三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「幸せのイタリアーノ」

2024年07月31日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「幸せのイタリアーノ」を観た。

 銀座のママたちに、男の匂いについて尋ねたアンケートを目にしたことがある。2位以下は忘れたが、とにかく無臭がダントツだった。回答したあるママによれば、無臭というのは、健康な証拠なのだそうだ。このアンケートは大まかすぎるものの、人間は健康な相手を選ぶ傾向にあるということは言えると思う。
 たしかに、性的魅力の大半は、健康に裏打ちされているところがある。病気の人には申し訳ないが、初対面のときに相手が病気だと、好きになるハードルはかなり高くなってしまうことは否めない。

 しかし、身体障害は病気ではない。ハンディキャップだ。本作品の主人公ジャンニも、最後はそう言っていた。ピアニストの辻井伸行さんのコンサートには何度も足を運んだが、演奏を聞くときは、彼が盲目であることなど無関係で、毎日一生懸命に練習した技術で、彼なりの世界観を表現した音を聞くだけだ。とても心地のいい音のときもあれば、演奏の激しさに面食らうこともあったが、対価に見合う感動をもらえたと思う。彼が盲目だから感動した訳ではない。

 ジャンニはつまらない男だ。金儲けとガールハントにしか興味がない。そのために健康に気を使う。自慢することと言えば、金持ちであることと、スケコマシの成果だけだ。子供みたいでわかりやすい。友人たちにはそこら辺がウケている。
 仕事は一元論で、自分はこのやり方で創業し、成功してきた。お前たちも同じやり方で成果を上げろと言う。会議で毎回同じセリフを言うから、秘書は覚えてしまっている。役員たちもウンザリだ。
 50歳を目前にして、未だガキ大将の性格は、他人から愛されるキャラでもある。金儲けが上手でワンマンだから、恐れられている部分もあるが、大抵はバカにされている。気づいていないのは本人だけだ。対人関係の駆け引きだけが武器の男の、どこが尊敬できるだろうか。
 しかし人間は、いくつになっても変わることができる。新しい文化に触れ、未知のことを学ぶ。他人の人権や人格を重んじるようになれば、いつしか自分の人格も重んじられるようになる。「できる人」から「できた人」に変貌するのだ。要するにそういう物語だった。

 フランス映画のリメイクだが、身体障害者を登場させるにあたっては、相当気を使ったと思う。議論もあっただろう。身体障害者は病気ではないのだから、可哀想ではない。過度に気を使う必要はないが、差別してはならない。普通に接する中で、相手のハンディキャップをさり気なく補助できればいい。理想ではあるが、この場合、理想は必要だ。
 ハンディキャップを個性と考えてもいい。個性的な人は世界観も独特だ。様々な世界観に触れることは、視野を広げてくれる体験でもある。多くの人が、狭量な拒否から、寛容な受け入れに転換すれば、この世界も住みやすくなるかもしれない。

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