三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

岡田将生主演「ハムレット」

2019年05月24日 | 映画・舞台・コンサート

 渋谷のBunkamuraシアターコクーンで岡田将生主演の芝居「ハムレット」を観た。
 https://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/19_hamlet/
 オフィーリアの黒木華がいい。小悪魔的な化粧と表情ながら、男たちに振り回されるままに心を乱していく有様に、女の業のようなものを感じる。舞台で鍛えた発声は、滑舌もよく声の通りもいい。2階の最後尾という聞こえづらい見えづらい席だったが、彼女の台詞はちゃんと聞き取れた。
 岡田将生はそれなり。やはり舞台俳優としては稽古不足で「尼寺へ行け」という台詞が今ひとつ迫力がなかった。
 その「尼寺へ行け」の意味だが、この芝居では次のように解釈する。この世は理不尽で、人間はみな不幸だから、新しい命を生み出すことは不幸を生み出すことに等しい。そうならないように、尼寺へ行けとオフィーリアに言ったのだ。この解釈はなかなかいい。もしかしたらこれまでのハムレットで一番確からしい解釈かもしれない。
 シェークスピアは冷めた戯曲作家である。人間が喜劇と悲劇を繰り返す馬鹿な存在であることをとうの昔に看破していた。彼の劇が今でも通用するのは、人間は今も昔も変わらず馬鹿だからである。


映画「雪子さんの足音」

2019年05月24日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「雪子さんの足音」を観た。
 https://yukikosan-movie.com/

 下宿というものに縁がなかったので、いまひとつピンと来なかった。昔かぐや姫が歌った「神田川」の歌詞に「三畳一間の小さな下宿」があるが、下宿がどのようなシステムで運営されているのか、未だによくわからない。
 吉田拓郎の「我が良き友よ」の「語り明かせば下宿屋のおばさん酒持ってやってくる」という歌詞からすると、下宿は大家や他の住人との信頼関係を前提に成り立っているように思える。鍵のかかるアパートやマンションが閉鎖的なのに対して、かなり開放的である。そういう時代だったのだろう。今は子供部屋にさえ鍵がかかる時代だ。
 さて雪子さんの経営する下宿屋「月光荘」に越してきて三年目、大家の雪子さんと隣の部屋の小野田さんの二人の女性から応援すると言われた薫だが、日常生活の舞台である下宿屋で世話をするということは、掃除洗濯と食事と、それに場合によっては性欲の処理である。本作品は上品な映画でそのあたりのことを少女漫画みたいに上っ面で済ませていたが、もう少し突っ込んで表現してもよかった気がする。
 餌付けされている金魚を自分に重ねて女性不信になってしまう主人公だが、必ずしも不幸な人生という訳ではない。この作品のフードコーディネーターはかなり優秀で、出てくる料理が全部美味しそうに見えた。学生時代にあんな手料理を食べられるのは大変な贅沢である。薫は実は胃袋を掴まれていたのではなかろうか。
 佐藤浩市と親子共演を果たした主演の寛一郎は、なかなか味のある演技をする。本作では弱気で挙動不審な学生を演じたが、肚の据わった役もできそうである。
 雪子さんを演じた吉行和子は流石の存在感であった。微妙に気持ち悪い老女のエキセントリックな不気味さをよく引き出している。
 隣の部屋の小野田さんの役の菜葉菜は、佐藤浩市と共演した「赤い雪 Red Snow」で一皮剥けた印象があり、癖のある役柄を上手にこなしている。本作でコケティッシュな側面を見せられたのは収穫だったのではないか。

 ということで俳優陣の演技もよく料理も美味しそうだったのだが、映画自体はあまり面白くなかった。坦々とした平板なドラマでも、登場人物たちに人間的な深みがあればそれなりに楽しめるのだが、本作品にはそういう人物は登場しない。プロットが浅いのだ。
 エロスも半端、料理も半端、人間関係の掘り下げも半端では、観客は誰にも感情移入できないし、どこで感動していいのかわからない。一生懸命作った方々には申し訳ないのだが、凡作と評価させていただいた。