ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

「自然エネルギー」派の想像力の貧困 … スウェーデンの原発政策

2013年05月07日 | エッセイ

   ローカル線に乗って旅をしていると、山深い日本の風景の中に、突然、見慣れない景色が飛び込んでくる。

 低い山々の連なる尾根の上に、無機質で、巨大な、あの風車が、次々と連なって立つ。それはまるで、日本の山々を上から圧するかのようで、不気味である。

 山の尾根が削り取られ、コンクリートで固められ、その上に巨大な塔が乗る。

 弥生時代以来、キノコ採りやシバ刈りには入っても、鉄やコンクリートによる人工の手は加えられたことがなかった自然が、無残に破壊されている。

 まるでオームのサティアンのように、過疎の、山間部の、国民の目の届きにくいところに、いつの間にか建てられ、日本の自然が破壊されている。

 今は、まだよい。 本気で原発を全廃し、その分をこのような風車や太陽光パネルで埋め合わせるとしたら、 日本列島は、すさまじい自然破壊に見舞われるであろう。その近未来の姿を、「自然エネルギー」を叫ぶ人たちは、想像しようとさえしないのだ。

 景観を損なわないよう、海上遠くに風車を建てるということもできるかもしれない。 しかし、いまは、まだその技術は、ない。その程度の技術もないのに、 性急に、弥生時代以来の自然を破壊してよいのか。

 しかも、その巨大な風車が倒壊するという事件が、すでに2件も起きている。

 そこが誰の所有の山かという、けちな所有権の問題ではない。自分の土地なら、何をしても良いわけではなかろう。 本来、そこもまた、日本の国土なのだ。

     ★   ★   ★

   読売新聞、5月4日。

 世界原子力協会理事長 アグネス・リーシング氏 (女性。専門は放射線防護 ) への、スウェーデンの原発事情に関するインタビュー記事は興味深かった。

  「私たち (スウェーデン人) は環境保護の意識が強い。原発を導入したのはダム建設をやめ、河川の自然を守りたかったからだ。石油依存からも脱したかった」。

── 「脱原発」に転じたのは?

  「1979年の米スリーマイル島原発事故だ。原発の危険性をめぐる議論が起き、翌年の国民投票で2010年までに脱原発すると決めた」。

── それが、再び原発維持へと回帰したのは?

  「その後、原子炉に代わるエネルギー源の議論が始まった。『風力と太陽光で大丈夫』という意見もあった。だが、無理だとわかってきた。‥‥ 国民は政府以上に原子力を支持するようになった」。

── ドイツは、脱原発、自然エネルギーでいくと政策変更しましたが?

 「ドイツは情緒的、感情的な決定をしましたが、やがて、無理だとわかって、引き返してくるでしょう」。

── チェルノブイリ原発事故では、スウェーデンも放射能汚染した。どう対応したのか?

  「福島と似た状況だった。多くの間違いを犯した。政府は非常に厳しい基準を定めた。人々が安心すると考えたからだ。だが、逆効果だった。かえって過剰な不安を募らせた」。

── 日本は、1ミリシーベルトを除染の目標値にしている。

  「厳しすぎる。益より害が多い。‥‥ さまざまな報告を読む限り、福島の放射能レベルは低い。この水準で、今まで健康に影響が出たことはない」。

  「スウェーデンと日本は似ている。どちらもきれい好きだ。きれいな自然を守ろうとする。だから、日本の人々の気持ちも苦しみもわかる。だが、非現実的な措置は、無意味だ」。

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 未来に向けて、自然エネルギーを取り入れることに、反対する者は誰もいないだろう。

 しかし、だからと言って、あの無機質な風車群と、黒々としたパネル群で、この日本列島を、二度と立ち直れないほどに破壊し、日本の景観を壊して、「これが自然エネルギーです」と言っても、それは通用しない。

 ドイツやオーストリアでは、かつて洪水対策としてドナウ川の川岸をコンクリートで固める護岸工事をやったが、のちに反省して、漠大な費用をかけ、再びコンクリートを全部撤去し、魚や蟹の棲める川岸に戻した。

 国に必要なエネルギーの2割分とか3割分を、自然エネルギーで確保しようとすれば、これは壮大な取り組みとなる。 どこに、どのような技術を使って、太陽光パネルを設置し、風車を建設するか、自然保護との関係をどうするか、そういったことについて、国民的合意と納得を得ながら進めなければならない。

 橋下徹氏も嘉田由紀子氏も、情緒的・感情的脱原発論者である。しかし、仮にも政治を司る人が、国家的な事業に関して、「左翼小児病患者」のようでは困る。 

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 もう一つ。

 ドナルド・キーンさんも言っているように、日本人が、自ら、風評被害をばらまくのはやめるべきである。

 福島県の中の定められた地域以外の東北の人が、放射能を恐れて関西に逃げてきて、挙句に逃げてきた自治体に押しかけて、「東北のゴミを受け入れるな!」などと言うのは、いい加減にしてもらいたい。

 福島に踏みとどまって、牧畜や漁業を必死で再興しようと頑張っている人たち、地元産のバターを使って元通りのおいしいケーキ屋さんを再開しようと頑張っている人たちもいる。そのケーキ屋さんの店開きに、地元の人たちが大勢、買いに来ていた。

 1ミリシーベルト以下にするという、民主党政権が定めた除染基準を変えるというのは大変だと思うが、そもそもの風評被害の発生源は、このポピュリズム的な規準である。 政府も、関係する科学者も、タイミングを見て、規準を変えるべきである。

 そして、慎重に、かつ着実に、原発を再稼動させるべきである。未来はともかく、少なくとも今は原発は必要だし、日本がもう一度原発を復興させ、より安全な原発をつくっていくことは、世界に貢献する道でもある。

  エネルギーに不足し( 結局、不足しなかったではないか、などと、ばかなことを言う人がいるが )、化石燃料の大量輸入と大量消費で電気料金が値上がりし、採算が取れず工場を閉鎖したり、海外へ移転したりする企業が増えている。 その結果、新卒者の雇用を保障できないという事態がなかなか克服できない。 こんな状況で、どうして東北の復興が出来よう。

 新卒者の雇用を保障する国になることは、今の日本の最大の急務である。

 

 

 

 

 

 

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