一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

15日の宿泊地と、おしゃべりな男

2009-08-23 00:10:39 | 旅行記・沖縄編
石垣島の話に戻る。
14日の深夜、ネットカフェから宿に戻ってくる。時刻は15日午前0時24分だった。
自室に戻ると灯りが点いており、同宿者の男性がガバッと起きた。鬢に白いものが混じった初老の男性だったが、もう寝ているかと思ったので、意外だった。
流れで話を聞くと、この男性は沖縄本島出身の元高校教師で、数年ぶり(数十年ぶりだったか)に沖縄へ帰ってきたという。
15日は石垣市新川で豊年祭があり、それを楽しみにしてきたという。豊年祭なら私も14日に白保で見たが、新川は4つの字が合同で行うもので、規模が違うという。豊年祭は陽が暮れて空が暗くなってきたころ、住民の大綱引きでお開きとなるのだが、その前、松明を灯した中で弁慶と牛若丸を模した男たちの勇壮な一騎打ちがあり、それが場を盛り上げるという。
もちろん白保でもあったらしいのだが、西日の暑さに参ったのと、宿へ戻る時間も気になったので、私は途中で失礼していたのだ。
新川豊年祭は8日の開催予定が、台風で中止になり、15日に延期になったという。本来なら見られなかった新川豊年祭。これがさんざん悩まされた台風の見返りだとすれば、行かない手はない。
実はこの男性から話を聞くまで、15~16日は、西表島に上陸し、星砂の浜でプカプカとシュノーケリングするつもりだった。しかし15日は夜まで石垣市内に滞在することになり、自動的にこの宿の5泊目が決まってしまったのだ。
それにしてもこの男性のおしゃべりなこと。こちらは前日寝不足だったので(これがバカバカしい理由だった)一刻も早く眠りたいのだが、男性はしゃべり足りない様子だ。このくらいの年齢ならゴージャスなホテルに滞在すればいいと思うが、この手のタイプは、誰かと話をしたくてしょうがないのだ。しかしホテルではそれができないから、ドミトリータイプの宿を利用するわけだ。私も聞き役に徹し、ようやく消灯となったのが1時39分だった。
翌15日は午後3時30分から新川豊年祭が始まったが、この日も陽射しが強く、私は大綱引きが行われる前にいったん宿に戻る。白保から石垣バスターミナルまではバスで30分かかるが、新川から宿へは徒歩圏内なのである。
宿のドアを開けると、11日から宿泊していた、岩根忍女流二段風のキュートな女性教師の姿があった。夜、お話するのを楽しみにしてシャワーを浴び、私は新川へ戻る。
大綱引きは勇壮で、西表島を蹴って見に行った甲斐があった。宿に帰ると、同じく見物に行っていたヘルパーさんと連泊の女子大生もほどなく戻り、お土産にビールをくれた(これはペアレントさんのポケットマネーである)。
この宿に宿泊中、カチンとくることが何度もあったが、冷静に考えれば、こちらにも非があった。いままでのことは忘れよう、と思った。
さてこの日のほかの宿泊客は、教育関係の男性1名。この時期は教師の宿泊が多い。しかしこの男性がまた、昨夜の男性に輪をかけたおしゃべりだった。
ゆんたくの時間では、その彼とヘルパーさん、女子大生と私がいたが、彼がしゃべりっぱなしだった。相手は専らヘルパーさんで、私は聞き役に専念して気楽な立場だったのだが、いやはや彼のマシンガントークは凄まじかった。
たまにヘルパーさんが話しているときも、「ウンウンウンウン」と細かい相槌を打ち、隙あらば話出そうとする。
それでも彼の話が面白ければまだ許せるが、これがつまらないのだ。それは何故かと考えてみるに、八重山にいながら、そことはまったく関係ない話で熱弁を奮っていたからだ。やはりこの類の宿に来たら、今日はどこの島へ行ってきたとか、明日はどうするとか、離島ではこんなエピソードを聞いたとか、そういう話を聞きたいし、話したいと思う。
夕方に見た、岩根女流二段タイプの女性教師はずうっと部屋に籠ったまま。女子大生もシャワーを浴びに行ったので、少し早いが、私も寝ることにした。宿の就寝時間は11時だが、それを30分ぐらい過ぎてから、教育関係男とヘルパーさんとのゆんたくも終わったようだ。彼が部屋に戻ると、私は寝たフリをした。
さて…。おしゃべりの男性ふたりの話を書いてきたが、翻って私はどうだろう。金曜サロンでは、閉席のあと会員有志でファミレスへ食事に行くが、店での半分以上は私がしゃべっている。話が面白いかどうかはともかく、少しは聞き役にも回らないとダメだ、と痛感した次第である。
コメント (3)
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