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ドナウ川の白い雲

国内旅行しながら勉強したこと、ヨーロッパの旅の思い出、読んだ本のこと、日々の所感など。

海に雪 … 讀賣俳壇から

2019年03月19日 | 随想…俳句と短歌

 讀賣新聞紙上に「讀賣俳壇・歌壇」が載るのは月曜日の朝刊。コーヒーを飲みながら、作品を一つ一つ味わう時間はなかなかの至福の時です。

 作品の出来不出来ではなく、私の心に響いた俳句や歌をメモします。今回は俳句に心ひかれる作品が多くありましたので、紹介します。

   秋の句から、冬、そして春の句へ。

     ★   ★   ★

 最初は秋の句を一つ。

〇 草紅葉 鎮守の森へ 誘へる (「大和よみうり文芸」から)

    (広陵町/山口善美さん)

※ 「讀賣俳壇」は全国版。この作品は、日曜日に奈良県の読者のために作られているローカル版の「大和よみうり文芸」から見つけました。

 私は健康のために、気が向けば近所をウォーキングします。健康のためなら、本当は毎日歩かねばいけません(自戒)。

 そのウォーキングの途中、いつも鎮守の森に立ち寄ります。ですからこの句は、私の日常と重なって、「ここにもひとり月の客」(去来抄)という感じです。

 「草紅葉」も、「鎮守の森」も、「誘(イザナ)へる」も、心地よい言葉のつながりです。

        ★

 次は冬の句を三句。五七五という世界最小の短詩形式は、日本の冬の季節に似合うのかもしれないと、冬の句の一つ一つを味わいながら思ったりしました。   

〇 十二月 八日海上 雲厚し

   (神奈川県/中島やさかさん)

※ 1941(昭和16)年12月8日未明、ハワイ島真珠湾にあった米国太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍の航空機及び潜航艇が奇襲攻撃をかけ、壊滅的打撃を与えました。太平洋戦争の始まりです。

 「海上 雲厚し」がただならぬ緊迫感と、その後の日本の命運を予感させるようで、優れた句だと思います。

 私は、その23日後の未明に生まれました。

 戦いは東アジア、南アジア、南太平洋から西太平洋という地球的規模に広がり、やがて日本は追い詰められて、B29による空襲やグラマンの機銃掃射の中を私は生き延びたようです。

 もの心ついたときには、私が育った城下町は、米兵をはじめオーストリア兵やインド兵などの占領軍が街にあふれていました。戦争に敗れ、外国の軍隊によって国土を制圧され、日本国民は小さくなって生きていました。ピストルをぶら下げて街を闊歩する外国の兵は怖かった。日本の歴史の中に、こういうことは二度とあってはならないと思います。

    

◎ いまひとたびの あふこともがな 海に雪

    (北上市/佐々木清志さん)

※ 七七五の変形の句です。上二句の七七は、百人一首のなかの和泉式部の歌、「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」の下二句の引用です。

 このとき、和泉式部は重い病に臥せっていました。歌の意は、「私はもうこの世に生きられないでしょう。なので、あの世の思い出に、もう一度だけ、あなたに逢いたい」 ── 恋に生き、恋に死ぬ、恋多き女性、和泉式部らしい歌です。

 作品については、選者の正木ゆう子氏の評に尽きると思います。

 「『もう一度会いたい』という和泉式部の和歌の下句に、『海に雪』を付けただけだが、なかなかの雰囲気。虚構でも、恋句とはいいものだ。平仮名の連続が、雪片を思わせる」。

 私のイメージは、波濤打ち寄せる暗い冬の日本海と、そこに舞う雪です。津軽三味線の響きが絶え絶えに聞こえくるような……。「女の情念」を感じます。

 作者は男性。正木先生がおっしゃるように、虚構の句ですね。切々とした女の情念を歌った石川さゆりの「天城越え」も、作詞は男性ですから。

 「和泉式部の和歌の下句に、『海に雪』を付けただけ」だが、才を感じます。17文字で物語の世界を作り上げています。

 近代俳句の土台をつくった正岡子規は「写生」を唱えました。写生の大切さは承知しているつもりですが、写生ばかりが俳句ではないように思います。俳句の「俳」とは遊び心です。虚構の世界に遊ぶのもまた面白い。しかし、それにはセンスが必要です。なかなか真似しても及ぶものではありません。凡人は、やはり写生からでしようか。

〇 地魚も 地酒も寒く なればこそ

   (枚方市/船橋充子さん)

※ 1月に、石川、富山に行ってきました。地魚も、地酒も美味しかった。酒はもちろん、燗酒です。

        ★ 

 さて、今は春三月。春の句にも、なかなかすばらしい作品がありました。そのなかから三つ。

〇 冴返る 床踏み鳴らす 能舞台 

    (春日部市/岩木弘)

※ 「冴(え)返る」は春の季語。「そろそろ暖かくなりかけたと思うと、また寒さが戻ってくるのをいう。寒さがぶり返すと、ゆるんだ心持が再び引きしまり、万象が冴え返る感じをもつ」(歳時記から)。

