一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

3月のジョナ研(前編)

2013-03-26 00:40:27 | ジョナ研
8日(金)は久々にジョナ研の予定だったのだが、常連のHon氏は急用で欠席、R氏とKaz氏は仕事で参加不明、Fuj氏は出張というわけで、参加予定者はKun氏、Tod氏、私と少なかった。
おまけに当日になってKun氏から、午後9時の入りになると連絡が入り、さすがに私もためらった。Tod氏とツーショットで9時まで粘ってもいいが、ふたりとも飲まないので、相当の料理を頼まねばならなくなる。Tod氏は自宅が神奈川県で、そう長居もできない。そこでTod氏には悪いが、私の一存で、8日のジョナ研は中止にした。そう、私は自分勝手なのであった。
ところがその夜は、Kaz氏は早めに仕事が終わり、Fuj氏も思いのほか早く帰京できたという。これならジョナ研を開く価値は十分にあったのだ。しかしこのときはすでに休止が決まっており、遅かった。
まあ8日はWBCもあったし、女子サッカーの試合もあった。物事は何でもいいほうに考えなければならない。今回は中止でよかったのではないか。
ただTod氏には本当に悪いことをした。次回のジョナ研にTod氏が参加する際は、食事代を私が持ちます。二言はありません。

その代わりというわけではないが、それから1週間後の15日(金)、改めてジョナ研が行われることになった。
今回の言いだしっぺはHon氏で、これは珍しい。当日参加予定は彼にR氏、私の3人、プラス何人かが土壇場参加するようだった。
ここで「ジョナ研」の由来について、改めて書いておこう。
これはLPSA金曜サロン時代、サロンの終わりに植山悦行七段とW氏が食事に出かけたことを嚆矢とする。
当初はどこかの食堂が多かったようだが、食後の雑談が楽しく、ついつい長居をしてしまう。そこで長時間いられるファミリーレストラン「ジョナサン駒込店」に白羽の矢が立ち、そこが彼らのフランチャイズとなった。
その後食事の同席者が増え、私も声を掛けていただいた。私は元来人見知りが激しく、人との対話も好まない。ひとりじっとしているのが好きである。
しかし食事に誘われれば笑い話のひとつも言わねばならず、そのときはまあ、なるべく快活に過ごした。
ところがそれがウケたらしく、「大沢はおもしろい。今後も誘おう」となったらしかった。
そこからジョナサンでの食事会は金曜サロン会員の、もうひとつの楽しみとなった。
ところが植山七段が金曜サロンを卒業すると、ジョナサンでの食事会も楽しみが半減してしまった。植山七段の提供する「新鮮ネタ」は、それはそれはおもしろかったからである。
さらにLPSA自体も芝浦に移転することになった。ここで事実上、駒込ジョナサンでの食事会は消滅したのであった。
ところが私たちは、ジョナサンでの雑談が忘れられない。末期のころは平気で布盤を出して将棋の研究もしていたし、私たちの生活の中で、かなりのウエイトを占めていたからだ。
そこで誰が言い出したわけでもなく、駒込にLPSAはないけれど、月に一度ぐらい、駒込ジョナサンで将棋談議をしようじゃないか、という話になった。もちろん周りに異論があるはずもなく、ここに再び、ジョナサン食事会が始まったのである。
当初はとくに名称はなかったが、ジョナサンでも平気で将棋の研究をしちゃうので、私たちは「ジョナサン研究会」と呼んだ。それが自然に略され、「ジョナ研」の名前が定着した。
いまではジョナ研は、将棋の実戦・研究に加え、各自が持ち寄った将棋界の最新情報を整理・共有する、貴重な場となっている。そしてそれは、一切外部に漏れることがない、鉄壁のガードを誇っている。

15日は御徒町で買い物をし、午後7時08分に入店した。
(つづく)
コメント (4)
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