三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「轢き逃げ-最高の最悪な日-」

2019年05月31日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「轢き逃げ-最高の最悪な日-」を観た。
 http://www.hikinige-movie.com/

 実に惜しい作品である。生前の望とその家族を先に描くべきだった。
 人が人や動物の死を悲しむのは、それに纏わる思い出があるからである。家族や友人の死では生前の思い出が悲しみを誘発するが、赤の他人の死には何の思い出もない。事故や災害で何人死んだというニュースを見ても、へえと言うだけである。思い出がなければ悲しみもないのだ。
 被害者が被害に遭う前のシーンを先に映すやり方は常道で、水谷監督は敢えてそうしなかったのかもしれないが、常道になっているのはそれなりの理由がある。観客は被害の前の被害者の思い出を得るから、被害者の死に悲しみを覚え、遺された家族に感情移入する。
 本作品で少しだけ感情移入するのは前半のひき逃げ犯に対してである。ひき逃げ犯に感情移入してほしいから、被害者の思い出をなしにしたのかもしれないが、おかげで映画の後半は誰にも感情移入できなかった。
 アイデアやプロットはとてもいい。脚本の台詞は月並みだがそれなりのリアリティがある。被害者の父親を演じた水谷豊の演技は「相棒」で見慣れた右京さんとは違って地に足がついている。右京さんみたいな天才的な閃きはないが、娘の死が腑に落ちない父親の執念を上手く表現していた。檀ふみも貫禄の好演である。若手の人たちもそれなりに頑張っていたと思う。
 前半の単調さに比べて後半は展開の読めないワクワク感があり見ごたえがある。返す返すも被害者の生前のシーンがなかったことが悔やまれる。