 しんと冷え込む空気の冷たさと、シテが能舞台の床を踏みたたく硬質の音とが響きあい、身が引き締まります。これも日本的美の世界ですね。  

◎ 春時雨 四条木屋町 石畳

    (大津市/竹村哲男)

※ 漢字ばかりですが、漢詩ではありません。れっきとした日本の俳句です。

 「はるしぐれ しじょうきやまち いしだたみ」。

 「時雨」は秋の終わりから冬にかけて、降ったりやんだりする冷たい雨のことですが、「春時雨」は春雨ですからもっと明るい感じ。場所は京の四条木屋町。四条大橋を東から西へ、鴨川を渡ったあたり。その石畳に春の雨が降る。しっとりと、艶のある風情で、日本的抒情です。

 この句にも才を感じます。こういう句に接すると、自分も作句してみようという気持ちも萎えてしまいます。

〇 たんぽぽや 島を囲んで 濤(ナミ)寄せる

    (横浜市/矢沢寿美)

※ まさに春の句です。どこの島でしょうか。旅に出たくなりました。

 

  

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若き日々気にもかけざる … 読売俳壇・歌壇から

2019年01月03日 | 随想…俳句と短歌

あけましておめでとうございます。

 本年もよろしくお願いします

     ★   ★   ★ 

 さて、昨年末の俳句に続いて、今回は短歌です。

〇 若き日々 気にもかけざる 道端の

  地蔵に今朝は 両手を合わせる

    (狭山市 / 奥薗 道昭さん) 

※ 天地宇宙・森羅万象、そして、この日本列島に生まれ、生き、土に戻っていった祖先に対する敬虔な気持ちでしょうか。そういう気持ちは、若く、血の気が多く、「我」にとらわれている時には、もたないものです。

 サッカー日本女子代表監督の高倉麻子さんが、「選手時代は全くなかったんですけど、代表監督になってから、道を歩いていて神社があると、つい立ち寄って参拝するようになりました」と、ちょっと照れながら話していました。よくわかります。

   海上自衛隊掃海艇女性艇長岡田茜さん(2019、1、4讀賣)

 「初めて『ちちじま』の艇長室に座った時、海がそれまでとは異なって見えました」。

 「危険を伴う困難な課題が与えられ、決断をためらってしまったことがあるのですが、部下に『艇長から、やれ、と言われたら我々はやるのです』と言われ、勇気づけられました。部下の信頼を得てこそ、私の命令一つで一つにまとまるのだと実感しました」。

   艇長としての判断はある。それは論理的帰結だ。だが、命令を下さねばならぬとき、その過酷さについ逡巡した。しかし、隊員は言う。隊員各自が「我」を主張しだしたら破滅しかない。最後は艇長の判断に従うのみ。

── ちなみに女性艇長の部下約50人は全員、男性だそうです。

 昨年のワールドカップのポーランド戦を思い出します。翌朝のミーティングの時、西野監督は選手に謝ったそうです。これから、日々、国民と世界のサッカーファンの非難の中を生きていかなければならないかもしれない。しかし、選手全員が、西野監督のあの作戦を支持したそうです。

   高倉さんが神社にお参りするのは、神頼みというようなこととは少し違います。日本代表監督として、選手たちの信望とファン・国民の期待を一身に受けて立つ立場になった人の、「我」を超えた深い思いを感じます。

 日本の神々は、モーゼの神のように海を割いたり、イエスのように死者を蘇らせてみせたり、そういうおどろおどろしい奇蹟を起こしません。

 祈る人に寄り添って、その人の努力に少し力を添えてくれるだけです。決断するのも人、実行するのも人です。

 いつも明るく爽やかな、日本代表監督に期待しています。がんばれ!! 高倉さん。

        ★

 2013年5月に投稿した「散歩道5 … 石仏」を少し再掲したいと思います。

 「散歩していると、今まであまり気に留めていなかったことに、改めて気づかされることがある。

   例えば、気をつけて歩いていると、あちこちに石仏がある。

   石仏には、雨露をしのげるようお家が作ってある。野ざらしの場合も、その前に、花が供えられている。

   だれが、このように敬虔な、或いは、心優しいことをしているのだろう?」

 「近くの住人でも、そこに石仏があることを知らない人は多いだろう。人は、眼に映じているものすべてが見えているわけではない。

 だが、遠い昔から21世紀の今に至るまで、だれかが、心を込めて、家の近くの野の仏をお世話してきた。

 こういうことも、この島国に生まれ、母音の強い言葉を話し、漢字混じりのかなを書き、四季の変化に一喜一憂し、風の音や鳥の声を左脳で聞く人々が引き継いできた文化である。文化とは、文学とか音楽とか美術とかいう以前の、このような日々の生活の中にあるものだろう」。

 

 「この5月、スペインへ行った。

 アンダルシヤ地方の小さな町を歩いているとき、道の辻にマリア像や磔刑のキリスト像が祀られているのを見た。以前、何度か行った海の都ヴェネツィアの迷路のような路地にもあった。

 これらと比べて、日本の石仏は周りの家並みや野の景色に溶け込んでいて、容姿も穏やかで、愛嬌があり、心優しい」。

         ★

〇 妻われに 図書館にでも  行ったらと

  一万円札 手渡しくれる

    (仙台市 / 鏡 謙一さん) 

