一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

記憶は書き換えられる(第1話)「南足柄市・滝本夏子」

2020-08-05 00:20:30 | 小説
私は齢50をとうに過ぎて未婚で、まあそれは仕方ないが、最近は老化現象が著しくなったこともあり、もし自分に子供がいたら、それはどんな子だったのだろうと考えることが多くなった。
せめて結婚だけでもしていれば両親を安心させられたのだが、それすらできなかった。両親には期待を裏切ってしまったと、心から詫びたい気持ちである。
そんな私にも、かつては結婚したい人が何人かいた。望まれるなら、その場で婚姻届けに判を捺してもいいくらいだった。だけど魅力的な彼女らを前にすると、私は急所の局面で怖気づき、すべてをご破算にした。
現在はコロナ禍のうえ私は求職中なので、無駄に時間がある。だが人間、時間があるとロクなことを考えない。私の場合は変えられない過去を思い返しては、あの時ああすればよかった、こうすればよかったと頭を抱えるのだ。そして最近では、旅先で知り合ったある女性のことが思い出され、私を苦しめている。いままで想起したことはなかったのに、封印された記憶が、何かの拍子に開かれてしまったのだ。
以下は、そんなダメ人間の情けない述懐である。

あれは1993年の夏だったと思う。私は2泊3日の東北旅行に出かけた。
当時の宿泊地はもちろんユースホステルで、初日は青森県某所のYHに泊まった。すると、そこに魅力的な女性ホステラーがいた。その夜は多少会話をしたと思うが、よく憶えていない。
翌朝出発することになったが、昨晩の彼女と、青年2人組の計4人が、東北本線下りの普通列車に乗ることになった。
ボックス席には2手に分かれて座ったと思う。私のナナメ向かいに、彼女が座った。
彼女はショートヘアで、癒し系の顔立ちだった。着ているTシャツはブルー地で、金色で「愛」と大書されていた。首回りは意外に露出があり、鎖骨がくっきり見える。胸のあたりは優美な膨らみを見せ、私は生唾をゴクリと飲み込んだ。
当時私は27歳。頭の中の9割は、女性への妄想で占められていた。私は彼女とお近づきになりたかった。何とかして、住所を知りたかった。これを解決するには写真を撮らせてもらい、それを送るために住所を聞くのが一番である。実際1988年の「角館の美女」の時は、それで成功したのだ。
だがこの場で写真は唐突すぎる。この日私は下北半島の「脇野沢YH」に泊まるので、野辺地で乗り換える予定だ。彼女はもっと先に行く。このまま、彼女とは別れるしかないのか。
だが発車してしばらく経つと、青年2人組が、「4人の写真を撮りましょう」と言った。地元の乗客にカメラマンになってもらい、4人一緒のところを1枚写す。そして青年が写真を送るために、私と彼女に住所と名前を書かせた。そこで彼らの配慮が見事だった。彼らは私たち4人のそれを教え合うよう、指示してくれたのだ。
彼女は神奈川県南足柄市在住の、滝本夏子といった。奇跡は起こった。これで彼女との糸が繋がったのだ。
青年2人組はすぐに下車し、私は夏子さんと2人きりになった。旅先の車中で2人きり、は初めての経験だった。私のドキドキは最高潮に達していたが冷静を装い、
「その『愛』のTシャツが素晴らしいですね」
と言った。
「ありがとうございます。私もこのTシャツ、気に入ってるんです!」
夏子さんがにっこりと笑って言った。完全に私は、心を持っていかれていた。
私は彼女の胸をチラ見しながら、会話を繋げる。彼女も楽しそうで、私はムラムラした中にも、居心地のよさを感じていた。大袈裟にいえば、夫婦はこんな感慨を抱くのかと思った。
話に夢中になり、私は我に返る。……あれ? もう野辺地を過ぎちゃったんじゃないか?
確認すると、果たしてそうだった。
脇野沢へは、下北半島を横断するのと、青森から高速船で行く手、津軽半島の蟹田からフェリー行く手がある。いまの私だったら、そのまま夏子さんにひっついて、青森までは行くだろう。
だが当時の私は最悪の選択をした。時刻表で上り列車の時刻を調べ、最も待ち時間の少ない駅で折り返すことにしたのだった。
目的の駅に着き、私は後ろ髪を引かれる思いで下車した。夏子さんとの、束の間の楽しい時間はあっけなく終わったのである。

帰京してしばらく経ったある日、例の青年からあの時の写真が送られてきた。しかしその写真は盛大にブレ、全体が二重、三重になっていた。夏子さんは胸元と鎖骨が映え、胸も綺麗に膨らんでいた。私はその胸を揉みしだきたい思いにかられた。
だが、私は何もアクションを起こさなかった。もちろん夏子さんに会いたい気持ちはあったが、誘う口実がなかった。電話番号は知らされなかったから連絡手段は手紙になるが、ただ会いたいから、という理由は短絡すぎる。それに夏子さんだってあの時は、流れの中で住所を書いただけだ。それを目的外の理由で利用されるのは不本意だろう。
それに私の頭の中には、5年前に角館で会った、千葉郁子さんがあった。もしアプローチするなら、郁子さんが先ではならなかった。

そんな1994年夏、私あてに中判の封筒が届いた。差出人を見ると、「滝本夏子」とあった。
夏子さん……!? なんで??
私は息が荒くなるのを感じた。
(つづく)
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