AKB48の旅

AKB48の旅

Documentary of AKB48 Show must go on評、その後

2012年03月17日 | AKB
前回検索してみた"Documentary of AKB48 Show must go on"のネット評が存外に面白かったんで、その後も折に触れて読んでみた。お約束通りの「思想」的なのもあった。格闘技なのもあった。まさかの「ブラック企業」「労基署マター」な指摘もあった。「たかみな潰れる」は杞憂に終わるよ、と断言したいけど、友人に楽しく働き過ぎて鬱になったのがいて、こればっかりは何とも言えないのかもしれないけどね。なかでも意外というか、不意を突かれたのが「自己犠牲」「利他行為」という視点。

西武ドームのたかみなを代表として、皆が自己犠牲、そして利他行為行動に走っている、日本型アイドルの究極型は自己犠牲であり利他行為である、言われてみればその視点はありかなと思った。日本型の高信頼社会では「情けは人のためならず」が本当に機能する。利他行動が全体の利得を最大にする。たかみなのAKBへの徹底的な奉仕、あっさんの、そして優子の、それこそ命を賭すかのようなファンへの奉仕。アイドルがそういう究極型を取るという議論は成り立つように思う。

と同時に、そこには戦前の日本のあり方、「滅私奉公」とか「特攻隊」とか、少なからぬ方はフラットには扱えない概念、もしかして多くの方が刷り込みをされ、敢えて言い切れば「洗脳」されてしまってる概念と直結する何かが立ち現れてくることになる。けっこうやばネタというか、取扱注意な内容になりそうなので、この件はもっと気力がある時にまた今度ということで。

そうそう、柳沢きみお先生の「団塊脳」だけど、遠景にはこのあたりが隠れてるのかな、とも思った。フィクションとしての悪の戦前日本を忌み嫌う立場からすると、AKBの背後から仄見える臭いには、ほとんど本能的な拒否反応が出ても不思議ではない。それはフィクションだよと言っても、あの年代の人は聞く耳を持たないし、お手上げかな。そしてAKBが若者の圧倒的に支持を得ている背景も、そしてよしりん先生が惹き付けられたのも、実はこのあたりなのかもしれない。

あと、震災からの逃避とか、戦うアイドル視点も散見されたように思う。これまた重要な視点だと思うし、ちょろちょろ仄めかしはしてるけど、まともに取り組むのはたいへんなんで、マクロス!と一言叫んでごまかしとこ。

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