりが俳句ではないように思います。俳句の「俳」とは遊び心です。虚構の世界に遊ぶのもまた面白い。しかし、それにはセンスが必要です。なかなか真似しても及ぶものではありません。凡人は、やはり写生からでしようか。
〇 地魚も 地酒も寒く なればこそ
(枚方市/船橋充子さん)
※ 1月に、石川、富山に行ってきました。地魚も、地酒も美味しかった。酒はもちろん、燗酒です。
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さて、今は春三月。春の句にも、なかなかすばらしい作品がありました。そのなかから三つ。
〇 冴返る 床踏み鳴らす 能舞台
(春日部市/岩木弘)
※ 「冴(え)返る」は春の季語。「そろそろ暖かくなりかけたと思うと、また寒さが戻ってくるのをいう。寒さがぶり返すと、ゆるんだ心持が再び引きしまり、万象が冴え返る感じをもつ」(歳時記から)。
しんと冷え込む空気の冷たさと、シテが能舞台の床を踏みたたく硬質の音とが響きあい、身が引き締まります。これも日本的美の世界ですね。
◎ 春時雨 四条木屋町 石畳
(大津市/竹村哲男)
※ 漢字ばかりですが、漢詩ではありません。れっきとした日本の俳句です。
「はるしぐれ しじょうきやまち いしだたみ」。
「時雨」は秋の終わりから冬にかけて、降ったりやんだりする冷たい雨のことですが、「春時雨」は春雨ですからもっと明るい感じ。場所は京の四条木屋町。四条大橋を東から西へ、鴨川を渡ったあたり。その石畳に春の雨が降る。しっとりと、艶のある風情で、日本的抒情です。
この句にも才を感じます。こういう句に接すると、自分も作句してみようという気持ちも萎えてしまいます。
〇 たんぽぽや 島を囲んで 濤(ナミ)寄せる
(横浜市/矢沢寿美)
※ まさに春の句です。どこの島でしょうか。旅に出たくなりました。
十
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