和ちゃんのgoodな日々

私の毎日の暮らし

日本語教室の向上を目指して

2008-09-29 10:37:48 | 日本語クラブ
飯能市国際交流協会は文化庁から委託を受けて「日本語教育支援事業  人材育成研修講座」を開催している。研修テーマがいくつかあるが、私は飯能市とその周辺(入間市・日高市)の日本語教室で日本語指導に関っている人を対象とする研修テーマ3「日本語教室の向上を目指して」の講座を申し込んだ。昨日(28日)から6回にわたり「初級者を教えるときのスキルとツール」や「中級者・上級者を教える工夫」など実際に教室で役に立つ課題なので興味があるし、最近マンネリで日々の授業をこなすだけになっている自分に刺激になると思っている。1回目は「地域の日本語教室紹介」で各市の活動の発表があり、活動の立ち上げからいろいろ抱えるの現実の問題など、どの教室も同じような楽しみや悩みを持ちながら活動している。なかなか他の教室とかかわる機会がないので、これから繋がっていくといいな~と思う。皆同志ですね。

サプライズ

2008-09-25 16:33:34 | Weblog
アプトの道の散策が思ったより早く終わり、峠の湯でのんびりしようか、それとも・・・そして思い出しました。


この近くにある、秘湯の湯として、森村誠一の「人間の証明」の舞台として復活した「霧積温泉」を。

昭和50年頃、映画化された「人間の証明」。テレビのスポットに、ジョー山中の[Mama, Do you rememmber~」の主題歌が流れ、「母さん僕のあの帽子 どうしたんでしょうね? ええ夏碓氷から霧積へ 行くみちで渓谷へ落した あの麦わら帽子ですよ。」のナレイションとともに「麦藁帽子」が山中に飛んでいくシーンをいく度見たことでしょう。当時大ヒット。映画を見たか、テレビを見たか、小説を読んだか定かではないが、そのシーンだけは鮮明に覚えている。

今回、西条 八十のこの詩(帽子)と詩をモチーフとした森村誠一のこの作品(人間の証明)の係わりとその舞台になった「霧積」を知った。

明治の政界人・文人・外人の避暑地として賑わったこの地は、山津波ですべてを飲み込まれ、今は「ひなびた情緒が漂う秘湯の宿」金湯館と「原生林に囲まれた山渓の秘湯」きりづみ館の二つの宿がある。車が一台やっと通れる道が続き、行けども行けども対向車は来ず、この先に本当に温泉があるのかと心配になってくる。そしてやっと・・・日帰り入浴と山菜そばに舌鼓。ぬるめのお湯でしたが、あふれ出る湯量。一人でたっぷりつかり着た甲斐がありました。

この次は「きりづみ館」へ行ってみたいと誘ったが、あの道は・・・といい返事はない。

お墓参りに託けて

2008-09-25 16:28:59 | Weblog
昨日(24日)伊勢崎のお寺にお墓参りに出かけた。夫の父親が戦地に行く前に建てた「墓石」には、昭和14年7月15日建立、昭和19年12月15日戦死が刻まれている。33歳の若さで亡くなり、戦後苦労し頑張った母も、この2月に93歳で静かに逝った。


お彼岸のお墓参りに託けて、いつも近辺に足を伸ばしているが今回も・・・
                

お盆の時、立ち寄ったが時間切れで延期した。旧信越本線の≪碓氷峠≫のめがね橋(碓氷第3橋梁)を渡って、5号トンネルから3号トンネル、碓氷湖、2号トンネルから1号トンネル、横川駅まで「アプトの道」としてウオーキングが楽しめる。
勾配が急な碓氷峠を通る横川~軽井沢間(碓氷線)は明治26年に開通し、この線には26個のトンネル18の橋梁があったそうだ。この「めがね橋」は、「アーチ型」で200万個のレンガでつくられたという景観が素敵でカメラにおさめたくなる。今その橋を歩けるのだが、近くで見ると、結構傷みが多くて、トンネルの中も崩れている。以前行った「大日影トンネル」と比べると・・・残念。これから、修理され大事に後世に残されるといいな~。

 人影が見えます。   トンネルの中

お墓参り

2008-09-23 19:35:30 | Weblog
今年も巾着田の彼岸花が満開になり、賑わっているらしい。「お中日」なので川越へお墓参りに出かけた。川越もすっかり「観光地」になってしまい、今日も一番街あたりは、バッジをつけたツアー客の姿が見られた。しばらくぶりに行くと新しいお店が出来ていて新しい発見もある。お寺は菓子屋横丁の傍なので、いつも観光気分になってしまいお線香を持ってくるのを忘れて、またです。

