(小諸城址・懐古園)
小諸城は市街地よりも低地に造られ、穴城とも言われました。
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ご無沙汰しました。
讀賣新聞の「読売俳壇」「読売歌壇」を、毎週、楽しみにしています。 各選者の先生によって選ばれた秀作ばかりですが、そのなかでも自分の心にストンとおちた句や歌を手帳に書き留めています。 それをここに勝手な感想とともに紹介させていただきました。昨年の後半に紙上に発表された作品です。
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<風誘ふ>
〇 風誘ふままに信州訪ひ来れば小諸は林檎の中にありけり (霧島市/内村としお)
この歌の作者は島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」がお好きで、信州へのあこがれをお持ちなのではと、自分に引き寄せて勝手な想像をしました。
藤村の「小諸なる」の詩の季節は早春です。「小諸は林檎の中にありけり」という感動は、春浅き信州のイメージが下敷きとしてあってのことかと想像しました。
「小諸なる古城のほとり/雲白く遊子悲しむ/緑なす繁縷(ハコベ)は萌えず/若草も藉(シ)くによしなし/しろがねの衾(フスマ)の岡辺/日に溶けて淡雪流る」
私が藤村のこの五七調の詩を知ったのは高校生の頃。それから、ずっと信州の風土に惹かれ、貧乏大学生の頃から今に到るまで、何度も訪ねました。
「小諸なる古城」の城址は「懐古園」となり、園内をそぞろ歩くと西端は崖となって切れ落ちて、眼下を千曲川が流れていました。戦国の世にあっては、穴城を守るための自然の要害だったのでしょう。
(眼下の千曲川)
「暮れ行けば浅間も見えず/歌哀し佐久の草笛/千曲川いざよふ波の/岸近き宿にのぼりつ/濁り酒濁れる飲みて/草枕しばし慰む」
「岸近き宿」の「中棚荘」は「島崎藤村ゆかりの宿」。季節になるとお風呂に林檎が浮かぶゆかしい温泉宿です。
同じ信州でも、北アルプスの山麓を大糸線でとことこ走る安曇野は登山家やハイカーが歩く明るいイメージがあり、一方、長野からしなの鉄道で、或いは、日本一標高の高い小海線に乗ってゆく佐久地方は、いかにも「信濃国」という感じがあって林檎畑がなつかしい。
林檎と言えば、藤村の処女詩集『若菜集』の中の「初恋」。
「まだあげ初めし前髪の/林檎のもとに見えしとき/前にさしたる花櫛の/花ある君と思もひけり
やさしく白き手をのべて/林檎をわれにあたへしは/薄紅(ウスクレナイ)の秋の実に/人こひ初めしはじめなり」
林檎の木は秋にたくさんの赤い実をつけますが、信州のおそい春は4月後半から連休の頃で、透明な空気の中に桜の花びらに似た可憐なピンクの花が咲いて、ああ、これが林檎の実になるんだと納得がいきました。
懐古園には「小諸なる」の詩碑もありますが、もう一つ、島崎藤村作「惜別歌」と刻まれた歌碑もあります。
(「惜別歌」の碑)
もともと、『若菜集』に「高楼」という題で載っていました。嫁ぐ姉と、姉を送る妹の対話型式の詩です。
私の持っている『日本の詩歌 島崎藤村』(中央公論 昭和42年刊)には、「高殿」の詩について、伊藤信吉氏のこういう説明が付いています。
「『高楼』は、戦後になって『惜別の歌』という別題を付され、作曲されて、若い人たちに広く歌われるようになった。明治30年に作られた詩が、永い年月を隔てて新しいリードとして迎えられたのである。本歌の作者が藤村だということを知らずに歌っている人もある。
最も愛唱されているのは、『きみがさやけき/めのいろも』に始まる第9連で、この部分だけを切りはなすと、姉と妹の別れというよりも、恋人との別れを惜しむ歌の形になる。それが若い人たちをひきつけるのである」。
高校生の時、友人たちとよく歌った歌の一つです。藤村の作だと知っていたが、戦後に作曲されたとは知りませんでした。それなら、私たち『青い山脈』の世代の歌です。(『青い山脈』なんて、わかる人にしかわかりませんね。石坂洋次郎という作家の新制高校を舞台にした青春小説で、何度か映画化もされました。先生役を石原裕次郎と芦川いずみとか)。
「君がさやけき目の色も/君くれないのくちびるも/君がみどりの黒髪も/またいつか見んこの別れ」。
私たちは無口朴訥な旧制高校生のイメージを思い浮かべて歌っていましたが、もとの藤村の詩の姉妹の歌とするなら、ちょっと官能的ですね。藤村は日本の新体詩を確立した人とされていますが、こういうみずみずしい才があってこそのことなのでしょう。
「風誘ふ」の歌に触発されて、自分の遠い昔のことを書いてしまいました。
以下は俳句ばかりです。
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〇 秋風や生きてるだけでいいのかと(東京都/駒形光子さん)
正木ゆう子先生評>「誰が誰に問うたのか、様々な場面が考えられるし、ニュアンスも違う。でも、どんな場合も、答えはきっと『生きてるだけでいい』」。
働いている頃は、ささやかながらも何かを成しているように感じていました。
リタイアして、歳月が経つにつれて、なんにも成していなかったのだと悟るようになりました。
ゆっくり歩こう、生きていることが素敵なんだからと、人生の後輩たちには言ってあげたい。
「風立ちぬ。いざ生きめやも」(堀辰雄『風立ちぬ』の冒頭」)。風が吹いた。さあ、残りの生をいとおしみながら生きていこう。
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<秋の暮 そろそろ>
〇 秋の暮そろそろ晩酌良いですか(川崎市/加藤英行さん)
正木ゆう子先生評>「四時では早い。六時まで待てない。 五時過ぎたからそろそろ飲み始めていいですかと、誰に訊いているのか。 微笑ましく幸せな秋の暮」。
