一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

記憶は書き換えられる(第4話)「衝撃の事実」

2020-08-08 00:10:09 | 小説
私はアドレスリストを見てみる。2018年暮れ、夏子さんに年賀状を出した時、この住所を見たのだ。
リストには10名が記されていた。会社の元同僚(女性)や、元バイト先の上司、高校時代の文通相手(女子)などの名前があり、そのいちばん上に、夏子さんの住所、それに電話番号が記されていた。私は、彼女に電話番号を聞いていたのだ! まったく記憶にないが、何度か手紙のやりとりをして、教えてもらったのだろう。
ダイアリー部分を見ると、9月15日(木・祝)に
「滝本(渋谷17:00~)」
とあった。私が彼女に会ったのはこの日だったか?
すぐ上の14日には、
「滝本Telあり→折り返しTel(男が出るが、コワい)」
とあった。何と、夏子さんから電話が来ていた。私は不在で、折り返し電話を掛けたのだ。だが電話口に男性が出て、私は震えたのだろう。でも翌日、デートすることができた⁉
東急のスタンプラリーは、3日間も費やしていた。やはり89駅となると、1日では回れなかったらしい。夏子さんとは1駅いっしょに押しただけだったが、10駅くらい残しておけばよかったのか。彼女にとってのベストは何だったのだろう。
私は7月10日を見てみる。こちらは
「角館
滝本19:00(上野)」
と赤字で記されていた。赤字は、予定を意味する。そしてこの日に会ったのは間違いない。じゃあ夏子さんとは、2回会っていたのか⁉
7月10日は、上り新幹線の到着時刻に合わせたのだ。1年振りの再会を祝ったあと、私たちはどこかの店へ入ったのだろう。だがその記憶が全然ない。
もつ鍋を食べたのは渋谷だろう。秋の9月15日だから、そのメニューがあった。
1995年の手帳も、このとき戴いたのかもしれない。秋だから来年の手帳がすでに売られていたのだ。そして彼女が私を見て微笑んだあの角度の貌は、渋谷だ。私としたことが、2回の記憶を1回に凝縮してしまっていた。
いずれにしても夏子さんとは、フランクな関係になっていた。ゆえに渋谷で交際を申し込めば、私の妄想の数々が、現実になっていたかもしれないのだ。
ほかのページも繰ると、「中澤、中村」と赤字で記述があった。この2人は新卒の会社で同僚だった女子だ。私は退職後も、彼女らとも飲みに行っていたのだ。現在のニート状態に比べると、あまりにも我が行動が眩しすぎる。
ちなみに中澤範子さんはたいへんな美形で、スタイルと性格も抜群だった。あまりにも美しいので、私は逆に、ふつうに話せたのだ。
「安倍」の記述もある。安倍は高校の同級生(男)で、月に2回くらい会って街ブラをしていた。彼と話すことと言えば、一言に要約すると「彼女いない、彼女ほしい、彼女いるやつ、バカ野郎」だった。
つまり2人とも彼女がいないのを楽しんでいた?のだが、私には彼女ができるチャンスがあったのだ。だが私は9月16日以降、夏子さんに連絡をしなかった。そんなに郁子さんを求めていたのか?
私は喉がカラカラになり、台所で水を飲む。真夜中だが、当時の日記を見たくなった。
いろいろ漁ると、当時のそれが出てきた。見ると、どうしようもない記述ばかりである。街を歩いていたら綺麗な女の子を見た、とかイラスト入りで書いたりしている。
そして7月17日は、筆ペンで「千葉郁子さんに会いたい!!」と大書していた。しかし肝心の9月15日は、記述はなかった……。
当然ながら、郁子さんへの執着が大きい。7月3日に郁子さんのお母さんに会って、郁子さんと再会の可能性が出てきたからだ。しかし繰り返すが、当時私が狙うべきは幻の美女ではなく、現実に会っている夏子さんだったのだ。
当時、というかいまもだが、私は結婚までの過程で「ドラマ」を欲する。角館の美女とのそれは、私が旅先でたまたま声を掛けた女性と親しくなり、結婚まで進展するというストーリーになる。
私はそれに固執したのだが、南足柄市の夏子さんとのそれも、なかなかに劇的である。旅先でたまたま会い、同宿者の計らいで細い糸が繋がった。それから1年経って再会し、交際、結婚に発展する――。
どうして、後者の道を選ばなかったのだろう!
私より13年下のいとこは、職場のアルバイトの女性と結婚した。彼女が職場を辞める最終日、いとこが告白して付き合いが始まり、結婚に至ったものだ。
よって私の妄想も、ひどい飛躍とは思えないのである。
ともあれ新事実が明らかになり、私はさらに精神状態がガタガタになった。
もうこういうときは、過去の出来事を客観的に文章化して、ブログに発表するしかない。第三者に悩みをぶちまけて、心の負担を軽くするのだ。
とにかく私は1回目を書いた。第1話は、私と夏子さんが旅先で出会い、翌年夏子さんが中判の封筒を私に送ってくるまでだ。
読み返すと、ノンフィクションなのに、スピード感があって面白かった。これをA氏に読んでもらう。作家でもあるA氏のお墨付きを得れば、ブログにアップしやすくなる。

