一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

龍王

2009-08-10 00:07:50 | 将棋イベント
9日はANAの始発便で、沖縄本島から石垣島へ入る。東京を発ってから4日目、やっと八重山の地に足を踏み入れた。
機内では、女優のとよた真帆似のキャビンアテンダントが、ちょっといい感じだった。
とよた真帆には、もう10年以上も前に、那覇空港で偶然すれ違ったことがある。構内を歩いていたら、前方から光り輝いている女性が歩いてきたので、誰だと目をこらしてみたら、彼女だった。まさに颯爽とした感じで、物すごいオーラだった。のちに「料理バンザイ!」(テレビ朝日系)のロケだと後日分かったが、やっぱり女優は違う、とうなったものだった。
ところでキャビンアテンダントの夏服は、半袖のたるみ部分がはるかに小さくなった。昔はもう少し緩かったので、ワキの下がチラチラ見え、ほのかなエロスを感じただけに、かなりさびしいものがある。飛行機に乗る楽しみが半減した、と言ってもよい。

ところで9日の石垣島も台風の暴風域に入っており、各離島へいく午前の高速船はすべて欠航。八重山を訪れて15年目になるが、こんなに荒れた石垣の海を見たのは初めてである。
勝手にしやがれと不貞腐れつつ、石垣港近くにある土産物屋の「あやぱにモール」をぶらぶら歩く。と、ある本屋の壁の掲示板に、将棋の告知文が貼られていた。見ると、「第1回八重山子ども将棋まつり」とあり、港近くの「大濱信泉記念館」で、高校生以下を対象にした将棋大会が開かれるという。
あ、これか、と思った。実は沖縄へ飛ぶ前のLPSA金曜サロンで、植山悦行手合い係…七段から、このイベントがあることを聞いていたのだ。しかしまさかこの日だったとは…。
大会審判長は「ベルサイユ高田」こと、高田尚平六段。そういえば高田六段には、先月15日の「マイナビ女子オープン予選抽選会」のとき、将棋会館の外でお見かけしていた。あれは今回のイベントの件で、千駄ヶ谷へ寄ったに違いない。
とにかく暴風雨なので、港近くのユースホステルに旅装を解き、身軽になってまた外へ出る。と、なんの偶然か「大濱信泉記念館」の前に出てしまった。
これは私にその記念館に入れ、という天の命令であろう。
午前11時28分に入館すると、ベルサイユ高田六段が、新聞関係の方と「どうぶつしょうぎ」を指していた。植山七段の威光を借りて自己紹介すると、高田六段は歓待してくれた。
私が
「今日は台風で、ヒマを持て余しているんです」
と言うと、
「これはありがたい。これから設営がありますので、お願いします。あと、今日はどうぶつしょうぎのコーナーもあるので、そこのコーチをしてくれませんか」
と言うではないか。
こういう展開はキライではないが、八重山に来た早々、妙なことになった。しかし高田六段の申し出とあっては、快諾する1手である。
ちなみにどうぶつしょうぎは高田六段が逆転負けした。「□C2ぞう」が悪手だったようだ。プロ棋士がアマに平手?で負ける。本当にどうぶつしょうぎは奥が深い。
2階へのスロープをつたって、研修室の大部屋へ入る。ここでAクラスとBクラスの大会が行われるのだ。私たちは机や椅子を並べなおし、日本将棋連盟、毎日新聞・朝日新聞提供のビニール盤と駒を配置する。なんだか先月の社団戦を思い出す。
高田六段は壁に自作の詰将棋を貼っている。いずれもスジのいい詰将棋だ。それよりなにより感心したのは、高田六段の字のうまさだった。お顔と同様、品のある美しい字だった。
一通りレイアウトを終えると、今度は研修室別室にある机と椅子を動かし、超初心者向け用対局スペース、どうぶつしょうぎ用スペース、高田六段の多面指し指導対局スペースと、レイアウトを変える。ここまででもう、一仕事である。いい天気だったらいまごろは黒島あたりへ渡って、仲本海岸でビキニのおねーちゃんを…いや、綺麗な魚や珊瑚を観賞しているところだが、この暴風では仕方がない。
研修室へ戻ると、子どもさんへの参加賞として、石垣島へ来訪経験がある棋士の色紙が並べられていた。
先崎学八段は意外や綺麗な字で、「根性」と揮毫された色紙ほか、何枚かを提供されていた。そのほか、大野八一雄七段は「無著」「無無」「詰将棋」。佐藤紳哉六段は「心月」(マイナビ女子オープンでは、里見香奈倉敷藤花もこの揮毫だった)、「天楽」「カニ囲い」「銀冠」。紅一点・熊倉紫野女流初段は、「笑顔が一番」「真楽」などであった。
そしてわれらが植山七段は、「玄黙」。意味がよく分からないが、あとのひとつが凄かった。
「龍王」
であった。ここはカンタンに読み飛ばされると困るので、もう一度書いておく。

