AKB48の旅

AKB48の旅

"Jane Doe"に見る当て書き

2013年09月08日 | AKB
"Jane Doe"の歌詞が、高橋さんへの当て書きなんてことはあり得ない、歌詞を何度読み返してみても、そんな結論にしかならない。

けれども、高橋さんのソロデビュー曲だというのに、それが「当て書き」ではないなんてことがあるだろうか。これまで見てきたように、そして明記はしてこなかったけどc/wを含めて、前田さんのソロ曲は、すべて間違いなく「当て書き」になっていた。ならばこそ、"Jane Doe"もまた、当然の如く「当て書き」であるに違いない、そんな見立ては強引すぎるだろうか。

ではどう考えるか。ここは、特異と言って良い題名に注目するというのはどうだろう。"Jane Doe"というのは、アメリカのドラマなんかを見てると頻出する、身元不明の女性遺体に付けるコードネームみたいなもの。それ以外の用例もあるんだろうけど、ドラマでの使われ方の印象が強いはず。

歌詞の冒頭は「君は誰なんだ? 答えてくれ 目の前にいるのは Jane Doe」。そのまんまと言えばそのまんまだけど、これがストレートに、秋元氏からの高橋さんへの問いかけだと見なすというのは、どうだろう。以下、思い切りフィクションを作ってみる。

高橋さんの夢は、ソロ歌手になること。それは今や実現した。ソロデビュー曲の"Jane Doe"が今ここにある。けれども「君は誰なんだ? 答えてくれ」。AKBとは高橋みなみのことである。AKBの総監督にして、公的代表というのが、高橋さんのアイデンティティなんじゃないか。

ならばこそ、ソロ歌手としての高橋さんは、「目の前にいるのは Jane Doe」なんであり、つまりは身元不明の女性遺体に等しい。そこに高橋みなみという存在価値はあるのか。

さらに踏み込もう。ソロ歌手という若気の夢は実現した。ならばこそ夢から覚めて現実を見つめよう。比類なき高橋みなみという価値は、ソロ歌手なんかではなく、AKB総監督というオンリーワンにある。そんな現実を受け入れないか。

以上のような視点で歌詞を眺めると、不思議なくらいに秋元氏の意識が感じられというのは、手前味噌が過ぎるだろうか。

コメントを投稿