正木先生の解説は絶妙。私もお酒好きですから、少しゆっくりする日曜日の午後など、こういうことがよくありました。まあ、自制心とのたたかいですね。
ヨーロッパのパーティーでは、ディナーを待ちきれない酒好きのために、食前酒の時間があります。ちょっと度数の高い酒を少量たしなむ。食前酒と言えば上品に聞こえますが、ありていに言えば、酒好きの主人(ホスト)や招かれた客が開宴を待ちきれずに一杯ひっかけようということです。さらに、食後酒の時間もある。こういう西洋人のやり方はなかなかのもの。
私は、年を取って、今は少々の晩酌で満足できるようになってしまいました。それでも、健やかな日も、病のときも、毎夕、少々の晩酌をたしなんでいます。
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〇 湯加減を訊く蟋蟀に良しと言ひ(横浜市/杉山太郎さん)
正木ゆう子先生評>「湯加減は如何(イカガ)と蟋蟀(コオロギ)が訊くので、良いと答えた?? 荒唐無稽と思いつつも、きっと五右衛門風呂、いや、檜風呂かもと思われて、不思議」。
面白い。 こういう感覚、私も好きですね。
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〇 武蔵野の名月しばし私(ワタクシ)す(武蔵野市/相坂康さん)
(手持ちで月を撮るのはむずかしい)
日本全国のあちらでも、こちらでも、名月を一人占めしている人がいます。私もその一人です 。
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〇 先延ばし先延ばしつつ冬支度(さいたま市/西村正男さん)
宇多喜代子先生評>「秋も深まってくると冬支度のことが気にかかりはじめる。あれをしてこれをしてと思いつつ一日が過ぎ二日が過ぎる」。
作者の意図と離れてしまいますが、この句を読んだとき、常日頃気になっている自分の「終活」のことが重なってしまいました。
私は、祖父母がそうであったように、また、親がそうであったように、最期はわが家で迎えたいと思っています。
昔は、年を取ると、わが家で大往生するのは当たり前でした。近所のお医者さんも往診してくれました。大病院に入院されると、家族は看護にも行きにくい。車社会ではありませんでしたから。
大病院の延命治療もいやですが、私は何よりも、長く暮らしてきたわが家で終わりを迎えたいのです。
しかし、問題があります。昔は一つ家で二世代、三世代が暮らしていましたが、今はどこの家でもそうですが、私の子らも他郷に暮らしています。
ですから、往診してくれる医師と看護師、それに、薬局や介護士やヘルパーさんらに頼らねばならないでしょう。
死後は、家族葬のこと、お墓のこと、その他のあれこれの処理なども、誰かにやってもらわねばなりません。
そのためには、元気なうちにやっておかなければいけないこと、書いて伝えておかねばならないことが多々あります。ところが、そういう「冬支度」を先へ先へと延ばして、こうしてブログを書いたり、興味をそそられた本を読んだり、日本シリーズをテレビ観戦したり、アニメ「葬送のフリーレン」を見たり、カルチャーセンターの西洋史の講義を聴きに出かけたり、体調が良ければ小さな旅に出たりして、先延ばし先延ばしして日々が過ぎて行きます。
今日なすべきことを明日に延ばせ。我ながら困ったことです。
以前、このブログでも取り上げた山口富江さんの句。「 九十六才 日向ぼっこに日が暮れぬ」。正木ゆう子先生の評を読んで、胸をうたれました。「常連の冨江さん。自筆のこの投句葉書を枕元に置いて亡くなったという。『令和を四十七分生きました』とご家族の添え書き」。
美しく、とても幸せな最期です。
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<夜長のメルヘン>
〇 眠る児の手に団栗も眠りけり(神奈川県/中村昌男さん)
歳時記に小林一茶の「団栗の寝ん寝んころりころりかな」という句があり、平易な句だが改めて味わおうとすると句の意味が分からない??? …… と書かれていました。確かに!!。
しかし、中村さんの句につなげると、一つの解ができあがります。
ぐっすりと眠っている児の緩んだ手から団栗がころりころりと転がってゆき、静止して、その場所で団栗ももう一度寝入ったのです。
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〇 降る雪や昔ばなしをするやうに(青森市/小山内豊彦さん)
(湖西線からの雪景色)
昨年の早春の頃、大阪から「快速」列車に乗って、琵琶湖の周りを一周しました。
途中、湖西から湖東へ、一カ所で乗り継ぎました。
湖西は寒々とした雪景色で、比良の山並みが見えました。
ところが、湖東に来ると景色が明るくなり、春の息吹が感じられました。長浜で降りると、ガラス館にガラスのお雛様が並んでいました。
(ガラスのお雛様)
さて、本句は、もっともっと深い雪国の夜です。
矢島渚男先生評>「降る雪の中で幼い時から繰り返し聞いた話を思い出す。昔噺(ムカシバナシ)ではなく、家族の思い出かもしれない。 優しくときに激しく雪は降り続く。 単純で美しい句だ」。
三好達治の詩「雪」を連想しました。
「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」
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次号も、少し間が開くかもしれません。働いていた頃のように、集中して物事をてきぱきと進めることができません。あれにも、これにも、関心があるのです。でも、また。