四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

小前田氏館跡

2023年08月18日 | 100名城以外の城館跡


深谷市小前田(旧・花園町)地内の『小前田氏館跡』を訪ねてきました。
館跡と言っても、昭和40年代の圃場整備で遺構は完全に失われてしまい、館跡の東を流れる用水路の一部がかつ
ての水堀跡とされるだけのようです。
小前田氏は、鎌倉時代に猪俣党の藤田氏の祖とされる五郎政行の孫にあたる信国が小前田の地に居館を構え、小
前田野三郎と称したのが始まりとされるようです。
その後も小前田氏は綿々と続き、藤田氏に属し、後北条氏とは敵対関係にあったようですが、藤田氏が後北条氏
への降服後は鉢形城主北条氏邦に仕えたとしています。
天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原征伐における鉢形城攻めの際は、小前田越前守は氏邦の奥方と光福丸
を守護し脱出の際の交戦で討死したとされています。小前田氏が小前田氏館を居館としていたのはいつまでのこ
とかはわかりませんし、これ以前に小前田郷に関して、長谷部兵庫助らの10名から11名の「小前田衆」や、大森
越前守などの名が出てきますが、これらの者と小前田氏・小前田氏館との関係もよくわかりません。

城館名:小前田氏館跡(おまえだしやかたあと)
別 名:御前田館・陣屋
築城者:小前田信国
築城年:鎌倉時代
廃城年:天正18年(1590)
現 況:農地、宅地
遺 構:水堀(用水路の一部?)
指 定:-
所在地:埼玉県深谷市小前田 陣屋 (旧・大里郡花園町)

上の写真の中央辺りで用水路が「くの字」に曲がっていますが、そのあたりから先が小前田氏館跡とされます。
下の地図の赤線で囲った左上角からの写真です。



小前田氏館は東西に長い方形の館で四方を土塁が巡っていたといわれます。
地図上に赤線で囲った部分が館の範囲です(概ねですが)
近年まで土塁の一部が残っていたようですが現在は消滅しています。
また、館跡西側を流れる用水路の一部が小前田氏館の水堀跡と言われますが、他の三方も水堀が巡っていたと考
えられるのは当然です。ただし、その痕跡はどこにも見られません。


館跡西側を流れる水堀跡(用水路)  この写真では用水路の右側が館跡です


フェンスの手前が用水路 フェンスの向こうが館跡


現在の館跡の中央に走っている道路から 道路突き当りに水堀跡(用水路)があります


館跡東端から南東方向を 道路の先は館跡の外ですが、写真中央のやや左側に見えるのが「道の駅はなぞの」の
アルエット(花園地域物産館)


ということで何もな~い小前田氏館跡を散策してきましたので、散策の証として撮ってきた写真から何枚かを掲載してみ
ました。この10日前には「黒田古墳群」を。更にその11日前はすぐ近くにある「橋屋遺跡」を訪ねています。近くにある
この三カ所なら同じ日に回れるだろうになぜ三回に分けてと思われるかもしれませんが、そうはいかなかった理由があり
まして・・・縄文時代、古墳時代そして中世と異なる時代を一度には無理な話です(これは冗談)


散策日:令和5年(2023)8月17日(木)