一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

8月2日の大野教室(4)

2020-08-16 00:22:26 | 新・大野教室

第1図から△5五銀▲同金△同歩▲同角(第2図)と進んだが、私は金を手放すのが惜しくなり、△7一玉。そこで▲7六銀と手厚く打たれ、チャンスを逸した。

もっともここでは互角であろう。以下Shin氏は▲8六歩~▲8五歩と伸ばしたが、私は意地でも△8三歩とは謝れないところである。Shin氏は▲8四歩。これで本局は、▲8四歩が活かせればShin氏の勝ち、活かせなければ私の勝ち、ということになった。
私は△4五歩と仕掛ける。定跡書ではこれで後手の攻めが成功するのだが、のちの△3六歩▲同銀に△4六歩、とじっと打ったのが緩手で、私がつまらない形勢にしてしまった。
以下数手進んで、私は△8六金(第3図)。

以下▲8七銀に△8五金。▲7七桂には△7五金の予定だったが、▲9七角△7四金のとき、▲8三歩成△同銀▲7五歩△8四金▲8五歩の狙いがあり、あまりいい金打ちではなかった。
私は気を取り直し、再び4~5筋を攻める。これが好調な攻めのようで、実は攻めさせられている感もある。

進んで第4図。ここでShin氏は▲7五桂とした。これも厳しいが、私はこの瞬間、▲8八飛を恐れていた。ごちゃごちゃやっているうちに八筋ががら空きになり、生じた筋だ。これは▲8四歩が最大限に活き、後手は相当気持ちが悪い。
本譜は△3六銀成。ここでも▲8八飛があったが、今度は私にも△7四銀の受けがあり、微妙に状況が違う。
以下は私がもたつきながらも寄せ形を築いたが、まだ先手に受けがあった。だがShin氏は▲7一銀△同玉▲6三桂不成△同金▲2一竜と、王手攻勢で最後の突撃を試みる。しかし際どく詰まず、私の制勝となった。
時刻は午後7時をとうに過ぎていたが、感想戦を行った。序盤から丁寧に行い第4図の局面まできたが、私指摘の▲7五桂を、Shin氏も認めた。
「飛車は縦に使うことを考えていたから、気付きませんでした」
とShin氏。こう進んでいたら、Shin氏が勝っただろう。
(お互い的外れな手を指していないから、私は後日の棋譜再生が容易と踏んだのだが、数日経ったらかなり忘れていて、ブログでの棋譜披露ができなくなってしまった)

さて、晩飯である。佐藤氏はまたも帰宅したため、メンバーは大野七段、W氏、Shin氏、私の4人となった。このメンバーで食事は史上初ではないか? みなは否定したが、まあ金曜教室ではあったかもしれないが、土日教室では初めてと思う。
食事は例の駅ビルにて。とんかつ屋は開いていいたようだが、インドカレー店に入った。
ではここで、席の配置を記しておこう。

出入口
   Shin  大野
壁   □   □
   W   一公
     壁

私たち定番の部屋で、客は私たちのみ。ソーシャルディスタンスは取っている。
私たちはカレーを食したあと、食後のゆんたくに入る。この店は長居に寛容なのがありがたい。
私は夏子さんの件で、みなに泣き言を言った。この類の話は9年振りだが、大野七段もW氏も、別の女性の件で再び聞かされるとは思わなかっただろう。
私「だから、26年前に彼女とうまくいってりゃ、それ以後の人生は変わってたわけよ。駒込に将棋指しに行ってないから、大野教室にも来ていない」
W氏「それは分からないよ。やっぱり将棋指しに来てたんじゃないか?」
私「どうかな、将棋指すより嫁さんといたほうが楽しいんじゃないか?」
なんだかこの会話が虚しい。
「だけど大沢さん、50過ぎてそこまで全力で悩めるなんて羨ましいよ」
と、大野七段が言った。これと似たセリフを、9年前にも聞いた気がする。
最近は藤井聡太棋聖の影響からか、某所での将棋教室では、受講を希望する生徒が増えているらしい。だがこのご時世なので、主催者側は人数制限を行っているという。これも巡り合わせの不運である。
気が付くと時刻は午後10時になり、閉店の時間になった。2日連続の交流で私のストレスもほんの少し軽減されたが、しょせん過去が変わるわけではないので、虚しさは変わらない。
Shin氏は15日(土)も大野教室に来るという。私はどうしようか。
(おわり)
コメント
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