AKB48の旅

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「回遊魚のキャパシティ」の歌詞と指原さんの関係

2014年02月21日 | AKB
「博多レジェンド」の見事な選曲と構成については、何を今さらなんだけど、その白眉が「回遊魚のキャパシティ」になるという見方に、異論とかあるんだろうか。楽曲としてのできが素晴らしいのはもちろのこと、公演の構成的にもそういう流れになってるように、少なくとも私には感じられた。

その「回遊魚のキャパシティ」だけど、リクアワ2010の97位に入ったきりで、あとは「AKBグループ全公演」での再演で見れるのみ。言わば忘れられた名曲の代表的なものだった。だから、指原さんがHKTに引っ張ってきて「博多レジェンド」に組み入れた、先日のぐぐたすの記事も含め、そういう理解で合ってるように思う。

けれども、もう一つ、指原さんがこの曲に拘ったであろう理由があるんじゃないか。そんな典型的な妄想を、以下に述べてみようと思う。

秋元氏の作詞方法としては、「当て書き」の他に、言わば「キーワード方式」と呼ぶべきものがあるらしい。高橋さんのソロデビュー曲「Jane Doe」の特典映像で、秋元氏が高橋さんに、作詞指南をするというのがあった。そこで行われていたのが、ブレスト方式でキーワードを挙げて行って、その中から複数を組み合わせて、その関係性を物語にしつらえて、歌詞へと練り上げて行くというものだった。

そこで「回遊魚のキャパシティ」なんだけど、この歌詞はある種、そんなキーワード方式の典型例になってるんじゃないか。まず「回遊魚」と「キャパシティ」という題名を構成する2つの言葉が、通常の会話とかからはなかなか出てこない単語だろうし、普通に考える限り、「の」で結びつけられる関係性でもあり得ない。

つまりブレスト方式とは限らない、恐らくはまったく無関係の方面、例えばマカオのカジノあたりから「回遊魚」を、コンサート計画の会議辺りから「キャパシティ」を引っ張ってきて、この2つを、「回遊魚」→「水族館」→「大水槽」→「キャパシティ」とか連想して、そこに恋愛模様をかぶせて、粉飾したものが、この「回遊魚のキャパシティ」の歌詞の生い立ちなんじゃないか。

けれども結果として、この歌詞はとても振れ幅の大きいダイナミックなものになって、やはり印象的な曲調とマッチして、かくして「回遊魚のキャパシティ」という名曲が完成したことになる。言葉に敏感な指原さんなら、この歌詞が持つダイナミズムに関心を引かれても不思議ではないし、ご自身自ら、類似の手技で物語を構築してるということもある(既述)。何らかの共感を覚えたとしても、やはり不思議ではないのではないか。

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