※ この作品については、選者の評と合わせてご鑑賞ください。選者の評が、おかしい。

 「図書館に行くのにお金はかからぬが、それでもお金を渡してくれた。しかも千円でなく一万円を。なんとよき妻、神のごとし」。

        ★

〇 息子ほどの 年の内科医に 私、鬱と

  訴へて帰る 葉桜の道

    (座間市 / 高田 孝子さん) 

※ この作品に、なぜか心ひかれて、書き留めました。どこに心ひかれたのか?? しばらく考えました。 

  「息子ほどの年の」お医者さん。しかも、内科の先生。頼りないのですが、だからこそ、さらっと言えた。そういう相手だから期待していたわけではない。だが、さらっと訴えたら、すっと心が軽くなった。桜の若葉が萌え出た陽だまりの道を、少し明るい気分で帰っていく。「あの先生、私にはいいかも」。

 心の機微が詠まれていて、ちょっとしたエッセイのよう。短歌的叙情に逃げず、からっとしているところがいい。

 それにしても、人生も半分を過ぎると、私もそうですが、定年退職とか、健康診断で何か気になる結果が出たとか、そうしたことがきっかけで、知らぬ間に心が鬱的状態になります。お互いに気を付けましょう。

           ★ 

〇 山畑を 誰に遠慮の 要るものか

  煙草吸う人 鶯も鳴く

   (宇陀市 / 木下 瑞子さん)

※ 私は煙草を吸いませんが、最近、喫煙者に対する風当たりが強く、同情することもあります。

 テレビで「日本は喫煙規制に関して周回遅れだ、恥ずかしい」などという評論家の声も聴きました。しかし、私は、毎年、西欧旅行に出かけますが、そんな風には感じたことはありません。欧米は、何事でも、一時的に極端に走りすぎて、あとで反省し、ちゃんとバランスをとります。

 バランスの取り方は、それぞれの国ごとの条件に合わせたらよいと思います。欧米のバール、カフェ、レストランは、たいてい路上にテラス席を設けています。そして、そちらの方に座る客が圧倒的に多い。その上での、建物内全面喫煙です。日本は、路上喫煙も禁止した上、小さな居酒屋の中も禁止せよと言う。条件が違うのに、西欧の規則をそのままあてはめようとするのは無理というものです。小さな居酒屋の中の煙草の煙は私もいやですが、一方的にお上の禁止令で処理するのではなく、何か折り合いを付ける方法を考えてほしい。 

 私は分煙に賛成ですが、喫煙所からかすかに漏れてきたタバコの煙を許せない人がいます。鬼の首でも取ったように、まわりに不満をまき散らす。

 たまたまそこを通りかかって、かすかに漂ってきた煙を一瞬吸ってしまったとしても、その程度であなたは癌になりません。大丈夫です。それより、そういう人を許せない狭小な心がストレスをうみ、癌の要因になります。

 誰しも、大なり小なり、人に迷惑をかけ、人を傷つけて生きています。完璧な人などいるはずがないから、この世は楽しいのです。もう少しだけ、おおらかで寛容に。

 田畑に春が来て、鶯も鳴いて、のどかです。心おきなく一服を。でも、あなたの健康のために、ほどほどにね。

        ★

〇 葛城の 一言主(ヒトコトヌシ)の 神のには

  銀杏(イチョウ) の黄金(コガネ) ふりやまぬなり

    (岡山市 / 前原 和子さん)

※ 選者である岡野弘彦先生の評が絶品です。

 「大和の西側の葛城地方は、東側とは違って葛城山系の神の支配する世界であった。その葛城の社に鎮まる一言主は威力ある言語の神である。散りしきる黄葉が象徴的だ」。

  葛城一言主神社については、つい先日、このブログに書いたばかりです。訪ねた時は、落葉には少し早かった。

 「『古事記』にも『日本書紀』にも、葛城山を訪ねた雄略天皇と一言主神とのやりとりの話が登場する。高天原の話ではない。人間の大王と土地の神とのやりとりは、まるでギリシャ神話のようだ」。 

 「祭神の一言主神は、凶事も吉事も一言で言い放つ『託宣の神』であったらしい。だが、今は、託宣というより、一言で願いをかなえてくれる神さまとして信仰されている。ただし、『ひとこと』は『一事』でもあるから、願いは一つだけ。あれもこれもと欲張ってはいけないことになっている。そこが良い」。

 「境内に、銀杏の古木。そして、歌碑もある。

 歌の中の『其津彦(ソツヒコ)』は、碑に説明されているように葛城氏の祖」。

 「このあたりから北を見れば、遠い昔、政治の中心であった大和平野が一望でき、背後には、我が家からは遠くに見える秀峰・金剛山、葛城山が、驚くほど間近に、迫力をもって聳えている。

 遠い昔 … この地に蟠踞した葛城氏は、朝鮮半島まで兵を出し、朝廷に大臣も出し、妃も出した」。

 少し謎めいた、しかし、土の香りのする、草深い山里である。

   

 

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春野行くバス … 読売俳壇・歌壇から

2018年12月28日 | 随想…俳句と短歌

    ( ブルゴーニュの野で )

