三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「東京喰種 トーキョーグール」

2017年08月06日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「東京喰種 トーキョーグール」を観た。
 http://tokyoghoul.jp/

 捕食するものとされるものとでは、捕食する側のほうが断然強い。逃げ隠れするのは捕食される側である。アフリカの草原では、ライオンは悠然とリラックスし、有蹄類の動物がライオンの動向にびくびくしながら暮らしている。立場の逆転はない。ライオンと有蹄類とでは見た目も戦闘能力も歴然とした差があるからだ。
 もし捕食する側とされる側の見た目が同じだったらどうだろう。捕食される側が圧倒的多数である場合、少数派の個々の戦闘能力が強くても、多数派に敵わないかもしれない。ましてや人間は武器を使用できる。素手での個々の戦闘能力の比較は意味を成さなくなる。人間がイノシシやクマに時々殺される程度の話になるだろう。しかしもし捕食する側が人間の持つ武器が一切通用しない強烈な相手だった場合はどうか。その場合の捕食者は、天敵と呼ばれるだろう。

 人間には天敵がいない。昔、毎日新聞に連載されていた「私説博物誌」で筒井康隆が天敵についての文章を書いていた。具体的な文章は忘れてしまったが、確かこんな感じだ。人間に天敵がいたら朝のニュースでは天気予報に続いて天敵予報が流されるだろう。「本日の天敵。本日は○○地方で大暴れしており、すでに5人が食べられました。今後は○○方面に向かうと考えられ、十分な警戒が必要です」という感じ。
 本作品では、捕食する側の話がほとんどで、食べられる側の論理が何も描かれていない。人間は生物を殺して食べているが、食べられることはない。生きたまま食べられることが日常的になった場合に、社会がどのような動きをするのか、あるいは人間が正気を保つためにする行動はどのようであるのか、そういったテーマは置き去りにされている。

 出演者はいずれも十分な演技である。主演の窪田正孝は脱いだら凄い体の持ち主で、どんなアクションにも対応できる感じだが、それよりも性格俳優の印象が強い。今作でも精神的に弱い人間が何とか生きていこうとする役を存分に演じていた。
 蒼井優はどんなに明るい役を演じてもどこか翳があり、好きな女優のひとりである。女心の闇の中から絞り出されるような台詞を言う。しかしこの作品では、ちょっといつもと勝手が違っていた。清楚な美人が似合う彼女にしては、怪演といえるだろう。

 作品としては未完成の印象が強い。俳優陣の熱演が空振りに終わってしまった格好だ。世界観が個人の怨念や憎悪に帰趨してしまっては、映画としてのスケールがなくなる。原作は読んでいないが、映画としてはもう少し大きなスケールで、食べる側と食べられる側の絶対に相容れない論理の葛藤を描いてほしかった。


映画「ザ・マミー 呪われた砂漠の王女」

2017年08月06日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「ザ・マミー 呪われた砂漠の王女」を観た。
 http://themummy.jp/

 予告編にあった通り、古代の墓を暴いたらそこに閉じ込められていた王女が暴れだしたという話である。何度か予告編を見るうちに次第に想像力が膨らんで、作品に対する期待値が高くなってしまった。つまり、古代の墓に対して考古学的なアプローチを試みる側の人間ドラマがあり、一方で不用意に暴いてしまって王女が暴れだしたアクション劇があり、圧倒的な力を発揮する王女を止めるには古代の出来事の真実に到達しなければならないというデッドラインのドラマだ。数千年前に何が起きたのか、王女はなぜ閉じ込められたのか。トム・クルーズが学究の徒を演じるとすれば非常に興味深い。そんな風に想像が膨らんでいた。もはや妄想である。

 ところが実際の作品は私の妄想とは全く違っていて、結局予告編の映像が一番面白かったという羽目になってしまった。トム・クルーズはいつもの能天気なアクションヒーローで、感情移入は不可能である。ヒロインは強気で行動的な美人というトム・クルーズ映画では定番のタイプ。設定は違っても、ミッションインポッシブルのシリーズを見せられているようだった。なんの新しさも感動もない。
 ストーリーは一本調子で厚みがない。それは登場人物の性格が薄っぺらで単純であることに由来する。単純な人間しか出てこなければ複雑な話になりようがないのは当然だ。
 唯一見どころと呼べるのがアクションかもしれないが、この種のヒーロー物は決して主人公が死なないという予定調和があるから、見ていてもドキドキ感がない。最後はトム・クルーズがキムタクに見えてきた。やれやれ。