AKB48の旅

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ぐぐたす検閲事件の意味するもの

2012年01月22日 | AKB
ジャスミン革命が実態としては軍事クーデターの要素を色濃く持つように、プロパガンダ的なものに惑わされず本質を見る、言うは易しいけど、これほど困難を極めるものはないように思う。肝心なのは何が変わったのか、ステークホルダーは誰なのかという視点かな。

事態の推移をなるだけ冷静に記述すれば、NMB山本彩の告発が秋元康に伝わり、NMB、SKEのぐぐたす検閲というローカルルールと、AKBの一部メンの個別検閲が明らかとなり、秋元康の鶴の一声で、これらすべてが解除された、そういう理解であってるよね。

ぐぐたすの基本理念からすれば検閲は愚の骨頂であり、理念の徹底を指示したのは、総合プロデューサーとしては当然の判断だと思う。むしろここで確認できたことは、秋元康が実際に全権を把握していること、陰の権力者がいないこと。これはこれまでの決断と実行のスピードから、ほぼ確定していたことだけどね。

で、ステークホルダーに変化はあったのか。ないよね。むしろ検閲が持続すれば、それこそ秋元康の意志の不徹底となり、一種の分裂行動となり、表現を過激にするなら「造反」ということになりかねない。もちろん検閲という発想自体がAKBムーブメントを全く理解していない、「無能」の表明なんだけど、物事をだめにするのはしばしばそんな無能と無責任だったりする。

けれども結果的に見れば、ぐぐたすに投影されたAKBムーブメントの理念が、蟻の一穴の危機を未然に防いだ形になっている。ぐぐたす自体が自己修正力を発揮するツールとして機能している。これは動的平衡が機能していると受け取れる。AKBムーブメントは本物だと思う。