 今回は、この数か月の間に読売俳壇、読売歌壇に掲載された俳句や歌の中から、手帳に書き留めておいた作品をいくつか紹介したいと思います。

 私は俳句にも歌にも全く素人で、自分で作ったことはありません。ここに取り上げる作品も、作品の良し悪しを基準にして選んだわけではなく、私の感性に響き、私の気持ちや気分を代弁してくれているように感じる作品を取り上げています。作者の皆様には、不躾をお許しください。

     ★   ★   ★ 

春野行く バス一人降り 一人乗り

  (小松市 / 山形 一彰さん)

※ 「春野」「バス」という言葉から浮かんでくるのは、春のブルゴーニュの旅の一場面です。ローカル鉄道もこの先へは行かず、ローカルな大聖堂を訪ねるために、ローカルバスに乗り換えました。

 ブルゴーニュの野を走る小型の乗り合いバスは、日本と同じように人手不足なのか、地元のマダムの運転でした。

 客の少ないそのバスが、林や畑の中の道をまるで野ウサギのごとく疾走し、手に汗を握りました。

 最近、日本でも、大型バスの若い女性ドライバーが次々誕生し、人気を得ているようです。なにしろ制服姿や、大きなハンドルを鮮やかに回す姿がカッコいいのです。

 ローカルバスのこういうのどかな句を読むと、また、「岬めぐりのバスに乗って」、日本の旅に出たくなります。

        ★

〇 奥会津 そのまた奥の 遅桜

  (須賀川市 / 関根 邦洋さん)

※ 選者の評に、「奥会津は雪の多いところだが、そのぶん春が生き生きとしていて、風光に一級品の趣がある」、とありました。

 関西に住む人間にとって、東京より東の地には遥けさを感じます。まして、「奥会津」という語感は、「山のあなたの空遠く」です。しかも、選者が、「雪の多いところだが、…… 風光に一級品の趣がある」と言っておられますから、ますます心ひかれてしまいます。鈍行列車の旅もいいですね。

        ★ 

〇 生涯を 娶らぬ不幸 墓掃除

  (東京都 / 金沢 洋治さん)

※ 「不幸」は、この場合「親不幸」のことでしょう。

 もし優しいお嫁さんがいて、孫たちに囲まれて人生の終わりを迎えることができたら、ご両親はもっと幸せだったでしょう。先祖からの墓を受け継ぐ者が絶えてしまうのも、淋しいことです。

 しかし、ご両親にとって、そういう淋しさは、何とか折り合いをつけることができます。

 ご両親にとって最期まで心配だったのは、この先、一人で生き、そして一人で死んでいかねばならない息子の行く末の淋しさです。そのことを案じながら死んでいかねばならない …… それがいちばん親不幸だったかもしれません。

 子は親にしてあげられなかったことを思いますが、親は子の幸せが気になるのです。

 季語は、「墓掃除」で秋。

        ★

〇 小鳥来る 村に一社と 一寺あり

   (日高市 / 駿河 兼吉さん)

※ 素人ながら、調べました。「小鳥来る」は、「渡り鳥」などとともに秋の季語なのです。

 一般には、春に来て、秋に帰っていく鳥(夏鳥)も、秋にやってきて、春に帰っていく鳥(冬鳥)も渡り鳥ですが、俳句では秋に渡ってくる鳥が「渡り鳥」なのだそうです。夏鳥は群れをなさない。一方、冬鳥が澄んだ空を大群で渡ってくる様は壮観で、季語となったそうです。雁や鴨をはじめ、小鳥ではつぐみ、ひわ、あおじなどです。

 稲刈りも終わった秋の野に鳥たちが渡ってきて、神社の杜が一つと、お寺の森が一つある。その大樹の中は小鳥たちのさえずりでにぎやか。日本の原風景です。 

        ★

〇 ひたすらに 月の出を待つ 団子かな

   (土浦市 / 白田 ノブ子さん)

※ 月の出を待っているのは、もちろん団子ではありません。子どもたちでしょう。擬人法で、ちょっと微笑ましい句です。

 わが家に月見のできる風流な縁側があるなら、「花より団子」ならぬ「月に燗酒」ですね。

 ススキを生け、お団子を供える月見の風習も、今ではほとんど見なくなってしまいました。選者は、「現代のわれわれはなんと沢山のよき風習を失ってしまったのかと思う」と嘆いておられます。

辻邦生『時刻(トキ)の中の肖像』から 

 「1980年にパリ大学で日本文化論をフランス人学生に講義したとき、改めて年中行事の一つ一つを月を追って説明したが、その優雅な生活の色どりに、学生たち以上に、私自身が心を打たれた。新年の若水汲み、お雑煮から始まって、節分、雛祭り、端午の節句、七夕、お月見、そして大晦日の年越しそばに到るまで、私たちの祖先は真に生きることを深く楽しむことを知っていた。それは、西洋では味わうことのできない生の至福の数々なのだ。歳時記に現れた俳句の季語は世界文学の中でも大きな財産といえるものだ」。