8月1日が来た。待ち合わせ時間は午後6時30分だから、昼は時間がある。あまり気が進まないが、私は夏子さんとの初対面の日を確定するべく、過去の旅行日誌を漁った。
だが1993年は、東北へ行っていなかった。徐々に遡っていくと、ようやくそれらしきノートを見つけた。最終ページに、夏子さんらホステラーの連絡先が、個々の自筆で書かれていたのだ。そしてその旅行日は、1990年7月だった!!
何と、再会まで4年を要していた! これでは夏子さんの雰囲気が変わるわけだ。そしてこの間私は、職場の優子さんに片思いしていたのだ。これでは夏子さんに食指が動かないはずだ。
ノートは日誌のテイをなしておらず、旅の感想が記されていなかった。だが4年のブランクの判明も大きく、私は「第1話」の修正を余儀なくされた。
修正稿を読み返してみると、面白味は薄れた。でもこれをプリントアウトし、リュックに詰めた。それと念のため、1994年の手帳もしのばせた。

A氏とは立川駅で待ち合わせとなった。A氏は作家だが、それだけでは食べていけないので、別の仕事を持っている。この日も仕事だったしく、私は申し訳ない気持ちである。
A氏が来た。私が夏子さんと結婚していたら、A氏とも知己にはならなかった。むろんそれで構わない。将棋関連の知己は、すべて清算でいい。夏子さんとの未来があれば、以降の記憶は要らないのだ。
A氏はずいぶん痩せていた。私は醜く太り、禿げてきたので、バツが悪い。
「今日は悪かったね。オレも50を過ぎて、こんなことで悩むとは思わなかったよ。オレのイメージしてた50代は立派な大人だったが、実際になってみると、子供だった」
「それはボクも同じさ」
私たちは、A氏オススメの居酒屋に入った。このパターン、9年前と同じだ。すなわち、私がファンだった女流棋士が電撃結婚したときに私はショックを受け、A氏夫婦を呼んで、愚痴を聞いてもらったのだ。
当時はリアルタイムだったが、今回は26年前の逸機だ。ショックの質が違い、今回のほうがはるかにキツい。私が愚痴をこぼしたところで、何も解決しないのだ。
生ビールを頼み、とりあえず乾杯する。だが、何を乾杯するのか。
「今回オレが話す内容をブログに上げようと思って、とりあえず発端の部分を書いてきた」
と私。
「ああ、ありがとう。帰宅して読むよ」
「おいおい、いま読んでくれ」
「そうなの? ……そんなこともあるかと思って、老眼鏡を持ってきたよ」
A氏はそう言って、読み始めた。
(つづく)
コメント
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