四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

寄居町末野の「西行戻り橋」

2023年02月20日 | まち歩き


『西行法師』(俗名:佐藤 義清・元永元年〈1118〉~文治6年〈1190〉)は、平安時代末期から鎌倉時代
初期にかけての武士であり、僧侶、歌人としても知られるようです。(と言っても私は全く詳しくなく、
西行という名を知るだけですが)

その西行にまつわる逸話として「西行戻し」と言われるものが全国各地にあるようです。それは
「戻り橋」だったり、「戻り石」、「戻りの松」であったりの違いはありますが、いずれも現地
の童子にやりこめられ恥ずかしくなって来た道を戻っていくというもののようです。
そのひとつに数えられる大里郡寄居町末野地内の「西行戻り橋」を訪ねてみました。




橋の北詰に設置されている「西行戻り橋 由来」説明板の文面を転記しておきます
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   西行戻り橋 由来
 歌人として名高い西行法師は、源頼朝と初めて会った時、「元は佐藤兵衛尉義清(さとうひょうえいのじょう
のりきよ)今は出家隠遁して西行と号する者」と名のっています。この西行が寄居町末野にやって来たのは、秩
父へ歌の修行に向かう途中だった。末野を流れる逆川にかかる土橋まで来ると、子供がショイコを背に鎌を振り
振り渡ってきます。そこで西行は「小僧、どこへ行く」と問いかけました。すると子供は「冬ぼきの夏枯草(麦)
を刈りに行く」と無造作に答えた。西行は「冬ぼきの夏枯草」とは何のことかわからず、困ってしまった。子供
は西行の困った顔をよそに、さっさと行ってしまった。またこの時、橋のたもとのあばらで、美しい小娘がハタ
を織っている姿に西行はうっとりとみとれているうちに、急にその絹がほしくなり、「その絹を売るか」とたず
ねました。すると娘は「ウルカとは、川の瀬にすむ鮎のはらわた」とまるで禅問答のようにいうのです。そこで
西行は秩父路では、少年も少女もむずかしい歌をたやすく作る。自分は恥ずかしいといってこの橋から戻ってし
まいました。今もこの橋を「西行戻り橋」と呼んでいるのはそのためです。
                                           寄  居  町 
                                           寄居町観光協会

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伝説・伝承の域を出ないのか史実なのか確かめるすべはありませんが、「西行戻り橋」とされる橋
(無論当時のものでないことは断るまでもないことですが)の写真を何枚か・・・






橋の下を流れる逆川






なお、同じ埼玉県内であるときがわ町の慈光寺には「西行見返桜」という伝説・伝承があるようで
す。これも観音化身の小僧にやりこめられ引き返したというもので、西行と小僧のやりとりは末野
の「西行戻り橋」とほぼ同じ内容のものです。その時手に持っていた桜の枝を挿して行ったのが今
の「見返り桜」とのことですが、この桜はどこに・・・

散策日:令和5年(2023)2月19日(日)

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