 でも、月見のできるような縁側こそ今はありませんが、月は見ます。それも、西洋人やアラブ人とは違った感性で。月の明るい夜には、「雲が少しかかって、風情あるいい月夜だ」と思ったりします。居酒屋の名にも「望月」とか 「十六夜」とか …。そういう感性は日本列島がある限り、日本語を母語とする人々の中にずっとつながっていくと思います。

        ★

〇 元寇も 倭寇も朝の 海市より

  (北本市 / 萩原 行博さん)

※ 「海士(カイシ)」は蜃気楼のこと。春の季語です。「歳時記」によると、蜃気楼は、天候が良く、風の弱い日に起こりやすく、船舶、風景、人物などが空中に浮かんで見えることが多い。富山湾やオホーツク海沿岸が知られる、とあります。

 選者の評に、「どちらも『海市』すなわち蜃気楼から現れたとは、意表をつくとともに、実際にそのように見えたかもしれないと思わせる」とあります。

 たった17音の中に、時を超え、空間を超え、現実と幻の境を超えた世界がとらえられて、夢幻能のように、素晴らしい句だと思いました。

    ★   ★   ★

 志賀島(シカノシマ)神社は、海人族・阿曇一族が綿津見三神を祀った神社です。玄界灘に突き出した長い砂洲の先の小さな島にあります。

 唐・新羅軍の攻撃によって百済が滅亡したとき、救援のおびただしい軍船が船出したのはこのあたりでしょう。その先頭に阿曇の一族がいたはずです。

 鎌倉時代の元寇の時には、このあたり一帯が戦場となりました。

 その報復のために始まったと言われる倭寇の船は、対馬や松浦のほか、このあたりの湊にも出入りしたことでしょう。

         ★

 当ブログ「玄界灘の旅」から「海人・阿曇氏の志賀島へ行く」を参照

  ( 志賀島神社の拝殿 )

 ( 玄界灘を望む遥拝所 )

  

     ( 志賀島神社楼門 ) 

 「拝殿の前で参拝しているとき、突然、目の前に正装した宮司さんが現れて、驚いた」。

 「続いて、宮司さんは玄界灘を望む遥拝所で参拝された」。

 「そして、舞台を去るごとく、楼門から退場された」。

 「2千年の歴史が流れる、人けのない島の神社に起こった、幻のようなひとときであった」。

      ★   ★   ★

 皆さん、良いお年をお迎えください。 

  また、来年も

 

 

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恋の絵馬 … 読売俳壇・歌壇から

2018年03月31日 | 随想…俳句と短歌

          ( 奈良・興福寺 )

短 歌 >

〇 大和路の 古寺(コジ)を巡れば 仏心の

 少なき身にも 安らぎの湧く

       ( 渡部 達男さん )

※ 「古寺を巡れば … 安らぎの湧く」。仏心とは決して大仰なものではなく、本ものの仏心とはそういうものだという気がします。

〇 ふかぶかと 頭をさげて 去りゆけり

 駅を問いたる 白人女性

       (玉川 伴雄さん)

※ 日本を旅するヨーロッパ系の旅人のなかには、日本人より日本の心をもつ人がいるように思います。他者や異文明をリスペクトする心があってこその旅です。

〇 申告の わずかな稼ぎに 掛かりたる

 僅かな税を 払うよろこび

       (海老原 敏男さん)

※ 国民としての義務でもありますが、同時に、誇りでもあります。清々しい歌です。

〇 赤々と 燃ゆる火ぬくし

 古家の 解体終へし 人らかたらず

       (上野 千種さん)

※ 歴史というものの長さからみれば、一世代はあっという間です。しかし、それでも、そこには人の半生があったのです。解体作業を終えて焚火にあたる作業員らも、口数少ない。喜んでやっているわけではない。大量生産・大量消費の社会は、そろそろ終わりにしたいものです。

         ★

俳 句 >

〇 まだまだと 大和平野の 冴返る

       (寺岡 賢治さん)

※ 「冴(え)返る」は季語で、春になって寒さがぶり返すこと。正岡子規の写生を実践しているとともすれば世界が微細なものになりがちですが、この句は、「まだまだと」という口語的表現に続いて、「大和平野の」と図柄が大きく、素晴らしい俳句だと思います。

〇 鬼やらふ この世の闇の 恐ろしく

       (久保谷 幸正さん)

※ 「鬼遣らひ」「追儺(ツイナ)」。節分の行事。動詞となって、鬼を追い払うこと。

 鬼は闇のそこここに隠れています。わが心の闇にも。「明」があれば「暗」もある。「明」だけの世界を求める思想は、かえって恐ろしい。鬼が隠れていてこそ、人の世であり、人の心。そう思ってみれば、愛嬌があるではありませんか。

〇 受験子の 絵馬にかくれて 恋の絵馬

       (中 博司さん)

※ 桜のようにほんのりと紅がさす句です。

    ★   ★   ★

16

 

     ( 臼杵摩崖仏 )

