一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

記憶は書き換えられる(第5話)「1994年の手帳」

2020-08-10 01:04:21 | 小説
「これ、ここは本当のことなの?」
A氏が大山康晴十五世名人の箇所を指していた。
「本当だよ、旅先で見た。オレはブログにウソは書かない」
少し経って、A氏が読み終えたようだ。「どうだった?」
「面白かったよ」
「うむ。夏子さんの胸を揉みたくなったとかの記述は大丈夫?」
「問題ないよ」
ここから先のストーリーは、口頭で話すしかない。私はその後2度、夏子さんと再会を果たしたのに、私がアプローチを怠った。その逡巡が26年後、大きな後悔となって私を苦しめている、というものだ。
「きのうまで、夏子さんと最初に会ったのは、1993年だと思ってたのよ。ところが旅行日誌を確かめてみたら、1990年だった。3年の違いは大きいからね。当時の状況も搦めて加筆したら、インパクトが弱くなった」
A氏はふむふむと頷き、つまみを頼んだ。この店は肉料理、とくに焼き鳥が押しのようだった。
「大沢さんのブログ面白いからなあ。ボクの友人も、毎日見てるよ。だけど将棋の記事は面白くないって。……ごめん、彼は将棋指さないんだよ」
「ああ分かる。こっちは将棋の記事を書いてるのにさあ、どうでもいい記事でアクセス数が増えることがあるよ。大野教室のレポートなんか反応悪いもんね。ふだんの3割減だよ」
「力抜いて書いたほうがいい記事が書けることあるよね」
出された焼き鳥は美味かった。肉はもちろんだが、タレが美味い。
A氏もブログの類に毎日小説をアップしているらしい。だがそれで収入はないという。それじゃつまらないと思うが、無収入は私のブログも同じだ。
だが私もこの11年以上で、4000本以上の記事をアップした。いろいろ手配して、我がブログにどのくらいの価値があるのか、見極めたくはなっている。
「だから本当は、Akutsuさんに来てもらいたかったんだ。女性の意見が聞きたかった」
と私は言う。
Akutsuさんは将棋ペンクラブ幹事で、聡明な女性だ。A氏を呼んだとき、Akutsuさんも呼べないか提案したが、このコロナ禍では無理、と一蹴されてしまった。まあ当然で、この状況の下、A氏が単身で付き合ってくれただけでも奇跡なのだ。
焼き鳥はよく分からない部位を食べたが、プリプリして美味い。私はもうビールは要らないが、A氏は焼酎を頼んだ。金の心配はいらないから、どんどん頼んでくれ。
A氏もここ数年、いろいろあったようだ。とくに昨年は体調が悪く、この激ヤセはその闘病の跡だった。だがそれを割引いても私の人生より充実しているはずで、A氏の話もそこそこに、私はまた夏子さんの話に戻す。
「だからさあ、26年前のその日に戻りたいわけよ。ボクと付き合ってくれませんか。この質問だけでいいから、夏子さんにしたいわけよ。それが叶うなら、以後26年間の記憶をすべて神に差し上げてもいい。こんな一公ブログだっていらない!」
私はスマホをひらひらさせた。「死んだらあの世に行くよねえ。そしたら神様がいるでしょ? 人生の感想戦とかしてくれるのかねえ。ほら、あのときあの選択をしていたらどうなってたか、教えてくれるのかねえ。
昔は角館だったよ。郁子さんにもっと早くアプローチしたらどうなってたか聞きたかった。
だけどいまじゃ、夏子さんだよね。だって、オレのすぐ横で、飲み食いしてたんだもん。何故あのとき踏み込まなかったか! 夏子さんの答えを聞きたかったよねえ」
私たちはテーブル席で飲んでいるが、カウンターのオッサンは常連で、私たちの会話に加わりたいふうだ。女性ならいいが男性はお呼びでないので、私は無視する。
私がこれだけ話すのは久し振りだが、弁舌はまずまず滑らかだ。A氏の積もる話も聞いていたら時が経つのが早く、時刻は午後9時30分を過ぎてしまった。東京では3日から飲み屋の就業時間が夜10時になるはずだが、1日はまだ大丈夫だ。
「ほれ、見てよ手帳。これ、1994年のものよ。このころに帰りたいよ」
私はリュックから取り出した手帳をパラパラと開く。「ここ、アドレス帳。夏子さんの名前が一番上に書いてあるでしょ。夏子さんのことを一番に思ってた証拠だよね」
私はダイアリー部分に移る。「東急スタンプラリーだって、3日もかけてやってんだよ。ほれここ、『28/89』って書いてある。初日は28駅分を押したんだろうね。……あれ?」
私は大変な勘違いをしていたことに気付いた。私はいままで、東急スタンプラリーをやったのは6月や7月と思っていた。だが日付を確認すると、9月5日だった。以下、9日、10日と3回に分けてやっている。
私は7月にネジの工場を辞め、この頃は就職活動中だった。だから平日にも拘わらず、スタンプラリーができたのだ。
一方就職活動だが戦績は芳しくなく、9月8日の時点で「2勝6敗」と記されていた。6敗はともかく、「2勝」とは、何が2勝だったのだろう。
問題はそこではない。夏子さんに再会した7月10日、私は角館の美女のことを話したはずだ。それでも後日、夏子さんはスタンプラリーの口実を作って?、私との再会を望んでくれたことになる。これはかなり重要なキーではあるまいか。
だが、そんな「飛んで火に入る夏の虫状態」になっても、私の心は角館に飛んでいたことになる。
……バカじゃないのか?
私は7月3日のページも見てみる。
「ああっ⁉」
そこには
「滝本Tel」
と書かれていた。3日は郁子さんのお母さんに会った日だ。その成果を夏子さんに知らせたということだろうか? それとも以前から、夏子さんに連絡する手筈になっていたのだろうか。そもそも、私のほうから女性宅に電話を掛ける?
いまの私にはあり得ない話だが、昔は電話攻勢をしたことがあったかもしれない。事実優子さんにはそれをやって、致命的に嫌われる要因になったのだ。
「これどう思う? Aさん」
「滝本『から』、って書いてないからね。やっぱり大沢さんから電話したんだろうね」
「ううむ。……ああっ!!」
7月1日(金)の欄に、
6/24中村、中澤(上野18:30~)
の朱書があった。2人に会ったのはこの日だったのか! 角館へ行く前日じゃないか! 何でこんなに女性との交流が密集してるんだ!?
私は頭が混乱し、しばらくそのページを眺めていた。
(つづく)
コメント
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