一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

再会

2009-08-18 23:41:22 | 旅行記・沖縄編
石垣島の話を続ける。
14日(金)、この日は離島へは行かず、川平湾を瞥見したあと、そこから徒歩で30分の場所にある底地ビーチでのんびりし、夕方に白保で行われる豊年祭を見物するつもりだった。
しかし午前9時35分すぎに石垣バスターミナルに行くと、東バス川平リゾート線・9時35分発が出たばかりだった。次に川平へ行くバスは10時45分発の伊原間線か、10時50分発の川平リゾート線である。まあ急ぐ旅でもないので、街をぶらぶらして乗り場へ戻ってくると、見覚えのある人が、窓口にあるバス時刻表を手に取っていた。
なんと、ベルサイユ高田尚平六段であった。高田六段は9日(日)の「第1回八重山子ども将棋まつり」に指導棋士として出席し、チビッ子相手に精力的に指導対局をこなしていた。そのままトンボ帰りするのはもったいないから何日かは八重山に滞在するだろうとフンでいたが、まさかまだいらっしゃるとは思わなかった。
むろん私には嬉しい再会で、畏れ多くも声を掛けさせていただく。高田六段も「おおー!」と笑顔で応対してくれ、私たちはそのまま1番のりばのベンチに座り、雑談をした。
すると、今回高田六段が石垣の地へ降りることができたのは、偶然が重なっての、奇跡的なものだということが分かった。
以前も書いたが、今夏は台風8号が猛威を振るい、八重山へ行きたくても沖縄本島で足止めを食らった旅行者が多かった。むろん高田六段も私もそのひとりである。
しかし台風も台湾へ抜け、9日になって、なんとか飛行機が飛ぶ見通しになった。ところがANAは石垣へ向かうことになったものの、JTA(ジャパントランスオーシャン)は、飛行機の関係で朝の便の欠航が決まってしまった。
困ったのが高田六段である。高田六段はJTAのチケットを用意していたからだ(ちなみに私はANAだった)。途方に暮れていたところへ、なんと以前面識のあった女性と、たまたま那覇空港で遭遇したという。しかも彼女は何便も予約を押さえていて(細かいことだが、これはモラルに反している)、そのうちの1席を高田六段に譲ってくれたというのだ。むろん彼女も一人旅だったから、実害はなかった。
「もし彼女がそこを通らなかったら…」
「もし私が彼女と知り合いでなかったら…」
「もし彼女が忘れ物をして空港に戻ってこなかったら…」
高田六段は、奇跡の出会いを神に感謝するように、しみじみと述懐した。だから9日の開会式で、高田六段が「みんなのおかげで、私はここに来ることができました」と述べたのは、あながちオーバーな表現でもなかったのだ。
長崎県の喫茶店のマスターは言う。この世に偶然はないのだと。物事を実現させるためには、イメージすることが大切なのだと。
高田六段の、是が非でも石垣島へ行くという想い、高田先生に将棋を教えてほしいというチビッ子の想いが、那覇空港で高田六段と彼女とを引き合わせたとは言えまいか。
とはいうものの、もし高田六段が大濱信泉記念館に着かなかったら、指導対局はどうなっていたのだろう。これは大会の成績自体には関係がないから、進行に影響はなかったと思うが、チビッ子が「プロの先生に将棋を教わりたい」なんて言い出したら、収拾がつかなかったのではなかろうか。
その場合、不肖私が、「LPSA植山悦行手合い係の代理として伺いました」とか言って、したり顔で子どもたちの相手をしていたかもしれない。
ところで高田六段の、10日以降の行動はどうだったのか。10、11日だったか、高田六段は西表島の「いるもて荘」に連泊したという。いるもて荘はユースホステルも経営しているので、もちろん私も泊まったことがある。
高田六段は「ゆんたく」の時間で「将棋棋士」だと告げると、たちまち宿泊客の注目を浴び、何人かと将棋を指したという。よく将棋盤と駒を持っていたものだと感心するが、高田六段は、いつも筆ペンと落款は持ち歩いているという。さすがのプロ意識である。
とにかく、宿での指導対局は、本当に羨ましい話である。子ども将棋まつりで指導対局を受けたチビッ子もそうだが、ここの宿泊客も、プロ棋士と将棋を指せることがどんなに貴重なことなのか、キチンと把握しているのだろうか。
しかも、いるもて荘とは…私も展開によっては、この宿に泊まっていた可能性はある。これは運がないというべきか、それともここで再会できた奇跡を喜ぶべきなのだろうか。
私が「八重山に16回来ています」と言うと、「ボクは27回目です」と言われ、凹んだ。まあ将棋界にも沖縄好きがいるとは思ったが、高田六段が八重山フリークとは思わなかった。歌舞伎役者のような端正な顔立ちからは、そのイメージがまったく沸かないだけに、なおさら意外だった。
もっとも「27回」訪問の大半は、八重山の子どもたちへの将棋の普及であろう。八重山のチビッ子も、高田六段が訪れるとたいそう歓迎してくれ、「次はいつ来てくれますか?」と訊かれるという。
近年では外国の普及がやたらと目につくが、八重山諸島のような、同じ日本でもなかなか普及の手が回らない遠方の地にも、日本将棋連盟はもっと普及の目を向けるべきである。
高田六段は関係者と昼食を摂った後、やはり川平へ向かうとのことだった。
「あちらでまた会うかもしれませんね」
と高田六段は言ったが、冒頭の私の行程では、再々会はさすがに無理であった。
ともあれこれからの高田六段の、八重山諸島での活動に、大いに期待したい。
コメント (2)
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