一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

記憶は書き換えられる(第6話)「ブログの存在意義」

2020-08-11 00:26:40 | 小説
私は7月2日、3日と角館に行く決意をした。そして自身を奮い立たせるべく、6月24日、範子さんにその旨を伝えた。結果壮行会として、1日に飲むことになったのだろう。
その範子さんには、この日以外にも上野で会った記憶がある。
上野駅不忍口の、いまは「あゝ上野駅」の記念碑が建っているところが、昔は公衆電話コーナーだった。そこを待ち合わせ場所にし、私は時間ギリギリに行った。私は美形の彼女を待たせることで、「そのデートの相手はオレだ」と、周りに自慢したかったのだ。
範子さんに会うと、「さっきここでナンパされた」と言った。そのくらいの美形だから当時私は、彼女にミスコンテストに応募するよう提案したのだが、本人にその気がなかった。
範子さんとは、夜に2時間くらい電話をしたこともある。だが話しているうち私は欲情してしまい、収拾がつかなくなったこともあった。
話が脱線したが、1994年夏、私は郁子さんをダシに、夏子さんにも連絡をしたに違いない。
そして翌週の10日に、夏子さんと4年振りに再会することになった……。しかし、夏子さんがよく応じてくれたと思う。4年のブランクは、もう初対面に近いのに、だ。
「ヒトってね、無理を言う人のほうが好かれるってことあるんですよ」
とA氏。「ほら湯川(博士)さんなんか若いころメチャクチャやってたけど、妙な人望あったもんね。だから大沢さんの無理な頼みにも、みんなよろこんで出席したと思うよ」
「そうかー、オレなんか暇人だからさ、相手の時間のほうが貴重だと思っちゃうわけよ。だからいつも連絡を待つほうで、受け身になっちゃうわけよ」
だがこの時期は一瞬だけ、妙に積極的になっていたわけだ。
私は改めて手帳を見てみる。……あっ!
9月13日に、
「滝本スタンプラリー郵送 390+速達370」
とあった。私は88駅まで押したスタンプ帳を、いったんは速達で夏子さんに返送していたのだ。そのうえで、残りの1駅をいっしょに押せたらと提案したのだ。
夏子さんは、それが届いた14日の夜に、私に電話をした。つまりこの電話も、私の郵送が発端になっていたのだ。
「なんだ大沢さん……みんな大沢さんからのアプローチじゃない。最初に聞いた話から、だんだん話がつまらなくなってきてるよ。
あれから26年経ってさ、大沢さんが脳内で面白い話に脚色してたんだよ。
だから大沢さんは、根っからの作家なんだよ」
「いやまったくだ、こうまで次から次へと新事実が出てくると……。今回のブログのタイトルは『南足柄市の美女』くらいに思ってたけど、『記憶は書き換えられる』ってタイトルにしたくなるよ。
構成だって変えなきゃならない。オレが旅行ノートや1994年の手帳を見る前の記憶から、順繰りに書いてかなきゃならない」
A氏は呆れて、苦笑いするばかりだ。「だけど、スタンプラリーを依頼してきたのは夏子さんなんだよ」
私は一応、食い下がった。
「うん、だから大沢さんのことを悪くは思ってなかったことは確かだよね。イヤだと思ったらスタンプラリーをお願いしないから。ひょっとしたら、角館の経過を知りたかったのかもしれないよ」
「渋谷ではいい雰囲気だったんだよ。あそこで彼氏がいるかどうか聞きたかった。ここまで出かかってたけど、言えなかった。だって角館の美女を追っ駆けてるの話してたしさ、そこで夏子さんに興味を示したら、軽い男だと思われそうで、言えなかった。当時は無職だったしね、聞ける立場にもなかった。踏み込んで、いい雰囲気が壊れるのが怖かった」
「夏子さんの答えは分かるよ。彼氏がいなくたって、いた、って答えるよ」
「なんでAさんに分かる?」
「分かるよ。大沢さんが角館の女性を追っ駆けてるから、意地でも『いない』とは言わないよ」
「いやいや、いないんだったらいないって言うでしょ。そしたらオレは交際を申し込んだよ」
知らず大声になってしまったので、遠くの客がこちらを見ている。
「大沢さんは交際を申し込めないよ。
問題は、大沢さんが夏子さんと付き合いたい、といつから思ったかだよ。渋谷ではその場の雰囲気で、そのときたまたまそう思っただけじゃないの? そんな軽い想いじゃダメだよ」
「ううむ。……いや、ううむ」
「だから仮に聞けたとしてもサ、夏子さんは付き合ってくれないよ。それでも大沢さんが粘り強く迫って、OKが出るのは半年くらい後じゃないかな」
なぜ半年後だかは分からぬが、作家でもあり既婚者でもあるA氏に自信満々に言われると、そんな気もしてくるのであった。
「Aさんの言うことも一理ある。26年前の夏子さんの回答なんか、誰も答えられないと思ったのにね、確かにそう答えるかもしれん」
私は長時間おしゃべりするのが久し振りなので、やや喉が掠れてきた。
A氏は仕事で新企画を立ち上げる構想があるらしく、私も協力を求められた。A氏も才能があるから、人に使われるまま一生を終えるのはもったいないと思う、残りの人生、好きなことをやればいいと思う。人生、楽しんだ者勝ちだ。
夏子さんの話は一息つき、A氏はさらに、木村晋介将棋ペンクラブ会長の、若き日の弁護士時代の活躍を熱っぽく語った。私はうんうんと、適当に相槌を打った。
気が付けば、時刻は午後11時にならんとしていた。このまま夜通し飲み明かしたいが、あらゆる意味で不可能だ。そしてここが立川ゆえ、もうお開きに迫られていた。
会計をしてもらうと、9,600円だった。私が全額出すつもりだったが、A氏が首を縦に振らない。「2,000円でいい」というので、お言葉に甘えさせていただいた。

帰宅後、改めて考える。夏子さんとの結婚云々は、私の妄想の極致で、冷静に考えれば、うまくいかなかったのだろう。
だが私は、渋谷のあとで夏子さんが郵送してくれた、彼女自身の写真と、1995年手帳のことを考える。渋谷以降に夏子さんが私と会う気がなければ、あの手帳は買わなかったはずだ。
写真にしても、旅行好きの夏子さんのこと、旅先での写真がいくらでもあったと思う。しかしあの写真はスーツ姿で、お見合い写真に見えないこともなかった。まさかとは思うが、私のために、撮り下ろししてくれたのではないか?
当時デジカメは普及前だった。あの写真1枚撮るのに、どれだけ経費がかかったか。私は当時、そこまで思いが至らなかった。
とにかくこの写真と手帳で、ボールは私に戻ってきた。私は夏子さんと付き合うという固いことは考えずに、気軽に誘えばよかったのだ。

当ブログに私は存在意義を感じないが、かつては、範子さん、真知子さん、そして郁子さんのご友人からコメントをもらったことがある。私はそれだけで、このブログを立ち上げた甲斐があると思った。
いまはダメもとで、夏子さんからのコメントを願っている。そして
「あなたの申し出を受けるわけがないじゃないですか」
とでもバッサリ斬ってくれたら、私は明日を歩めそうな気がするのである。
(とりあえず、おわり)
コメント (2)
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