goo blog サービス終了のお知らせ 

AKB48の旅

AKB48の旅

もっとAKB補完計画

2012年02月23日 | AKB
なんか舌っ足らずというか、書き漏らしたことがたくさんあるので、あらためて。

いわゆるアイドル20才定年説というのがあるけど、まずはあれを論破しておきたい。確かにアイドルの価値はかわいさにあり、かわいいは子供属性だから、年齢の影響を強く受けるのは事実。けれども、そういうときの「子供」って何よってこと。

以前書いたように、欧米的価値観による子供/大人対立を、日本人である私たちが特に有り難がる必要もない。そもそも日本のアイドル文化は特異なもの、敢えて言い切れば「独創的」なものであり、もっと日本的な価値観を大事にしても良いんじゃないか。つまりは子供=不完全な大人、ではなくて、子供=成長するものという視点。

成長するということは、つまりは変わり続けること、動的平衡の破綻状態であり、不安定ということ。さらにはまだ見ぬ未来へと分け入ることであり、予測できない、つまりは防御姿勢をとれない、否、防御姿勢では視界が開けないので無防備で矢面に立ち続ける、そういうことでもある。こういうのって類似の経験のある方なら分かると思うけど、ものすごく辛い。

けれども、この成長するものという概念には、直接的には年齢というディメンションはない。もちろん成長はいつかは止まらざるを得ない。誰にも寿命があり、生理的限界というものがあるけど、それは必ずしも年齢とは相関しない。持って生まれた資質と、あとは本人の努力次第なのであり、実年齢との関係は相対的なものとなる。「定年」などあろうはずがない。

麻里子様がなによりの好例となるだろう。一般的な意味での大人の女性として振る舞うことなく、たかみなと同じ目線に立って走り続けてる。日々新たな課題に取り組み、守りには入らない。若いメンバーに追いつかれるどころか、差は開くばかりではないか。これ以上は無理だ、そう感じて立ち止まる時まで、「定年」はやってこないのだし、年齢だけ見てると本質を見誤るだけだと思う。

さて、子供=不完全な大人なのか、子供=成長するものなのか、その価値観の転換こそがAKBムーブメントなんではないか、このブログではずっと底流でそんなことを仄めかしてきた。その象徴的なできごとが、先日指摘した「それでも好きだよ」と「シンクロときめき」の対比だった。

さっしーとまゆゆの直接比較は、いささか残酷なものだろう。かわいい属性で見る限り、さっしーに勝ち目はない。かわいい属性意外でもほとんどの項目で、まゆゆ優位か、せいぜいが互角までだろうと思う。それくらい私が力説する必要がないほど、まゆゆのアイドルとしてのスペックは高い。もちろんこれは極めて個人的な感想なんであって、意見を押しつけるとかの意図はない。一つの見方ぐらいのスタンスで付き合っていただけたらと思う。

けれども「それでも好きだよ」のさっしーは輝いてた。定常状態の静的さっしーからのジャンプアップが半端なかった。それに対して「シンクロときめき」は定説通りのまゆゆだった。そのままだった。両者とも王道アイドル路線なんだけど、さっしーの振れ幅というサプライズに対し、まゆゆは単なる「古典的」に見えた。さっしーのハードルがもともと低いから、というネガティブな見方もあるけど、それでも自身のスペックの遙か高みを飛ぶというのはたいへんなことだと思う。

つまりは、「それでも好きだよ」はダイナミックであり、「シンクロときめき」はスタティックだったと言うこと。前者が「成長」と親和的なのは言うまでもなく、後者が子供であり続ける=不完全な大人属性に依存してるという説明も、ロリ的な視点と絡め、そんなに暴論でもないと思う。さっしーは「新しい」アイドル像を確立しようとしている、少なくとも私はそうとらえてる。これは革命なんだと。

一方で、まゆゆの「古典」的性格、それはちょうど乃木坂のスタンスでもある。まゆゆが今後どういう方向性を選ぶのかは分からないけど、「乃木坂へ移籍」なんてネタが振られるのも宜なるかなと思う。当然ながら秋元康は見通してるということだよね。