先日は、
「教える」と「育てる」
というタイトルで記事を書きました。
今日は、
「教える喜び」と「育てる喜び」
と題して書きたいと思います。
教えることにも育てることにも
喜びを感じると思いますが、
そこには大きな質の差を感じます。
何かを教えることによって、
教えられた人の役にたつ、
自分の知識や経験が誰かの役に立つことの
喜びはありますが、
それはどちらかと言うと
自己満足的な喜びに感じます。
自分の知識や経験が役にたって良かったなぁ~
という、どちらかというと内向きな喜びです。
一方育てる喜びというのは、
育てる側が相手の成長を喜ぶだけでなく、
育てられた側も
自らが成長できたことに喜びを感じ、
喜びが二重にも三重にも
増幅していく感じがします。
どちらかと言うと外向きで、
広がりを感じます。
また、育てる人が複数居た場合には
更に喜びを共有できたり、共感したり
何倍にも拡大する可能性を感じます。
若い頃の私は、
教えることに大いに自己満足を感じていた
時期もありますが、
今はその何倍も
育てることに喜びを感じます。
これは年を重ねたせいなのか?
母性なのか?
両方なのかわかりませんが、
育てる喜びというのは、
教える喜びの何倍何十倍のような
気がします。
教える・・・には限りがありますが、
育てる・・・には、無限大の可能性を
感じます。
「育てること」が「できる」ためには、
自分自身も日々成長することが大事です。
自分磨きを怠らないようにしないとですね♪
「教える」と「育てる」
というタイトルで記事を書きました。
今日は、
「教える喜び」と「育てる喜び」
と題して書きたいと思います。
教えることにも育てることにも
喜びを感じると思いますが、
そこには大きな質の差を感じます。
何かを教えることによって、
教えられた人の役にたつ、
自分の知識や経験が誰かの役に立つことの
喜びはありますが、
それはどちらかと言うと
自己満足的な喜びに感じます。
自分の知識や経験が役にたって良かったなぁ~
という、どちらかというと内向きな喜びです。
一方育てる喜びというのは、
育てる側が相手の成長を喜ぶだけでなく、
育てられた側も
自らが成長できたことに喜びを感じ、
喜びが二重にも三重にも
増幅していく感じがします。
どちらかと言うと外向きで、
広がりを感じます。
また、育てる人が複数居た場合には
更に喜びを共有できたり、共感したり
何倍にも拡大する可能性を感じます。
若い頃の私は、
教えることに大いに自己満足を感じていた
時期もありますが、
今はその何倍も
育てることに喜びを感じます。
これは年を重ねたせいなのか?
母性なのか?
両方なのかわかりませんが、
育てる喜びというのは、
教える喜びの何倍何十倍のような
気がします。
教える・・・には限りがありますが、
育てる・・・には、無限大の可能性を
感じます。
「育てること」が「できる」ためには、
自分自身も日々成長することが大事です。
自分磨きを怠らないようにしないとですね♪