   今回、カテゴリー 「国内旅行 … 国東半島の旅」のうち、8から10及びその続編1~2をメンテナンスしました。「秋の国東半島石仏を巡る旅」です。

 題を変えたり、写真を一部差し替えたり、また、枠組をスマホ仕様にし、文章表現の手直しもしました。2015年1月から3月に書いた5編です。

8 「国宝・臼杵摩崖仏と真名野長者伝説」

9 「小さな城下町・臼杵」

10 「藩風が町の気品として残る城下町・杵築」

続編 「国東半島から日本の未来を見る1」

続編 「国東半島から日本の未来を見る2」

       ★

 杵築は、小さな美しい城下町でした。写真をご覧ください。

   「続編」の1、2は、現代の課題について、たまたま目にした当地に関する新聞記事を引用しながら考えました。

 また 

 

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藤井さんなら … 読売俳壇・歌壇から

2018年03月07日 | 随想…俳句と短歌

   気象予報士は、「寒暖差が大きい。今日はしっかり寒さ対策をして出かけましょう」などと言うが、晴れていさえすれば、ぽかぽかと暖かい。あちらの畑にも、こちらの民家の庭にも、せせらぎの辺にも、白梅、紅梅が満開だ。

 さて、新聞に投稿された短歌、俳句、川柳に目を通していると、高齢者の心境を詠じた作品が目に付く。社会の高齢化が進んで高齢者の投稿が多いし、高齢者の一人である私もまた、若いころは目の前のことでいっぱいだったが、年とともに老境を詠んだ短歌や俳句に心ひかれるようになった。

 今回は、最近、感動した短歌5編を紹介します。あくまで私の好み、感性による選択です。

〇 目覚めたる 夜半にのみほす 一杯の

  水のうまさよ 八十五の春

          ( 芳垣 光男さん ) 

※ 夜半に目覚めるのは年のせい。一杯の水をうまいと感じるのは生ある証拠です。私は、85歳にはまだ間がありますが、生きている限りはこの方のように矍鑠(カクシャク)として生きたいものです。

〇 山すそに 廃寺となりて 残る寺

  数基の墓と 忠魂碑立つ 

                   ( 北泊 あけみさん )

※ 岡野弘彦評 : 「日本の各地で、こうした無住の寺や神社がふえているようだ。人情や信仰の変化と言えばその通りだが、我々をはじめ子孫の安心を思うと気になる問題だ」。

 忠魂碑を軍国主義の象徴などと言うことなかれ。そういう時代も含めて私たちの民族の歴史なのだから。

〇 君知らぬ 十六年を われ生きて

  木犀の香の 秋はめぐり来

    ( 瀬古沢 和子さん )

※ 「君」は十六年前の秋に亡くなった愛する人(男)のことでしょう。死者は生きている者に温もりを残し、生きている者は死者に安らぎを与えます。

〇 残されし 人の元気が 供養だと

  吾を救ひし 言葉を送る

    ( 高品 弘さん )

※ かつて大切な人が亡くなって打ちひしがれていたときに誰かに言っていただいた言葉を、今度はどなたかに送って励ましたのでしょう。死者にとって、愛する人が明るく生きていてくれることが、何よりもうれしい。

〇 爺がさす 駒見てそっと 孫がいふ

  藤井さんなら ここに歩を置く

    ( 重親 利行さん )

※ 短歌ですが、まるで川柳のように笑いました。小学生でしょうか。賢く、しかも、やさしい少年ですね。

 私の孫はかつて将棋教室に通っていましたから、しばしば言う私の「待った」を認めてくれませんでした。でも、将棋とは別に、孫はほっこりするようなやさしさを示してくれることがありますから、この歌はよくわかります。

     ★   ★   ★

16

     ( 宇佐神宮 )

   今回、カテゴリー 「国内旅行 … 国東半島の旅」のうち、1から7までをメンテナンスしました。「秋の国東半島石仏を巡る旅」です。

 題を変えたり、写真を一部差し替えたり、また、枠組をスマホ仕様にし、文章表現の手直しをしました。2014年11月から2015年にかけて書いた以下の7編です。

1 「旅の初めは羅漢寺へ」

2 「ドングリの杜の宇佐神宮に」

3 「国東半島は神と仏が習合した里」

4 「岩壁の熊野摩崖仏と神仏習合の起こり」

5 「幻の大寺を伝える真木大堂と田染荘」

6 「国宝の富貴寺阿弥陀堂」

7 「修験道の大寺・両子寺」

         ★

 国東半島とは、どんなところだろう??

   いつものように帰ってからいろいろ調べました。それを要約したのが、2、3、4です。知ることで、この地の味わいがより深くなりました。

 また 

 

 

 

 

 

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雪の夜 … 読売俳壇・歌壇から

2018年02月28日 | 随想…俳句と短歌

 友人のTさんが「70の手習い」で、俳句をはじめました。句会にも出ているそうで、本格的です。

 先日、一献傾けたとき、句会の先生に跡形もないぐらい添削される、とぼやいていましたが、始めたばかりでしょう。藤井少年のような天才高齢者じゃないんだから。

 でも、学生時代には、仲間と同人誌を出していたそうで、文学青年だったとか

 しかし、それからの半生。相応のポストにも就き、信頼もされたでしょうが、組織の中でいつの間にかすり減っていったものもあると思います。齢を重ねてなおストレッチやウォーキングなどの運動が必要なように、句作をとおして心のリフレッシュをし、自然や人情に対する感性、日本語に対する感覚をもう一度磨きなおすことは、とても良いことだと思います。ぜひ、かつての文学青年復活を。ただし、天才を目ざさず。