墓誌を見ると、父は1歳で母親を、4歳で父親を亡くしている。親戚に預けられ、大変だったろうが一切恨み事や愚痴を聞かなかった。5人の子供、11人の孫を授かり穏やかな一生だったかなと思う。毎月一日はお寺や神社に詣で、朝元気だったのに午後買い物に行くと言って家の近くで倒れて、そのまま逝ってしまった。いまでも信じられない突然の「別れ」。でも老後の世話をかけないという父らしい「最期」だったなのかもしれないと・・・。

そのうち「朝日新聞」のコラム「オヤジの背中」のように、「父」のことを話してみたい。

「忘れ物と探し物」

2008-09-19 16:05:15 | Weblog
最近、記憶力はの連続、「忘れ物」と「探し物」の繰り返し。先日もスーパーで、レジをする前だったが、「財布」が無いのに気がついて戻った。家で私は「サザエさん」と呼ばれているが、「財布」を忘れてしまって本当に「サザエさん」になってしまった
「碁」も少しも進歩しないし、「パソコン」も億劫になってしまったし、・・・・し・・・・・しの繰り返しだが、諦めてしまってはと今「軌道修正」しているところ。
記憶は遠のいていくが、昨年・一昨年の「ブログ」を見るとそれなりに残っているものがある。もうしばらくかな。

やっと「千葉県・・・金谷」に入る。千葉・市原・袖ヶ浦・木更津を過ぎた。 46日目。336081歩、約20・1K。




敬老の日

2008-09-15 17:15:46 | Weblog
今日は「敬老の日」。母が亡くなってしまったので、あまり身近に感じなくて、1日を過ごしてしまった。
新聞によると「100歳」以上の人は約3万6276人、女性は86%で3万1213人、男性は5063人。県別ランキングで、埼玉県は19年連続最下位(10万人当たり14.22人)だそうだ。飯能市は25人で女性が24人男性が1人とのこと。圧倒的に女性が多いです。「100歳」と一言で言ってしまうが、それはもう大変なことだと思う。

NHKの番組・・・私は好きでよく見る百歳バンザイがある。全国各地の百歳の人にスポットを当ていきいき元気で暮らしている人を紹介している。先日(9/13)も「小唄を楽しむ粋な江戸っ子」・・・80歳過ぎて小唄と三味線を習い95歳でパソコンを始め、いまも一人で電車に乗ってお稽古に通う姿を放送していた。

顔にはしっかり「しわ」が刻まれているが、皆、いい顔、素敵な笑顔です。生き方や努力、それを支える「家族」・・・いつも見るたびに、驚きと感心「元気と生きがい」のパワーをもらっている。




久しぶりに

2008-09-11 17:42:37 | Weblog



夏休みが終わって、「日本語教室」の授業も4日(木)から始まった。2学期から「カタカナ」の勉強に入るし、新しいテキストも用意し、気合い?が入る。4日・9日・今日と3コマを担当し、ホッとする。折角勉強を始めても仕事に就いたり、国へ帰ったり、個々の事情で続かないケースはあるが、今年は出たり入ったり、忙しい。「来るものは拒まず」の精神と一時期でもなにか役に立てば嬉しいと思う精神で、これからも。今学期は「レクリエーション」や「料理教室」もあり、明るく楽しい「クラス」になるように私も皆と一緒に勉強しよう。

東北紀行 7

2008-09-10 17:20:08 | 旅行
                

今日(8・30)は、「下北半島」を一周。「仏ヶ浦・大間崎・恐山」を見て六ケ所村・小川原湖・三沢市を抜けて八戸へ。太平洋を眺めながら帰途に着く。
          

       
海に囲まれている「日本」は何処を尋ねても美しい「海岸・断崖」があり、それぞれが持つ景色はまた違った印象を与えてくれる。
ずっと昔読んだ水上勉の「飢餓海峡」。「洞爺丸沈没事故」を背景に繰り広げられるドラマだが・・・(ストーリーの詳細は忘れた)、津軽海峡を渡り逃げてきた主人公が「仏ヶ浦」の絶壁を超えて逃亡するシーンが鮮明に残っている。いつか行ってみたいと思っていた処でもある。

