ついこの前ホタルが飛び交っていたと思ったら、もう11月である。あっという間に月日が過ぎてしまう。大学生活をつい最近のことにように覚えているのに、その間には20年以上の時が流れている。もうすぐ暮れだ。
この時期になると、いつも懐かしく思うのは、オーケストラで演奏した第9である。日本では何故か暮れになると演奏が多くなるが、我々は11月に毎年演奏していた。ちょうど今頃は、マエストロを迎えての練習が始まる頃だった。一番、強烈だったのは、日本の大指揮者であった故山田一雄氏を迎えた時だ。初顔合わせの時の極度の緊張と訳の分からない指揮棒。眼鏡の奥から刺してくる厳しい目。アマチュアの学生オーケストラに全身全霊でタクトを振ってくる。いつしか、普段聴いたことのない音が練習場に響いていた。山田一雄の信念、信条、芸術性が、目の前の空間に音として表現された瞬間を感じた。常にベートーヴェンに対して敬意を払い、第九交響曲という音楽芸術に真剣に取り組み、そして表現することに、プロもアマチュアも同じでなければならない。そう感じた。
この経験は、自分にとってはたいへん貴重なものだったと思う。音楽だけでなく、どんなことに対しても本質を見極め、真剣に取り組むことが必要だ。大指揮者から学んだことは、自分の信念として生きている。
山田一雄
1912年東京に生れる。学習院を経て東京音楽学校(現東京芸術大学)に入学。37年に自作の管弦楽曲で「日本放送協会賞」第一位を受賞。その他作曲の分野で数多くの賞を受賞する。1940年に新交響楽団(現NHK交響楽団)の常任指揮者に就任し、ストラビンスキーの「春の祭典」、マーラーの交響曲第8番などの日本初演、邦人作品の初演などを数多く行い、我が国の音楽界の発展に大いに貢献した。これまでに紫綬褒賞、芸術院賞、神奈川文化賞などを受賞。神奈川フィルハーモニー管弦楽団の初代音楽監督に就任。1991年急逝にともない桂冠指揮者の称号を献呈。
この時期になると、いつも懐かしく思うのは、オーケストラで演奏した第9である。日本では何故か暮れになると演奏が多くなるが、我々は11月に毎年演奏していた。ちょうど今頃は、マエストロを迎えての練習が始まる頃だった。一番、強烈だったのは、日本の大指揮者であった故山田一雄氏を迎えた時だ。初顔合わせの時の極度の緊張と訳の分からない指揮棒。眼鏡の奥から刺してくる厳しい目。アマチュアの学生オーケストラに全身全霊でタクトを振ってくる。いつしか、普段聴いたことのない音が練習場に響いていた。山田一雄の信念、信条、芸術性が、目の前の空間に音として表現された瞬間を感じた。常にベートーヴェンに対して敬意を払い、第九交響曲という音楽芸術に真剣に取り組み、そして表現することに、プロもアマチュアも同じでなければならない。そう感じた。
この経験は、自分にとってはたいへん貴重なものだったと思う。音楽だけでなく、どんなことに対しても本質を見極め、真剣に取り組むことが必要だ。大指揮者から学んだことは、自分の信念として生きている。
山田一雄
1912年東京に生れる。学習院を経て東京音楽学校(現東京芸術大学)に入学。37年に自作の管弦楽曲で「日本放送協会賞」第一位を受賞。その他作曲の分野で数多くの賞を受賞する。1940年に新交響楽団(現NHK交響楽団)の常任指揮者に就任し、ストラビンスキーの「春の祭典」、マーラーの交響曲第8番などの日本初演、邦人作品の初演などを数多く行い、我が国の音楽界の発展に大いに貢献した。これまでに紫綬褒賞、芸術院賞、神奈川文化賞などを受賞。神奈川フィルハーモニー管弦楽団の初代音楽監督に就任。1991年急逝にともない桂冠指揮者の称号を献呈。
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