AKB48の旅

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日本型の「天才」

2016年09月13日 | AKB
新海誠監督の『君の名は。』を観て、ピクサーのジョン・ラセター方式をすべて捨てようと決意した。《天狼院通信》
http://tenro-in.com/tsushin/25829

そして、庵野秀明総監督の『シン・ゴジラ』や新海誠監督の『君の名は。』を観るに、やはり、一人の天才的なクリエーターを中核とした、日本が得意とするこの方式こそがこれからの世界に通用するのではないかと思ったのです。

大げさに言うと、世界最強である日本の漫画やアニメの世界は、ひとりの天才、手塚治虫がいなければ成り立ち得なかったと僕は思っています。

いつだって、世界は、合議や効率ではなく、ひとりの天才的な煌めきが彗星のように現れて、時代を横断し、あらゆることの見え方を変えてきたのではないでしょうか。



トルストイは『戦争と平和』において、ナポレオンがいなければ、また別のナポレオンが現れるだけだと言う論旨を展開しました。けれども、日本の司馬遼太郎は、坂本龍馬が流星のように幕末に現れなければ今の日本はなかっただろうと言います。

あるいは、そんなヒロイズム的な制作方式の優位点を、僕らはもう一度見直してもいいのかも知れません。

それは、我々日本人が、もっとも得意とする方式です。

この優位性は、全身全霊をその作品に深く打ち込むことによって、はじめてできるのではないでしょうか。

だから、日本人はこの方式に強い。


伝わりにくいのかも知れないけど、なにげに鋭い指摘だと思う。

白眉というか、決定的な記述は引用部分、とりわけ「一人の天才的なクリエーターを中核とした、日本が得意とするこの方式」。この逆説に気づけるかどうか。

後段の坂本龍馬のくだりはちょっとノイズというと失礼だけど、外してるところがあるとは思うけど、「日本人はこの方式に強い。」を拾いたかったので。

秋元氏もまた、そんな一人なんだろうと思う。