海から(船で)と陸から行けるのだが、北山崎の遊覧で懲りた私達は「陸路」を希望。わりと厳しい遊歩道を15分ぐらい歩くと、荒波が削り上げた巨岩・奇岩並ぶ岩場にたどりつく。「岩」の前に立ち、身近で見るとその「大きさ」がわかる。

休み処のおじさんが、やはり海から眺めないと・・・すぐ出発するし、揺れないから大丈夫と。「グラスボート」に4人で乗り込み、説明を受けながら20分の探訪をする。

      
                     海側から
潮風に吹かれながら、いろいろ伝説が込められた「奇岩」を眺める。お天気も良くて、「仏ヶ浦」独特の「色」も楽しめた。

東北紀行 6

2008-09-09 18:32:45 | 旅行
今日(28日)は津軽半島巡りして「蟹田」からフェリーで下北半島の「脇野沢」へ出る予定だったが、船が「函館のドッグ」に入ってしまったので大幅に変更。

昨日小坂町から宿泊先の「ナクア白神スキー&リゾート」(旧鰺ヶ沢プリンスホテル)へ行く途中、行けども行けどもりんごの木々が続く。圧巻「アップルロード」と命名されている道を走る。もう赤く色づいていて、兄が送ってくれる「りんご」もこの辺の産と聞いてまた今年も「美味しいりんご」が送られてくると姉達と「納得」する。岩木山神社も参拝してホテルへ。

今日は、青森へ出て「陸奥湾」に沿って走り「下北半島」を北上して「川内町」まで、走らなければならない。大変だと思うが地元の運転手(兄)は・・・昨日「りんごのシャッターチャンス」がなかったので程よいところで停車くれる。


   
とても鮮やかな「色」のリンゴ、大事に「袋」をかけて、手間をかけている様子が・・・「お店」でリンゴを見るたびにこのシーンが浮かぶでしょう。

弘前で、桜が有名だからと「弘前公園」を散策。「お城」見学はパスして先を急ぐが・・・又途中下車。
弘前から「東北自動車道路」の黒石インターに入る手前に「田舎館村」というところがある。村役場の建物は弘前城をイメージした「お城」の形をしている。遠くから眺めると一瞬「なに??」と思うが、その屋上に上がると、なんとまあ~とビックリする景色が・・・≪田んぼアート≫


そう言えば「テレビ」か「新聞」で見たことあったが、でも「ここ」とは知りませんでした。平成5年から始まり、だんだんマスコミに取り上げられすっかり全国に知られたようです。今年の題材は「恵比寿様と大黒様」で足の先の色までしっかりと表している「繊細」なものでした。つがるロマン・紫稲・黄稲・紅都の4色と色素の薄い稲を使っているそうです。実に楽しい、思いがけずの「プレゼント」有難う。


東北紀行 5

2008-09-07 10:30:33 | 旅行
「十和田湖」の秋田県側に入ったので、小坂町の「康楽館・小坂鉱山事務所」へ回って欲しいとお願いする。明治から大正にかけて鉱産額日本一を誇った「小坂鉱山」の厚生施設として明治43年に誕生した≪康楽館≫。老朽化とテレビの普及で一時は中止になったが昭和61年に蘇り、日本最古の木造芝居小屋として、今現役で常設公演をしている。古きものを訪ねるのが好きだが、ここは遠いのであきらめていたので、思いがけずに立ち寄れて、とても嬉しい。
モダンな洋風の建物、こんな立派な施設を建てた「小坂鉱山」の繁栄がうかがえる。

6つの劇団が「下町かぶき組」として1日2公演している。施設見学ですこし舞台も見られるというので、早速・・・2階席から覗くと艶やかな姿で踊ったり、立ち回りをしている。桟敷席を見ると残念ながら、お客は6人ぐらいだが、2時間の舞台を繰り広げるのだから大変でしょう。「大衆演劇」から「スター」も生まれる時代、艶やかな女性が、挨拶したとたん「男の声」になったのが可笑しかった。

黒子姿の案内人が「回り舞台」「奈落」「切穴(すっぽん)・・・現在もロープと滑車で操作」などを説明してくれる。上演中なの「楽屋」は覗けなかったが舞台を踏んだ役者達の落書き(サイン)が多数残されているそうだ。






11月2日には坂東三津五郎・中村芝雀の≪特別歌舞伎公演》がある。

今回舞台裏も見られたし、面白かったので「満足」で~す。