「龍王」

であった。念のため、もう一度記しておく。


「龍王」


であった。まあ、将棋で一番強力な駒は竜王だからその揮毫は正しい。
しかし
「龍王」
とは…。植山先生は七段である。八重山のチビッ子が、植山先生は竜王経験者だったんだ…と誤解することはないと思うが、植山七段は竜王戦は4組が最高だったことを、ここで強調しておく。
午後1時に大会主催者代表、ベルサイユ高田六段の開会の言葉。
「私はきのうまで沖縄本島で足止めをされていたんですが、今日の飛行機でやっとこちらへ来ることができました。これもみなさんの思いのおかげです。ありがとうございます」
うまいスピーチをするものだ。これは「旅の中の1コマ」なので、私はそんな様子をカメラに収める。すると高田六段が、
「どうぶつしょうぎは、あそこにいるカメラマンのような方ですが、オオサワさんが担当してくれます」
と、わざわざ私を紹介してくれる。なんだか照れてしまう。
1時30分になったので、対局開始。私は別室に入り、どうぶつしょうぎの担当をする。
これ、なかなかルールが難しいが、一応チビッ子やそのお母さんに説明をする。私自身ひとつ分からなかったのが、「ひよこ」である。これは敵陣の一段目には打てないと思うが、説明書にその記載はなかった。「底歩」ならぬ「天井ひよこ」が打てるのかどうか、開発者に聞いてみたいところであった。
どうぶつしょうぎは、チビッ子よりお母さんが興味を抱いたようで、お母さん方のお相手をさせていただく。そのうちのおひとりと対局。1局目は、こちらが必勝と思ったが、お母さんに必殺の鬼手が出て、まさかの逆転負け。熱くなってこちらが再戦を申し込み、これはなんとか勝たせていただいた。次のお母さんとも対戦したが、これも真剣勝負で1勝1敗。私だって将棋アマ有段なのに、この結果。本当にどうぶつしょうぎは奥が深い。
ところでこのどうぶつしょうぎでは、面白い実戦があったので、その「全局面」を記しておく。
「■C3キリン□A2ライオン■C4ライオン□A3ライオン」まで、次の「□A4ライオン」のトライが受からず、わずか4手で後手勝ち。3手目の■C4ライオンが、ココセの大悪手。たった4手で勝負が決着するとは思わなかった。これは大きな「発見」だった。
どうぶつしょうぎに注文をつけるとすれば、駒の形だろうか。将棋と違って四角形なので、どちらの駒か分からなくなるときがある。これも駒形にしてはマズいだろうか。経費の問題もあるが、今後の課題であろう。
将棋まつりは順調に消化し、午後3時半すぎには大勢が決したようだ。ベルサイユ高田六段も、最初から最後まで、チビッ子相手に指導対局の連続だった。
超初心者クラスの(だったと思う)、成績優秀と最多対局のチビッ子には、それぞれ扇子が贈られた。羽生善治名人と谷川浩司九段の扇子を選択できたのだが、お母さん方が「ハブ、ハブ」と小声を出す。さすがに羽生名人は全国区だ。
研修室の大部屋でも表彰式が行われていたようで、それぞれ賞品をもらっていたようだ。
午後4時ごろに、全行程が滞りなく終了した。そのころ私は別室の机と椅子を元の配置に戻していたが、こんなことをしていると、今度はLPSA駒込サロンスタッフのS氏を思い出した。
仕事も一段落し、高田六段が扇子をくださる。久保利明棋王の「前後際断」は垂涎モノだったが、私は原田泰夫九段の古希記念に作られた「三手の読み」をいただいた。将棋ペンクラブの会員としては、この扇子を選ぶところであろう。
すべてが終了したので記念館を出ようとすると、高田六段から、「きょうの7時ごろ、関係者と飲むかもしれませんから、いらっしゃいませんか?」とお気遣いをいただく。私は友人がいないので、携帯電話を持っていない。旅行中はいちおう携帯しているが会話専用で、滅多に使わない。
電話番号はお伝えしたが、その夜、けっきょく連絡は来なかった。もっとも私の携帯も電波の調子が悪く、高田六段がかけてくれたとしても、繋がらなかった可能性が高い。もし賭けてくださったなら、高田六段には申し訳ないことをしてしまったと思う。
それはともかく、今回は楽しい経験をさせていただいた。チビッ子に「先生」と呼ばれたときは照れくさかったけれど、嬉しかった。お母さまのおひとりは詰将棋に熱心で、私は詰将棋のルールや考え方をレクチャーしたが、我ながらうまく説明できたのではないか。けっこう自分は教師に向いているかもしれない。
今回の旅行は初っ端から台風に祟られっぱなしだが、私を今回の将棋まつりに参加させる天の配剤だったと思えば、ハラも立たない。八重山のチビッ子やご両親が、今回のまつりを通して少しでも将棋に興味を持ち、趣味として続けてくれれば、一将棋ファンとして、これに勝る喜びはない。
コメント (8)
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