AKB48の旅

AKB48の旅

門のある家

2014年12月10日 | AKB
題名は半分冗談、半分ガチというか、なんか気の利いたのが思い浮かばなかったんで、まあ遠まわしの比喩として選んでみた。過去にも「門のある家」について触れたような気がして、検索してみたらあったんで参考まで。言いたいことはあらかた書いてあるなあ。

動的平衡と襲名
http://blog.goo.ne.jp/ichthyophagi/e/a482c7b614da86190e85a09a5a4cfb8f

高橋さんについては私なりに書き尽くしてきたと思うんで、あらためて述べることもないと思う。「AKB48 10年計画」ではないけど、傍目にも分かりやすい節目ということで、高橋さんが10周年を期に卒業するというのは、あたかも既定路線のごとくに映る。やっぱりそう来たか感。

「メンバーに引き継ぐ時間、猶予をいただくため」と高橋さん自ら語ってたし、それはその通りなんだけど、横山さんが、言わばこの高橋体制をそのまま受け継ごうとするのはまず間違いないところで、それ以外の選択肢はないんだろう。となると、それはそのまま高橋ゴースト体制となる可能性が高い。

と言っても複雑系の自己組織化組織としてAKBGはピークアウトして、動的平衡の緩やかな逓減状態に入ってると見なせるわけで、高橋さんが抜けても、各部の自律運動は存続していく可能性が高いんだろう。そこは前田さんのゴーストに苦しんだ過去とはまったく違う様相となるに違いない。

つまりは正に日本型の組織だけが持つ特性にも近似するわけで、現場の各部の自律運動がフラクタル構造を為して相転移することで、あたかも上意下達のピラミッド型組織体が存在するかのような錯覚を形成するんだけど、これまでは高橋さんがそこに居たんで、そんな錯覚と実態が一致してた。矛盾はなかった。けれども高橋さんの去った後は、それは単なる錯覚に過ぎなくなる。そして横山さんは、そんな錯覚とうまくつき合って行く必要に迫られることになる。

けれどもそこを見誤ってというか、過去の例からすると必然的に、その錯覚を実態と勘違いする時、このAKBGという自己組織化組織は、カタストロフィーを迎える可能性が高い。秋元氏が総合Pである限りは、そんな事態には陥らないだろうとも思うけど、冷徹に見て、それが誰になるかはともかくとして、やがては無能な働き者の災厄を被ることになるんだろう。日本型の組織体が常にそうであり続けたように、それはほとんど不可避とも思える。

結果として「現場」が死に絶えれば、そこで物語は終わることになる。けれども高橋AKBが成し遂げたものは、そんな柔ではないとも信じたいところ。かつての日本の如く、焼土からでも「現場」が立ち上がることができるならば、そこから再び新たな自己組織化組織が立ち現れることが期待できる。そこまでのインフラは既にして培われてると信じたいし、ならば特定の個人という意味ではない第2、第3の「高橋みなみ」的なものの出現を楽しみに待つというのも、悪くない。