AKB48の旅

AKB48の旅

「君は僕だ」に見る秋元康氏の「当て書き」

2013年08月03日 | AKB
「ファーストラビット」が前田さんへの「当て書き」だったというのは、たぶんそんなに異論はないと思うけど、"After rain"が高橋さんへの「当て書き」だったことについては、私の中では確信だけど、どんなもんなんだろう。あんまり意識してこなかったけど、この「当て書き」というのが見えて来ると、秋元氏とメンバーの関係性、あるいは秋元氏のものの見方、考え方が分かると同時に、メンバーの素顔に迫れることになるように思う。

というわけで、いくつかの歌詞を見渡してみて、そんな事例を探してみて、ああこれは面白いなあと思わせてくれたのは、「君は僕だ」だった。言うまでもなく前田さんはやはり別格のようで、もう込められた思いの深さが違う感じ。

この歌詞は、成立過程を深読みして逆算して、少し解体気味に読み込むと趣深いことになる。まずは、冒頭の「木漏れ日の密度で もうすぐ夏だよって 風が教える」だけど、わりと評判が良いフレーズらしい。確かに爽やかでおしゃれで新鮮な感じだけど、私的にぶっ込んでしまうけど、これって秋元氏の「照れ」なんじゃないかな。もしかして、歌詞の成立の最後になって書き換えた部分じゃないか。

そしてもう一つ。「君は僕だ」という設定も後付けなんじゃないか。まず「君は君」と「僕は僕」があって、そこから「君は僕」と言う風に結びつけた。ちなみにこのやり方は、秋元氏が得意としてる、補助線の魔法、あり得ない関係性の構築手法の典型例になってるとも言えそう。そんな、言わば「粉飾」側の表現を題名にしてきたところが、レトリックというか、もしかして秋元流なのかも。

以上の二つの要素を歌詞から外してやると、たぶん、この歌詞の原型が現れてくるように思う。そこにあるのは、秋元氏と前田さんの関係性の歴史、そして前田さんへの深い理解と愛情そのものじゃないか。

以上のような見方が間違ってない、そう思わせてくれる「上手の手から水」なのが、最後の「気が合うなんて 奇跡に近い2人さ」ということに。このフレーズは「君は君」「僕は僕」だから言えることであって、「君は僕」であれば、それは「奇跡」なんかじゃない。でもどうしてもこう言いたかったから、このまま残したんだろう。

そう言えば、前田さんのぐぐたすで、秋元氏に向けての「14歳の頃からすべてお見通しでしたよね。」というのがあったけど、前田さんの側も、この関係性を認めてるということなんだろう。

コメントを投稿