三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「幻の光」

2024年08月04日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「幻の光」を観た。
映画『幻の光』公式/8月2日(金)公開

映画『幻の光』公式/8月2日(金)公開

是枝裕和監督の長編デビュー作にしてヴェネチア国際映画祭受賞作。「能登半島地震 輪島支援 特別上映」として29年の歳月を経てデジタルリマスターで蘇る。

映画『幻の光』公式/8月2日(金)公開

 人生は概ね、坦々と過ぎていく。エポックは、人の死だ。経済面や日常生活で依存している度合いが高いほど、その人の死は大きな衝撃になる。見知らぬ他人の死は、あまり気にすることがない。なにせ日本では一日に4,000人が死んでいる。気に留めていたらきりがない。
 ただ、戦争や災害の死は別だ。人数を気にするし、なるべく多くの人が助かってほしいと願う。政府や自治体は、惜しみなく税金を使って助けてほしい。税金はそういうときのために納めているのだ。
 しかし能登半島地震の復興は、遅々として進まない。政府も知事も、まるでやる気を見せない。困っている人を助けないで、なんのための政治なのか。首相は、裏金のごまかしと、総裁選の下準備で忙しいのだろう。石川県知事はほとんど東京にいる。ふたりとも、庶民は勝手に死んでくれという姿勢だ。そう言えば、困っている人は自助で頑張ってくれと、就任時に言い放った総理大臣もいた。誰だ、こんな連中に投票したのは?

 輪島が舞台の本作品のリバイバル上映は、能登復興に尽力しているNPOや民間人の方々の方策のひとつとして、チャリティ目的で企画されたとのこと。29年前の邦画の再上映にもかかわらず、そこそこ観客が入っていた。是枝監督のネームバリューもあるだろうが、チャリティに協力したい人もいたと思う。

 さて本作品は、その後の是枝作品に通底するテーマ、人のいのち、特に無名の人々のいのちが扱われている。いのちがテーマだということは、死がテーマだということでもある。出逢いと別れは人生の日常だが、いつ今生の別れを迎えないとも限らない。
 ある日帰ったら、同居している人が首を吊っていたというシーンは、いろいろな映画で観たことがある。警察が訪ねてきて、親しい人の死を告げる場面は、たくさんのドラマで観た。家族や友人の死に接すると、その後の生き方を考え直すことになる。
 現実は厳しい。痛いこと、苦しいこと、辛いことの連続だ。もしかしたら、ここではないどこかに、苦痛や不安や恐怖から開放される場所があるかもしれない。誰もがそんなふうに妄想するに違いない。その場所には、光がある。現実は闇だ。闇から遠く離れた場所がきっとある。
 闇が深ければ、光は一層明るく輝く。死の恐怖を忘れ去るほどに光が強ければ、光に誘われて去っていくだろう。死の際の苦痛など、少しも怖くない。そんなふうに思う人がいる一方で、たいていの人は、闇の中でもがき続ける。光は、幻だ。

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