 どうか頑張ってください

 私?? 引き込まれないよう用心しています。なにしろ、ブログで精一杯なのです。

     ★   ★   ★

 さて、今回は、選者に選ばれて新聞に掲載された短歌、俳句、川柳の中から、川柳を4句紹介します。

 季語などのしばりのない川柳に、私はひかれます。ただし、その分、読む人の意表を突き、納得させるセンスが求められます。 

川 柳 >

〇 旅もよし 我が家もよくて 夕暮れる

     ( 大村 三郎さん )

※ 旅から帰って、くつろいだところでしょうか。

 私の母は、60歳頃からちょくちょく国内旅行に出かけるようになりました。帰ってきて、畳の上で茶を飲みながら、決まって第一声は、「うちが一番いい!!」。── なら、行かなければいいのに、と思ったものです。

〇 少子化に 夕暮れ時の 声はなく

     ( 原田 ひとみさん )

※ わが家は新興の住宅地に建てた家で、建てたころは小学生年齢の子どもがいっぱいて、子供会活動も盛んでした。その子どもたちの世代が今は社会の中堅として他郷に出て、ここはすっかり高齢者の住宅地に様変わりしました。一人暮らしの老人も、空き家も、目立つようになっています。やがて、手入れする人もいない空き家と更地になるのでしょうか?? 「限界集落」化は山村部の話ではなく、大都市のマンションでも、大都市周辺の住宅街でも起こっています。

 ただ、それは一概に少子化のせいばかりとは言えないようです。というのも、昔、子どもたちと散策した、わが家の少し向こうの山林に、あるときブルドーザーが入り、宅地が造成されて、今はオシャレな住宅地となりました。そちらには小学生がいっぱいるのです。

 ということは、何十年かしたら、そこも「限界集落」になるのでしょう。同じような世代の人ばかりですから。わが町の政策担当者は、どういう町の未来像を持っているのでしょうか?? スクラップ・アンド・ビルド、使い捨て文化は、もうおしまいにしなければと思います。

 各地方行政の将来をみる目と企画力が問われているのだと思います。富山市のコンパクトシティ構想は、全国だけでなく、外国からも多くの視察があるそうです。( 藤吉雅春『福井モデル ─ 未来は地方から始まる』文藝春秋 )。

〇 美しい 妻に出逢った 雪の夜

     ( 渡辺 勇三さん )

   この句には笑いました。面白い

 NHK・BSに「新日本風土記」というNHKらしい名番組があります。先日、再放送で、「雪国」をみました。そのなかに、各地に伝わる雪女の話の紹介もありました。

   吹雪の夜、戸を叩く音がして、戸を開けると女が立っている。雪女は氷の息を吹きかけて男を殺すのです。小泉八雲の「雪女」の場合は、2人の男のうち、若い男の方を殺さずに去ります。ただし、見たことを誰にも言ってはいけない、言ったら殺すと言い残して。

 それから何年かして、若い男は旅で出会った美しい女を嫁にします。子が10人もできました。ある夜、男は嫁に、昔、出逢った雪女の話をしてしまうのです。女は、それは私だ。子がいるから今回だけは見逃すと言って、男を殺さず去っていきます。

 もう一度、この句を読んでみてください。雪のしんしんと降る音が聞こえてきませんか?? 面白い!! 

  一番面白がっているのは、作者ですね。雪は現実をおおいかくし、虚構の世界へ誘います。

〇 豆まきは しないがチョコは 配ります

     ( 藤原 紘一さん )

※ 時代は変わっていきますから、仕方がありませんね。

 でも、ハーバード大学のテオドル・ベスター教授は、日本の「義理チョコ」の風習 ── 恋人に対してだけでなく、女性が、日頃お世話になっている男性たちにチョコを配るのは、日本化されていて面白い、と言っています。(佐藤智恵『ハーバード日本史教室』中公新書ラクレ)

 「豆まき」の原型、追儺(ツイナ)の行事は、「枕草子」にも登場する宮中行事です。さらに遡れば、奈良時代に中国から入ってきた風習です。明治以後は、西欧からもいろんな風習・文化が入ってきました。なにしろ日本列島は、ユーラシア大陸の果ての果て、黒潮洗う島国なのです。流れ着いたものを長い歳月をかけて育んで、自分の文化に同化します。それが、日本です。融通無碍です。

 「豆まき」と言えば、川柳ではありませんが、こんな短歌もありました。

〇 隣り家(ヤ)の 独り住まひの 老人が

  声張りあげて 豆を撒きをり

     ( 谷川 浩さん )  

