三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「Orbiter9」(邦題「スターシップ9」)

2017年08月27日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「Orbiter9」(邦題「スターシップ9」)を観た。
 http://starship9.jp/

 いまやIDという言葉を知らない人はあまりいないだろう。パスワードと合わせてネット利用に必須である。日本語に訳すと自己証明あるいは個人認証といったところだろうか。
 人間は自分の存在証明を求める。時間的に求めるときは祖先など、自分のルーツを探る旅に出る。社会的に求めるときは、個体としての自分の存在価値を得るために様々にもがく。他者との差別化を図ろうとするのだ。
 しかし人類が滅亡の危機に瀕したとき、人間の個体差よりも人類としての存続が優先されるかもしれない。その場合、人間の生きる意味というものが果たしてあるのか?

 科学者の孤独な頭脳の中には、人類との大いなる共生感が存在するかもしれないが、そこには現実に生きている個々の人間は存在しない。幻想としての人類を生き延びさせるための計画が、実存としての人間の個体差を否定し、生きる意味も否定する。
 この映画は、個体差が生み出す顕著な事例である恋愛を補足的なテーマとして、人類存続について問いかける壮大な作品である。権力は人類の存続を模索するにあたり、権力の存続とセットにしてしか考えることができない。その状況下で、個人はどのように状況を受け止めてどのように行動するのか、その思考実験がそのままストーリーとなり、作品の世界観となっている。なかなかの傑作である。


映画「Everything Everything」

2017年08月27日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「Everything Everything」を観た。
 https://warnerbros.co.jp/movies/detail.php?title_id=53716

 人間は環境との有機的なつながりで生存している。呼吸し飲んで食べて排泄する。一見恒常的に見える個体だが、細胞は絶えず死滅し、そして再生している。環境には人間にとって有益なものから無益なもの、有害なものまで幅広い存在している。人間が細胞レベルで常に変化しつづけているように、環境も常に変化しつづけている。時として変化を担うのがウイルスやバクテリアのことがある。呼吸し飲んで食べることは、即ちウイルスやバクテリアを体内に取り込むことでもある。
 人間の体内には、細胞の数をはるかに超える数のバクテリアが存在している。乳酸菌などのいわゆる善玉菌から大腸菌などのいわゆる悪玉菌、それにどっちつかずの日和見菌というものまであるらしい。
 免疫は細菌を体内に取り込む過程で徐々に獲得していくものであることは、我々がすでに知るところである。

 そういった観点で言えば、この作品にはおかしなところがたくさんある。しかし作品のテーマは免疫学でもアレルギーでもない。免疫不全という設定の箱入り娘の初恋の物語である。
 初めての恋にときめく娘、どこまでも娘を心配する母親、優しい看護婦、理不尽な父親からの自立を模索する良識ある若者。悪人が登場しないほのぼの映画である。白人と黒人の恋愛映画でもある。こういう作品が求められるところに、逆にアメリカの鬱屈した世相が見てとれる。