 この短歌も新聞投稿の作品です。もちろん、男性でしょう。「独り暮らし」ではなく、「独り住まひ」というところが、心のたたずまいがきちんとしていて、良いですね。

 でも、もしかしたら、孤独で、かたくなで、嫁にも娘にも相手にされないような、やりにくい高齢者かもしれません。

 だから、チョコをあげる風習は大切です。 

     ★   ★   ★

15

   今回、カテゴリー 「西欧旅行 … シチリアへの旅 (地中海の文明の十字路となった島・シチリアへの旅) 」のうち、7から12までをメンテナンスしました。

 写真を一部差し替え、また、枠組をスマホ仕様にし、文章表現の手直しをしました。以下の6編です。

〇「牧歌的な古代遺跡セリヌンテ」

  …(シチリアへの旅7)

〇「もう一つの古代遺跡『神殿の谷』」

  …(シチリアへの旅8)

〇「ビキニ姿のモザイク画、そして花の大階段」

  …(シチリアへの旅9) 

〇「バロックのラグーサと古都シラクサ」

   … (シチリアへの旅10) 

〇「シチリアの珠玉タオルミーナ」

  … (シチリアへの旅11)

〇「旅のおわりに ── 人のためにもならず、学問の進歩にも役立たず」

  … (シチリアへの旅12)

 シチリア旅行で気に入った場所を特に挙げるとすれば、7のセリヌンテと、11のタオルミーナでしょうか。写真だけでもご覧ください。

 10の「ラグーサとシラクサ」は、ポエニ戦争のことから皇帝フリードリヒⅡ世のことまで、簡潔にまとめるのに苦労した、そういう意味で私なりの力作です

          ★

 シチリアと言えば、マフィアの本拠地。なにしろ映画「ゴッドファーザー」のふるさとです。旅に出る前は、何も知識がなくて少し心配しましたが、日本の旅行社のツアーが出ているのだから大丈夫と思って参加しました。

 州都パレルモの一部には、個人旅行なら気を付けたほうが良い地域もあるようです。しかし、それはどこの町でも、日本でも、同じです。パレルモ以外は、青い海と、雲と、緑の山河と、小さな町と、気の遠くなるほど遠い時代の遺跡がある島です。

 マフィアのような大犯罪の影は、今はありません。イタリアの政財界の奥に潜んでいるのかもしれませんが、少なくとも我々旅行者などは相手にしません。

 パレルモの国際空港の正式名称は、ファルコーネ・ボルセッリーノ空港。2人の判事の名が冠せられています。マフィアと戦い続け、1992年に相次いでマフィアに爆殺されました。今は、シチリア人の英雄として、記念碑が建てられ、空港の名として残っています。

 また 

 

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「蜩(ヒグラシ)は森のささやき」 … 読売俳壇・歌壇から

2018年02月19日 | 随想…俳句と短歌

 新聞に、読者から投稿された短歌、俳句、川柳が掲載されます。

 自分では作りませんが、時々、目を通します。そして、特に心に響く作品があったときは、思わずメモすることがあります。

 プロの写した風景写真よりも、その土地のアマチュアカメラマンが写した1枚の方に感動することがあります。究極の風景写真は、アマチュアの作品です。

 短歌や俳句でも同じで、プロも及ばない歌や句があります。 

 最近、メモした中から、今日は俳句を4句紹介します。作品が上手か下手かではなく、私の心に響いた句です。ひとこと、感想も添えました。

蜩(ヒグラシ)は 森のささやき かもしれず

    ( 城 恵己子さん )

 ※「森のささやき」がロマン的です。或いは、神の気配。

うま酒を 酌むや良夜の 江戸切子

    ( 和田 康さん )

 ※切子のぐい飲みで。美しい夜ですね。

山門の 萩の誘ふ 白毫寺

    ( 川北 康徳さん )

 ※清楚で気品のある可愛いい花です。

子ばなれは 落ち葉を踏みて ゆくがごと

    ( 市川 どう子さん )

 ※心を揺さぶられた句です。「落ち葉を踏みてゆくがごと」という比喩が、人が生きていくとはどういうことか、その一つの側面を言い表して、心にしみました。

    ★    ★    ★

14

   今回、2014年4月~7月ごろに書いた次の11編を更新しました。カテゴリー 「西欧旅行 … シチリアへの旅 (地中海の文明の十字路となった島・シチリアへの旅) 」の1から6までと、随想5編です。

 写真を一部差し替え、また、枠組をスマホ仕様にし、文章表現の手直しをしました。以下、書いた順です。

〇「里の春…散歩道7」… (随想…散歩道)

〇「山笑う…散歩道8」… (随想…散歩道)

〇「自分が敗ける夢を何度も見て、不安だった」

  … (随想…スポーツ)

〇「『山の神・仏…吉野、熊野、高野』展に行って」

  …(随想・文化)

〇「ざくっとシチリアの歴史を概観する」

  …(シチリアへの旅1)

〇「旅の始まり」…(シチリアへの旅2)

〇「パレルモへ」…(シチリアへの旅3) 

〇「ザッケローニを超えて」 …  (随想・スポーツ)

〇「金色のモザイク画のチェファルー大聖堂」

   … (シチリアへの旅4) 

〇「ノルマン王宮礼拝堂のモザイク画」

  … (シチリアへの旅5)

〇「モンレアーレ大聖堂と、ヴェネツィア、ラヴェンナのモザイク画」

  … (シチリアへの旅6)

 お暇なときに読み直していただければ幸いです。

 また 

 

 

 

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